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yasuの「今日もブログー」

日々に感じ、考えたことを記していきます。読書、メディア、時事などイロイロです。

NHKドキュメンタリー 「3月11日のマーラー」

2012-03-11 | 東日本大震災

昨日、10日間の海外出張から帰ってきた。 
そして今日は、東日本大震災から一周年。 TVやラジオは一日中、特別番組をやっている。 津波や悲惨な被災地の映像はもう何度も繰り返し見たくはないし、被災者にマイクを向けて、悲しみを言葉にするよう迫る様子は見たいとは思わない。直接の被災者でない我々に今出来ることは、犠牲者を哀悼し、今なお深い悲しみに暮れ、家族や故郷から引き離されて苦しい生活を余儀なくされている人たちへの同情と支援の気持ちを忘れないことだ。

 

その気持ちは、政府主催で国立劇場で行われた追悼式でも、野田総理ら政府関係者からも語られてはいた。 心臓のバイパス手術を受けて、以前より顔色がむしろ良いようにみえた天皇陛下の声は、心なしか少し震えていたように聞こえた。 陛下自身、強く出席を臨まれたこの式典であり、被災者の追悼と復興が軌道に乗るまでは、元気でいたいというお心があってのバイパス手術の決断だったようにも思える。 

 

式典の中で、最も心を打ったのは、岩手、宮城、福島の被災者代表の言葉だった。特に、宮城の女性は、結婚して孫が生まれる直前に愛する23歳の息子と幼い娘を失った母親の方で、聞いているのがつらくなるほどだった。 

 

大変立派な追悼式だったが、あのような立派な献花に飾られたステージや追悼の言葉の数々は、今回の震災の一周年の式典としてやや違和感があったのも事実だ。 毎年8月15日に行われる戦没者追悼式と同じような壮麗な追悼式が本当に相応しかったのか。 記憶の中の出来事とするには、被災者の悲しみはまだ生生しく、苦しみは続いている。

 

そんな中で、昨晩11時からNHKが放送した「3月11日のマーラー」は、途中から見たのだが、心を打つものだった。 あの日、墨田区のトリフォニーホールで予定されていた新日本フィルの定期演奏会は、震災発生にもかかわらず決行された。 地域に密着したオーケストラなればこそ、ファンのために決行された演奏会にはわずか105人の観客しか来なかった。 バスも電車もなく、徒歩で2時間以上かけてかけつけたのは、本当に演奏会を楽しみにしている地元のお年寄りだったりした。 

 

まばらな客席で、一人で100人分の音楽を聞き取ろうと懸命になった観客たち。 もちろん演奏者も、こんな非常時に音楽など演奏していいものか、誰もが自問自答し、4時過ぎのゲネプロでも、動揺が広がっていたという。 だが、若干36歳のイギリスの指揮者のハーディングは、通常と全く同じ調子でリハーサルを行い、今晩は演奏するのだという決意が、やがて楽団の一人ひとりに浸透したという。 

 

演目は、マーラーの5番シンフォニー。 第一楽章はホルンのA音のソロから始まる。 この難度の高い出だしを首席ホルン奏者が見事に吹いたとき、被災地に肉親を持つ動揺していた奏者の一人は、肉親の安全を確信したという。

 

番組は、奏者と観客の双方への複数のインタビューで構成され、一人ひとりがあの時、音楽を弾いたり、聴いたりする意味を問い、不安に駆られながら、演奏会に臨んだことが伝えられた。 演奏会後、何ヶ月もあの日、音楽を聴いたことを誰にも言えなかったと告白する年配の女性もいた。 

 

第4楽章のアダジエットは、昔、ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」で有名になり、しばらく前にカラヤンのCDでミリオンセラーになった有名な曲だが、ブランウン管越しに聴こえてくるそのライブの音源を一部聴くだけで、異常なほどの集中から迸る音楽の力が感じとれるようだった。 マーラーが恋人のアルマに求婚するために贈ったという甘美なアダジェットは、「祈り」の音楽に姿を変えていた。 

 

「演奏は素晴らしかった。でも現実がそれでどうなるものでもない」、と番組のマイクに複雑な心を吐露する仙台出身の奏者もいたが、ほとんどの演奏者が、今自分に出来ることは、全力で演奏して被災者への同情の念を精一杯表現することだと、確信して演奏したようだった。 

 

楽団員にも観客も、自問しながら決行された演奏会は、音楽を演奏したり聴いたりする意味を全身で感じる(生きる)生涯忘れぬ経験となった。 ずっと3.11に演奏会に行ったことを言えなかった女性は、指揮者のハーディングが、何ヵ月後かに楽団とファンに寄せたレターにあった言葉によって救われたという。 「あの日、演奏することで現実を変えることはもちろん出来ません。しかし、音楽は、苦しみの大きさを理解するための助けになります。 あの日マーラーの5番を聴いたことで、被災した人たちの痛みをより深く理解できるようになれたのでは、と自分に言い聞かせています。」 

 

あの日、演奏会を実施する決定には賛否両論もあるだろう。 決定時点では、まだ大震災の被害の全容は明らかになっていなかったから、中止していれば、奏者と観客が音楽や演奏することの意味について、これほど深く考え、悩み、一生忘れることのない経験をすることも決してなかっただろう。 誰も、犠牲者や被災者の悲しみや苦しみに取って代わることは出来ないし、唯一できることは、それらを少しでも分かち合う心を持つことであるとしたら、このドキュメンタリーは、95人の演奏家と105人の観客の特別な経験を通して、音楽の意味を全身全霊で伝えてくれたことは間違いない。 

 


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