20世紀はアメリカの世紀であり、その繁栄の象徴は石油と自動車だった。栄華を誇ったアメリカ自動車産業が今まさに倒壊の危機にあるが、それが最初に遭遇した試練は、70年代の2回のオイルショックと日本車の台頭であった。 2007年に自動車事故で惜しくも亡くなった稀有なジャーナリスト、デイビット.・ハルバースタムは、1986年に名著「覇者の奢り(The Reckoning)」を著わしたが、その執筆のきっかけは、石油危機を背景に品質と燃費に優れた日本車がアメリカ市場で台頭し、79年から82年まで続いた深刻な自動車クライシスに瀕したデトロイトの巨人達がよろめき、その独占的市場支配が揺らぐのを目の当たりにしたからだった。
5年間に渡り数百人の日米の関係者にインタビューを行って書き上げられたこの作品は、1908年のT型フォードの大量生産に始まる自動車の世紀の歴史を、アメリカ側をフォードに、日本側は日産に材を求め追いかけたものだ。 会社の存続をかけた日産の1953年の労働争議はこの著作によって始めて後の世代に広く知られるようになり、巨大企業となったフォードの社内権力闘争(特にH.フォード2世とアイアコッカの確執)は、異様な臨場感を持って迫ってくる。 自動車に賭けた男達のドキュメントとしてもちろん血沸き肉踊る面白さだが、一貫して流れるのは、アメリカ自動車産業の凋落の不可避を感じとった著者の冷静な分析と歴史把握である。
この本が出た86年は、自動車を筆頭とする日米貿易摩擦の緊張がピークに達し、プラザ合意による円高ショックで産業界が動揺している時期だった。 円高を嫌い、アメリカでの現地生産に次々に踏み切った日本の自動車メーカーと部品産業は、製品のスタイリングとパフォーマンスに磨きをかけ、次第に小型車から上級車にシフトしていき、ついに90年にレクサスやインフィニティー、アキュラというプレミアムブランドを投入するに及んで、信頼性とブランドロイヤルティーでデトロイトをさらに引き離していった。 20数年たった今この本を読み返すと、今日のデトロイトの衰退は既にこの時に始まり、アメリカの自動車メーカーが、燃費の良い小型車で利益を出す体質の構築や技術革新への本質的な改革を継続せず、韓国や日本の中堅メーカーとの提携や買収で凌ごうとしたことが、今日の時代の変化への対応力を弱めたことがわかる。GMはスズキやいすゞ、大字と、フォードはマツダと、クライスラーはサムソンや三菱との提携で、小型車を調達する方向に向かったが、それは次世代のクルマのコア技術を社外に依存する結果を招いた。
80年初頭の危機によって、「品質」がまさに最重要課題であることをBig3は認識はしたが、既に製造現場を知らないMBA出身のスマートな財務屋が主導権を握っていたGMやフォードのマネジメントは、地道なプロセス改善でなく、先端技術すなわち「ロボット」でもって日本との労務コストの差を埋めようとした、と著者は言う。1983年に発表された壮大なGMのサターンプロジェクトさえも、「資本」と「テクノロジー」優先の解決と映ったようであり、「あたかもベトナム戦争で高価な最新兵器で敵を掃蕩しようとした米軍の方法論」と同一であると見えたようだ(これにはいささか異論はあるが。) してみれば、現在GMやクライスラーが、電気自動車やプラグインハイブリッド車で今日の低迷から一挙に脱出し、復活できるかのように振舞うのは、まさに当時のロボットと自動化への狂騒の再現であるとも言える。 電気自動車はまだ完成された技術ではなく、今すぐにビッグ3を救うことができる武器ではないのだ。
正月から約2ヶ月をかけて、20年以上前に買って読みさしたままだったこの本を、原書で一章ずつ味わいながら読み進んだが、ここに書かれている時代の只中にいた当時は、あまり関心を引かなかった部分も、今は面白く読めた。戦後直後の日本の社会状況を伝える日産のストライキの経緯と顛末は、戦後の労働者や左翼運動の雰囲気を直に伝えてくる。 50年代から60年代はビッグ3の隆盛の時代であったが、これらの巨人的企業のボードルームは、根っからのクルマ屋の手から、東部の一流大学でMBAをとった財務畑のWiz Kids(後に国防長官になったロバート・マクナマラやフォードの財務統治を完成させたエド・ランディといった人達)による統治に静かに移行していった。 大胆な商品や新技術の開発に対し保守的になり、競争のない環境下でGMを中心に一種の独占の共有(shared monopoly)というべき状況が生まれていた。野心的なアイアコッカが、フォード二世の寵児として組織の頂点に上り詰めていいきながら、次第にこの気難しくなっていく最高権力者から疎んじられ、ついに解雇されるまでのドラマなど、今振り返ってみるからこそ客観的に眺められ、過去と現在の出来事の関連性が深い意味を啓示する。
