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秋、雑感。

2011-09-21 | 雑感, ブログ

 四国あたりまではゆっくりだったが、日本列島周辺に来ると急にスピードを上げ、浜松に上陸したら時速60キロくらいにスピードアップして、一気に関東を抜けた。 首都は、瞬間風速40mを越す暴風雨に電車もバスも止まって、また帰宅困難者がしばらく駅に溢れた。 もう12時間早く会社を後にすればいいものを(現に学校は2時限以降休校したので、娘は昼には帰宅した。私は一日自宅で仕事をした。)相変わらず防災意識の欠如なのか、予知能力にかけているというか、長い間大きな災害に縁のなかった関東の人間はそうなってしまっているのかもしれない。

 

昨日の新聞には、辞めた菅直人前首相の原発事故対応の回顧(というのもまだ変だが)インタビューが出ていた。メルトダウンについては、情報が十分に官邸に上がっておらず当初判断できなかったとか、一時は東京都民の避難も想定したとか色々としゃべっているが、Speedyの情報公開の遅れや、炉心溶融の可能性を官邸も封印に回っていたとの疑念は消えない。 原発見直し政策も結局独り相撲で野田内閣への申し送りもないから、今週IAEAで演説した細野原発担当大臣も、NYでクリントンと外相会談をした玄葉外相も含め、原発の早期再始動をあからさまに唱え始めている。今国民投票をしたら、間違いなくNOが出るはずなのに。 大江健三郎や坂本龍一が声をかけて6万人の反原発集会も行われたというのに。この国のメディアは行政の顔色を伺いながら、事故の報道は日に日に小さくなり、すでに原発容認路線を追認しようとしている。 変わることを厭うこの国の組織の硬直ぶりはどうだ。 野田内閣は、原発政策を見直すことはすまいし、行政改革もできず、復興の名を借りた増税だけを通す内閣となるのか。

 

話変わって、久しぶりに文芸春秋を買って読んだ。国会で除染の緊急性を熱烈に唱えた東大アイソトープ研の児玉所長や、水俣病の写真報道で有名な日系アメリカ人ジャーナリスト アイリーンスミスなどが寄稿している。 TVや大新聞の報道に全く飽き足らない読者を対象にする週刊誌や月刊誌の方がまだまともだと思える。 その中でたまたま後ろの方の記事の中に見つけた、スポーツジャーナリストの二宮清純が書いていた「プロ野球伝説の検証⑤ 江川の投じた最速の一球」は懐かしく読んだ。 

 

38年前になる1973年、夏の甲子園2回戦の雨の延長戦で、銚子商業に押し出しの四球を与えてあっけなく破れた江川の投球は中学生の私もどこかでTVで見ていた(母親の里の家だったような気もする。) 雨で滑ってすっぽ抜けたように高めに外れたあの一球は、江川が甲子園のマウンドの最後の一球と覚悟して投じた渾身のストレートだったとこの記事で知った。「今でもあのボールは気に入っているんです。指にかかったいいボールでした。百マイル(160キロ)は出ていたんじゃないかな。ただストライクではなかった。そういうことでしょう」と江川が振り返っている。

 

そんな昔のたった一球を明晰に覚えていることも驚きだが、その年の選抜で63三振を奪った(この記録は未だに破られていない)不敵な怪物高校生が、一死満塁、カウント23の場面で、コントロールでなく一番早い球を投げることを選択したことに、一瞬にかけるスポーツの燦然とした輝きがある。江川の球は高校2年の秋が一番速かったと、作新学院の女房役だったキャッチャーが証言している。  

 

プロでも剛速球投手といわれた人は沢山いるが、私が本当に速いと思ったのは、江夏と江川。 江夏のほうが球速は上だったかもしれないが、江川のストレートにはホップするような伸びとキレがあった(球種もストレートとカーブのみでコントロールも良かった。)松坂もダルビッシュもその領域にはいたっていないと思える(巨人V9時代の堀内も速かったけれど。) 残念ながら、YouTubeの高校時代の江川の映像は、著作権の侵害とやらで削除されていた。 一種のアンチヒーローだった高校時代の江川の「最速の一球」をもう一度見てみたいと思ったのだが。

 

 

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