日本の近代文学に大きな足跡を残した中原中也や小林秀雄、大岡昇平といった雲上の人たちの交わりについて、吉田氏の文章を通じて私達は伺い知ることができた。 小林秀雄にも「中原中也の思い出」という亡き友であり詩人を追悼する美しい小文があるが、吉田氏のそれは、より生身の人間くさい中也の描写になっていて興味深い。 中原が吉田氏が持っていた金を当てにバーに一緒に飲みに行き、女給のチップ分がないと言って腹を立てたり、小林秀雄の家に行き、出来たばかりの詩を見せて、「うまくなったね」と言われて憤慨する場面など、誠実な吉田氏の文章からのみ明かされる挿話ではないか。
「ああ、ボーヨー、ボーヨー」、
「ボーヨーてなんだ」、
「前途亡羊さ」
と嘆く「生まれながらの詩人の肉体を理解することの辛さを感じた」という小林(「中原中也の思い出」) 春の鎌倉で海棠の名木の花が散るのを二人眺めていた、小林があれは「散らせているのだ、なんという注意力」と思った瞬間に、「もういいよ、帰ろうよ」と立ち上がった中原。「相変わらずの千里眼だな」と吐き出すようにいう小林、という有名な描写。 この作品は、中原中也の追悼と批評が美しく結晶した傑作であることは疑いもないが、小林秀雄一流の風雅な創作が背後にある、と見た人もいる。 吉田氏の文章は同じ中原を扱っても、まったく別種のものだ。
昨日の番組の中で、戦後すぐに発表されて評判になった小林の「モーツアルト」を、吉田氏が「とても精巧に出来たもので、言葉による音楽評論の可能性を示した」としながらも、そこには音楽への本当の至誠がない、とでもいう風に言葉を選ぶのにやや苦労しながら語ったのは印象的だった。 「あんなに話しがあちこちにすぐにすっ飛んでいっては、、、。(間) カデンツァがない」といった氏の本意は私には十分に理解できたとはいえないが。 吉田氏の評論には、楽譜が出てくる。 音楽にあくまでも忠実に、例えばモーツアルトの音階の魅惑の秘密を解き明かしている。 その楽譜は、吉田氏が万年筆で自書し、原稿に切り貼りしたものだ。 すべて芸術は手作りですよ、と氏は言う。
吉田氏は高等学校の頃、ニーチェの「悲劇の誕生」を読んで、音楽と言葉を結びつける仕事の可能性を最初に感じたという。 言葉と音楽が一体になった「楽劇」を生んだヴァーグナーに触発されたニーチェの著作がそれを啓示した。 先の「LP300選」では、「ヴァーグナーは、西欧近代300年の音楽の重みを根本から掴む鍵である。 誰よりもモーツアルトと対蹠的な世界だが、それに劣らぬまた、一つの世界だ」とこの作曲家の章を結んでいる。
吉田氏が、文学よりも絵画よりもより音楽に惹かれたのはなぜか、時々考える。 古今の文学や哲学をもよく読書し、絵画にも造詣の深い吉田氏が音楽批評の道に入ったのはなぜか。 もちろん、それは自分の天分がそれを一番善しする、と感じたからであろう。 死の床で、一番好きな文学と音楽のどちらかを選べといわれたら、氏はなんと答えるのか。 40代で世界の名曲300曲を選んだ氏は、世界の300書をまだ選ぶ力はまだ自分にはない、と当時どこかで書いていたように思う。
長男を失った中原中也が、「愛するものが死んだときには、」という美しい詩を詠みながら、「詩」と「死」は同じなんだ、とつぶやいたという。 「ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」という古今集の名歌に、先のパッサカリアの節をつけて歌っていたという中也と多分兄弟のように付き合ったような吉田氏。 「死」と「詩」、「愛」と「死」、そして「音楽」は同じものを根っこに持っているんだ、という氏の言葉に私もなんとなく共感を覚える。
吉田氏は、2003年に50年以上連れ添ったドイツ人の妻、バーバラさんを亡くした。 しばらくは全く仕事をやる気がしなかったという。 古今の愛する大音楽家の曲さえも疎ましいほどに落ち込んだそうだ。 そのときでさえ、バッハだけは邪魔しなかったという。 吉田氏の一番最近の音楽時評には、「たとえこの世が不条理だとしても」というタイトルがつけられている。 番組の最後のほうで、最愛の妻を亡くしたときも、バッハを聴いていると、「たとえこの世が不条理だとしても、世の中にも何か宇宙の秩序といったものが存在するのではないか」といった気がしてくる、と氏は語っていた。 そして、そう語る吉田氏の後ろでは、氏が「一生聴くにたえる演奏」と推してライナーノーツを書いたリヒテルの弾く「バッハの平均律」第一巻の最後にある、あの夢幻の宇宙のようなプレリュードが流れていた。(完)
