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ギリシア訪問

2006-05-23 |
パルテノン神殿
パルテノンの丘は、アテネ市内の中心にある。 城壁の上には、誰でも写真で見たことがある大理石の神殿が立っている。 小高い丘といった風のその丘陵に立つ神殿は3つある。 丘を登り切った先にある入り口の神殿、そして頂上の広い平たいスペースにある一番規模の大きい、写真でよく見る神殿。 この東西にかけて長方形をなす建物は、第二次大戦中はナチに占領されたこともあり、爆撃も火災も受けて中央部はかなり損傷を受けたが、巨大な円柱の屹立する神殿のスケールにはやはり圧倒された。 神殿から、周辺に目を向けると、アテネ市内が360度眺望でき素晴らしい。 東から南の海の方角に向かって一面に広がる家々の白い屋根。 丘陵の麓までギッシリと家々の屋根がひしめき合い、それが南から西へ、そして北までぐるりと展開する。 建築の高度制限があるらしく、白いきのこが生えたような景観は、強い日差しの下、からりと美しい。 このあまりに有名な古代からの街が500万人もの人口を有すると初めて知った。 神殿の柱は、70年代以降傷みが進んでいるらしく、30年をかけて現在修復中とのこと。 あちこちに櫓が組まれ、真新しい白い修復用の円柱のピースが、黄色っぽくなっているオリジナルの柱の一部として組み込まれている。

  

有名な国立考古学博物館では、紀元前1500年頃のミケーネ文明の出土品である黄金のマスクや印章の数々、壷、などがすばらしい。 有名なアガメムノンのマスクは、エジプトのツタンカーメンのそれのように金色に輝いている。 銀や銅はさびるが、黄金は何千年を経てもその眩い輝きは失わない。そして、ミノス島やナクソス島などエーゲ海の島々から出土されているギリシア彫刻の数々。 ゼウスやアポロンの像、女神アフロディティ、ポセイドン、パンやミノタウロスまで、神々を讃える像の数々や、死者の墓を飾る墓石やレリーフなど、その数の多さとシンプルな造詣美に圧倒される。 「アルカイック」と呼ばれる簡素な造形が、紀元前後になると、その骨格や表情もミケランジェロ並にリアルになる。 このようなアートが、ルネサンス時代に復興される15世紀まで、世の中から姿を消してしまったとすると、中世とはまさに暗黒の時代だと思う。 

  


アテネの中心街の新タグマ広場から、パルテノンの丘のほうに向かってPrakaの古い町並みが広がる。 アテネ市民の朝は早いらしく、 お土産物や食料品店なども、朝8時半くらいから開けている所があるし、早朝の散策者の目を楽しませてくれる。 パルテノン神殿や国立考古学博物館の拝観はいずれも朝8時からと早い。 ギリシャの公務員の勤務時間は、朝7時から午後2時半までで、その後、自宅でゆっくり昼食をとり、昼寝をするらしい。 夕方に家族と過ごしたり、アルバイトの副業をしたりする時間がその後たっぷりある。

翌日は、アテネから東に丘陵のワインディングを走り、マラトン街道を走って、ビザンチン様式の建物のレストランで昼食をとる。 そこからアテネの南に向かいアッティカ地方を走りながら、最南端のスニオン岬をめぐって、Grand Resort Lagonissiに到着。 湾に突き出した小さな半島にコテージやバンガロウを配した贅沢な施設である。  あてがわれたコテージの部屋は、西の海に面し、眼下には、岩と砂浜の小さなプライベートビーチ、そしてその先はエメラルドグリーンの海。 贅沢すぎる風景が目の前に広がる。

翌朝は、5時前に起きて、スニオン岬の突端にあるポセイドン宮殿の史跡までクルマを走らせ、暁の女神Eosが東の海から天空に上るのを拝んだ。 半島の海岸線沿いの道を、オープンにして小気味良いスピードで走ることができた。

ギリシアの太陽、エメラルドグリーンの海、オリーブや果樹の木々が生える大地。 明るくて豊かな自然がそこに来る人間も解放する。 紀元前のはるか昔から、優れた科学、数学、哲学、文学、土木建築学を育み、黄金の装飾品や神々しい大理石の神々を造りだし、富と権力と知が蓄積されて欧州文明の起源となったギリシア。 その魅力は、今もその都市に息づいている。
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