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カラヤン生誕100年に寄せて

2008-06-26 | 音楽
先日、ヨーロッパ出張の帰りの飛行機の中で、タイトルは忘れてしまったが、1908年生まれのカラヤンの生誕100年を記念して作られたドイツのドキュメンタリー映画を見た。20世紀のクラシック音楽界に君臨し帝王と呼ばれた、ザルツブルグ生まれのこの不世出の指揮者は、ドイツ南西の小都市ウルムからキャリアをスタートし、アーヘンの市立歌劇場の音楽監督になったあたりから一躍注目を浴び始めた。戦争が暗い影を投げかけたこの時代、ナチスに入党したり、フルトヴェングラーとの確執など多くの困難にも遭遇しながらも、国家的英雄であった第3代終身音楽監督の死後、54年にベルリンフィルの音楽監督件主席指揮者の地位に就いた。 政治や歴史のうねりが、この大指揮者の人生を絡み取るように見えた時代であったが、ついに世界最高のオーケストラを手に入れた若き巨匠。そして、最晩年には、絶対的不可侵の権威を振るったこの指揮者が、自らの楽器であったベルリンフィルと反目し、亡くなる一年前に辞任するに至るが、80余年の人生で、栄光と挫折をすべて生きたこのマエストロの波乱の人生の軌跡をたどるとき、深い感興に引きずり込まれる。

カラヤンの芸術そのものについては、それがあまりに著名で通俗化したため、高く評価しない風潮もあった。玄人肌の音楽愛好家の間では、かえって敬遠する向きも強かったと思うし、筆者もあまり真剣に聞いて来なかった。その膨大な録音のうちには、いわゆる名演も数え切れないほどあるだろうが、知っているものは僅かだし、1957年の初来日以来、88年まで日本に確か9度も来日しているが、一度も生演奏を聞く機会も持たなかった。しかし、その乏しいカラヤン体験の中でも、愛聴したレコードもある。例えば、秘蔵っ子だったヴァイオリニスト、アンネ・ゾフィー・ムターがまだ15歳のときにベルリンフィルと録音したブラームスのヴァイオリンコンチェルト。艶やかで力強いソロは、とてもteenの演奏とは思えない。「ムターは、世界の(ヴァイオリニストの)3本指に入る。もしかしたら一番かもしれない」とカラヤンはその才能を讃えた、とどこかで読んだ記憶がある。 

また、カラヤンが生涯で17回も録音しているというヴェルディのレクイエムを、ウィーンフィルと学友協会合唱団と85年に入れた演奏。これは、情熱的かつ崇高で、カラヤン自身の白鳥の歌ではないか、と冒頭で紹介した映画にもあった。それから、78年頃にベルリンフィルと録音されたフォン・シュターゼの歌うドビュシーの「ペレアスとメリザンド」のレコードも好きだった。吉田秀和氏は、「ワーグナー、シュトラウスの19世紀に、これほど猥雑から遠いオペラが可能だったとは信じがたい、メリザンドなどまるで溜息をついているだけのようだ」とこの独創の天才のオペラを讃えていたが、このレコードを聴くと、まさに静寂の中でメリザンドやペレアスやゴローは、ささやき合っているだけのようだ。 もちろん、こんなのはほんの一部であって、その膨大なレコードの中には、バッハやベートーベン、ワーグナーやヴェルディ、モーツアルトのオペラなど、名演は山ほどあるのだろう。

カラヤンの演奏の特徴は、そのレガート奏法にあると吉田氏は指摘しているが、10年ほど前に世界的大ヒットのCDとなった「アダージョ」は、正にそうしたカラヤンの線と色彩の織物の佳品を集めたものだった。 冒頭のマーラー5番の甘美な「アダジェット」は、ヴィスコンティの「ヴェニスに死す」の映像を思い出さずに聞くことは不可能だし、「G線上のアリア」を聴くと、昔、大学生のときに見た「フルトヴェングラーと巨匠達」というタイトル(?)の映画の最後で、カラヤンが仇敵でもあったこの巨匠を偲んでこの曲を指揮する映像があったのを思い出す。ゆったりとしたテンポで、音符一杯のレガートで連綿と流れる旋律は、甘美で、葬式には相応しくないと思われたが、カラヤンの美意識が凝縮された映像だった。

カラヤンにとって音楽は、まず美しくなければならなかったのだろう。よく唄う旋律と均整がとれて鳴リ渡る和音。微弱音から最強音まで完璧に統御されたダイナミクスとテンポ。 どれを聞いても、そこには飛び切り豪華で成熟した音の伽藍が構築される。その芸術は、ダヴィンチなのか、ラファエロなのか。もしかしたら制作するごとに全く新しい世界を創造したように思えるミケランジェロに近かったのか。カラヤンの演奏は、何を聞いてもまず間違いがないと想像できるし、フルコースのフランス料理か本格懐石といった贅沢をさせてくれるものなのだろう。一方でその高カロリーゆえに、モーツアルトの交響曲などは、甘ったるく重くなりすぎた嫌いもあるが。

幻冬舎新書でしばらく前に出た「カラヤンとフルトヴェングラー」は5万部も売れているようだし、その続編として最近出た「カラヤン帝国興亡史」もあわせて読んで、カラヤンの生涯と演奏を辿ることは、存外に楽しかった。この本は、音楽的批評は一切なくて、いついつの年にカラヤンは何処何処でどのオケを何回振ったとか事実考証に徹しているし、その中にはフルトヴェングラーがナチの宣伝相だったゲッペルスの懇請にも関わらず、ヒトラーの誕生日に演奏することを必死に避けようとしたことだとか、戦後、非ナチ化の裁判で、ヒトラーに不本意ながら協力した形になったことについてトーマス・マンに書いた弁明の手紙だのが出てきて、歴史ののっぴきならぬ現場にこれらの巨匠たちが居合わせ、緊迫した場で名演奏を生み出していたことがわかって、興味をそそる。

今、CD屋に行けば、カラヤンの特設コーナーにいろんな歴史的録音の新譜が所狭しとならんでいる。渋谷のある店に足を運ぶと、88年のカラヤン最後の東京公演のCDがグラムフォンから出ていた。5月の初めにサントリーホールや文化会館で4日ほど演奏したらしく、既に3枚目まで出ていたが、ブラームスの1番のあの悲壮感溢れる出だしをちょっと視聴して、その巨大なうねりのような弦の重奏、ホールを満たすフォルテッシモの音響の壮麗さに圧倒された。未だ実演に接したことはないが、ベルリンフィルはやはり世界一のオーケストラなのか。磨き上げられた一人ひとりの演奏者の技が、一人の指揮者の下で束ねられ、一個の完璧な楽器として鳴るとき、日常を超越した偉大なモーメントが誕生する。ベルリンフィルには、カラヤン後、アバドが10年、今はラトルが主席に座るが、20世紀の帝王のようには君臨していないようだ。ベルリンフィルの優越とカリスマは、やはり帝王が存在してのみ可能だったのだろうか。最近の事情に全く疎いので、私には見当がつきかねるが、カラヤン生誕100年が日本では結構盛り上がっている様子だし、音楽ファンは、帝王やそのライヴァルだったかつての巨匠達の時代を、最新の技術で復刻された録音でたどりながら、過ぎた歴史とともに回顧することを楽しんでいるのかもしれない。



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