著者は、この時点で既に、優秀な若い財務屋がベテランの工場長や開発者を押しのけて権力を強化し、新しい技術や工場の設備の更新に投資する代わりに(そうした高価な投資を出来るだけ先延ばしにしながら、)短期の業績と株価の向上を最優先するアメリカの資本主義を憂えている。 有名大学の校長たちは、優秀な人材が「物作り」でなく、ウオールストリートの投資銀行に流れていると早くも嘆いている。つまり、アメリカの自動車産業は、30年近く前に既にその構造的な欠陥を露呈しながら、崩壊への道を歩み始めていたのだと納得される。
90年-91年にかけてビッグ3は二度目の深刻な危機に陥った。このときは、アメリカの景気の回復に後押しされ、また自らの品質や開発プロセスの改善の効果もあって徐々に立ち直っていった。 だが、本質的な競争力の回復に取り組み続けるのを結果的に疎外したのは、IT革命とグローバル経済の到来であり、「ニューエコノミー」を創出した金融資本主義の爆発的な発展だった。 ビッグ3は、小型車開発や基礎技術の強化よりも、大型のSUVやピックアップトラックのもたらす多大な利益に依存する体質に逆戻りした。 中国やブラジルといったBRICSで素早い展開を行い、新興市場で先駆者利益を得ることで、2000年前後には、日本やアジアの自動車メーカーを参加に治める力を見せた時期もあったが、その事業の根幹であるアメリカ市場でのシェアは下がり続けた。80年に45%あったGMのシェアは、10年ごとに10%ずつ下がり、今は20%を少し超えるに過ぎない。
この本が読者の胸を強く打つのは、日本とアメリカという、戦争の結果、圧倒的な勝者と惨めな敗者として50年前にスタートした両国が、一方は長く繁栄を謳歌しつつ次第に忍び寄る衰退の影に無力であり、他方は絶望的貧困から這い上がり、短期間に未曾有の発展を遂げてついに新たな覇者として登場した、その推移を著者が冷徹かつ克明に捉えているからだろう。 700ページになんなんとするこの自動車産業興亡史の中には、著名なCEOや指導者だけでなく、無名のワーカー達も少なからず登場する。 自動車にかかわってきた何千何万というそうした無名の人々のドラマに思いを馳せながらこの本を丹念に読めば、名作“The Best and Brightest”に劣らぬ知的な感動と余韻を読者に残すことは間違いない。未曾有の自動車危機が叫ばれる今こそ学べる多くの教訓がこの本にはある。
5年間に渡り数百人の日米の関係者にインタビューを行って書き上げられたこの作品は、1908年のT型フォードの大量生産に始まる自動車の世紀の歴史を、アメリカ側をフォードに、日本側は日産に材を求め追いかけたものだ。 会社の存続をかけた日産の1953年の労働争議はこの著作によって始めて後の世代に広く知られるようになり、巨大企業となったフォードの社内権力闘争(特にH.フォード2世とアイアコッカの確執)は、異様な臨場感を持って迫ってくる。 自動車に賭けた男達のドキュメントとしてもちろん血沸き肉踊る面白さだが、一貫して流れるのは、アメリカ自動車産業の凋落の不可避を感じとった著者の冷静な分析と歴史把握である。
この本が出た86年は、自動車を筆頭とする日米貿易摩擦の緊張がピークに達し、プラザ合意による円高ショックで産業界が動揺している時期だった。 円高を嫌い、アメリカでの現地生産に次々に踏み切った日本の自動車メーカーと部品産業は、製品のスタイリングとパフォーマンスに磨きをかけ、次第に小型車から上級車にシフトしていき、ついに90年にレクサスやインフィニティー、アキュラというプレミアムブランドを投入するに及んで、信頼性とブランドロイヤルティーでデトロイトをさらに引き離していった。 20数年たった今この本を読み返すと、今日のデトロイトの衰退は既にこの時に始まり、アメリカの自動車メーカーが、燃費の良い小型車で利益を出す体質の構築や技術革新への本質的な改革を継続せず、韓国や日本の中堅メーカーとの提携や買収で凌ごうとしたことが、今日の時代の変化への対応力を弱めたことがわかる。GMはスズキやいすゞ、大字と、フォードはマツダと、クライスラーはサムソンや三菱との提携で、小型車を調達する方向に向かったが、それは次世代のクルマのコア技術を社外に依存する結果を招いた。