「ああ、ボーヨー、ボーヨー」、
「ボーヨーてなんだ」、
「前途亡羊さ」
と嘆く「生まれながらの詩人の肉体を理解することの辛さを感じた」という小林(「中原中也の思い出」) 春の鎌倉で海棠の名木の花が散るのを二人眺めていた、小林があれは「散らせているのだ、なんという注意力」と思った瞬間に、「もういいよ、帰ろうよ」と立ち上がった中原。「相変わらずの千里眼だな」と吐き出すようにいう小林、という有名な描写。 この作品は、中原中也の追悼と批評が美しく結晶した傑作であることは疑いもないが、小林秀雄一流の風雅な創作が背後にある、と見た人もいる。 吉田氏の文章は同じ中原を扱っても、まったく別種のものだ。
昨日の番組の中で、戦後すぐに発表されて評判になった小林の「モーツアルト」を、吉田氏が「とても精巧に出来たもので、言葉による音楽評論の可能性を示した」としながらも、そこには音楽への本当の至誠がない、とでもいう風に言葉を選ぶのにやや苦労しながら語ったのは印象的だった。 「あんなに話しがあちこちにすぐにすっ飛んでいっては、、、。(間) カデンツァがない」といった氏の本意は私には十分に理解できたとはいえないが。 吉田氏の評論には、楽譜が出てくる。 音楽にあくまでも忠実に、例えばモーツアルトの音階の魅惑の秘密を解き明かしている。 その楽譜は、吉田氏が万年筆で自書し、原稿に切り貼りしたものだ。 すべて芸術は手作りですよ、と氏は言う。
吉田氏は高等学校の頃、ニーチェの「悲劇の誕生」を読んで、音楽と言葉を結びつける仕事の可能性を最初に感じたという。 言葉と音楽が一体になった「楽劇」を生んだヴァーグナーに触発されたニーチェの著作がそれを啓示した。 先の「LP300選」では、「ヴァーグナーは、西欧近代300年の音楽の重みを根本から掴む鍵である。 誰よりもモーツアルトと対蹠的な世界だが、それに劣らぬまた、一つの世界だ」とこの作曲家の章を結んでいる。
吉田氏が、文学よりも絵画よりもより音楽に惹かれたのはなぜか、時々考える。 古今の文学や哲学をもよく読書し、絵画にも造詣の深い吉田氏が音楽批評の道に入ったのはなぜか。 もちろん、それは自分の天分がそれを一番善しする、と感じたからであろう。 死の床で、一番好きな文学と音楽のどちらかを選べといわれたら、氏はなんと答えるのか。 40代で世界の名曲300曲を選んだ氏は、世界の300書をまだ選ぶ力はまだ自分にはない、と当時どこかで書いていたように思う。
長男を失った中原中也が、「愛するものが死んだときには、」という美しい詩を詠みながら、「詩」と「死」は同じなんだ、とつぶやいたという。 「ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」という古今集の名歌に、先のパッサカリアの節をつけて歌っていたという中也と多分兄弟のように付き合ったような吉田氏。 「死」と「詩」、「愛」と「死」、そして「音楽」は同じものを根っこに持っているんだ、という氏の言葉に私もなんとなく共感を覚える。
吉田氏は、2003年に50年以上連れ添ったドイツ人の妻、バーバラさんを亡くした。 しばらくは全く仕事をやる気がしなかったという。 古今の愛する大音楽家の曲さえも疎ましいほどに落ち込んだそうだ。 そのときでさえ、バッハだけは邪魔しなかったという。 吉田氏の一番最近の音楽時評には、「たとえこの世が不条理だとしても」というタイトルがつけられている。 番組の最後のほうで、最愛の妻を亡くしたときも、バッハを聴いていると、「たとえこの世が不条理だとしても、世の中にも何か宇宙の秩序といったものが存在するのではないか」といった気がしてくる、と氏は語っていた。 そして、そう語る吉田氏の後ろでは、氏が「一生聴くにたえる演奏」と推してライナーノーツを書いたリヒテルの弾く「バッハの平均律」第一巻の最後にある、あの夢幻の宇宙のようなプレリュードが流れていた。(完)
高校時代からの30数年に渡る吉田秀和ファンの僕にとって、奥様を亡くされてから執筆する気力を失っていた吉田さんのことがとても心配でしたが、すっかり元気を取り戻された姿に接して、自分のことのように嬉しかった。
リヒテル演奏の「平均律」も購入しました。