80年初頭の危機によって、「品質」がまさに最重要課題であることをBig3は認識はしたが、既に製造現場を知らないMBA出身のスマートな財務屋が主導権を握っていたGMやフォードのマネジメントは、地道なプロセス改善でなく、先端技術すなわち「ロボット」でもって日本との労務コストの差を埋めようとした、と著者は言う。1983年に発表された壮大なGMのサターンプロジェクトさえも、「資本」と「テクノロジー」優先の解決と映ったようであり、「あたかもベトナム戦争で高価な最新兵器で敵を掃蕩しようとした米軍の方法論」と同一であると見えたようだ(これにはいささか異論はあるが。) してみれば、現在GMやクライスラーが、電気自動車やプラグインハイブリッド車で今日の低迷から一挙に脱出し、復活できるかのように振舞うのは、まさに当時のロボットと自動化への狂騒の再現であるとも言える。 電気自動車はまだ完成された技術ではなく、今すぐにビッグ3を救うことができる武器ではないのだ。
正月から約2ヶ月をかけて、20年以上前に買って読みさしたままだったこの本を、原書で一章ずつ味わいながら読み進んだが、ここに書かれている時代の只中にいた当時は、あまり関心を引かなかった部分も、今は面白く読めた。戦後直後の日本の社会状況を伝える日産のストライキの経緯と顛末は、戦後の労働者や左翼運動の雰囲気を直に伝えてくる。 50年代から60年代はビッグ3の隆盛の時代であったが、これらの巨人的企業のボードルームは、根っからのクルマ屋の手から、東部の一流大学でMBAをとった財務畑のWiz Kids(後に国防長官になったロバート・マクナマラやフォードの財務統治を完成させたエド・ランディといった人達)による統治に静かに移行していった。 大胆な商品や新技術の開発に対し保守的になり、競争のない環境下でGMを中心に一種の独占の共有(shared monopoly)というべき状況が生まれていた。野心的なアイアコッカが、フォード二世の寵児として組織の頂点に上り詰めていいきながら、次第にこの気難しくなっていく最高権力者から疎んじられ、ついに解雇されるまでのドラマなど、今振り返ってみるからこそ客観的に眺められ、過去と現在の出来事の関連性が深い意味を啓示する。
著者は、この時点で既に、優秀な若い財務屋がベテランの工場長や開発者を押しのけて権力を強化し、新しい技術や工場の設備の更新に投資する代わりに(そうした高価な投資を出来るだけ先延ばしにしながら、)短期の業績と株価の向上を最優先するアメリカの資本主義を憂えている。 有名大学の校長たちは、優秀な人材が「物作り」でなく、ウオールストリートの投資銀行に流れていると早くも嘆いている。つまり、アメリカの自動車産業は、30年近く前に既にその構造的な欠陥を露呈しながら、崩壊への道を歩み始めていたのだと納得される。
90年-91年にかけてビッグ3は二度目の深刻な危機に陥った。このときは、アメリカの景気の回復に後押しされ、また自らの品質や開発プロセスの改善の効果もあって徐々に立ち直っていった。 だが、本質的な競争力の回復に取り組み続けるのを結果的に疎外したのは、IT革命とグローバル経済の到来であり、「ニューエコノミー」を創出した金融資本主義の爆発的な発展だった。 ビッグ3は、小型車開発や基礎技術の強化よりも、大型のSUVやピックアップトラックのもたらす多大な利益に依存する体質に逆戻りした。 中国やブラジルといったBRICSで素早い展開を行い、新興市場で先駆者利益を得ることで、2000年前後には、日本やアジアの自動車メーカーを参加に治める力を見せた時期もあったが、その事業の根幹であるアメリカ市場でのシェアは下がり続けた。80年に45%あったGMのシェアは、10年ごとに10%ずつ下がり、今は20%を少し超えるに過ぎない。
この本が読者の胸を強く打つのは、日本とアメリカという、戦争の結果、圧倒的な勝者と惨めな敗者として50年前にスタートした両国が、一方は長く繁栄を謳歌しつつ次第に忍び寄る衰退の影に無力であり、他方は絶望的貧困から這い上がり、短期間に未曾有の発展を遂げてついに新たな覇者として登場した、その推移を著者が冷徹かつ克明に捉えているからだろう。 700ページになんなんとするこの自動車産業興亡史の中には、著名なCEOや指導者だけでなく、無名のワーカー達も少なからず登場する。 自動車にかかわってきた何千何万というそうした無名の人々のドラマに思いを馳せながらこの本を丹念に読めば、名作“The Best and Brightest”に劣らぬ知的な感動と余韻を読者に残すことは間違いない。未曾有の自動車危機が叫ばれる今こそ学べる多くの教訓がこの本にはある。