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「俺に似た人」   平川克美 著

2013-06-30 | 読書(芸術、文学、歴史)

父親の介護から、その最後を看取った息子の話である。

今の時代、どこにでもありそうな話であり、あえてノンフィクションや小説にするほどの珍しさがないと思われる分、逆に介護とはいかなるものか、親を看取るとはどういう経験なのかを教えてくれた。 

 

両親は大田区に、「俺」は世田谷区に住んでいるからそう遠くではない。月に一回程度帰る実家には次第にゴミやガラクタが増えて、「俺」も親が無気力になっているのを薄々と感じていた。 或る日、母親はちょっと躓いた拍子に大腿骨の粉砕骨折をして入院。 手術をするが病院から出られなくなり、最後は末期がんが見つかってあっけなく亡くなってしまう。 その母の死を境に、弱ってきた父親を介護するために実家を改装して移り住んだ息子と父の介護の日々。 しかし、それは一年半の短さで終わった。 食べることと、風呂に入ることしか愉しみのなくなった父親。 ちょっとした風邪から肺炎になり、見る間に重篤になる年老いた人間の脆いからだ。

 

入院してはせん妄が現れ、最後は下の世話や鼻腔栄養をしなければ生命を維持できなくなる。技術が進歩したおかげで生きながらえることはできても、未来に希望のない人間は次第に生きる気力を失っていく。リハビリをしても、確実に衰えていく父は寡黙だが、一度か二度だけ「これでも頑張って生きているんだ」「つらいんだ」とつぶやく。 

 

やがて「俺」は、「変化はその兆候が表れた時は既に終わっている」ことを悟る。 入退院を繰り返すうちに、次第に外界やテレビにさえ関心を失っていく父が、向こう側に行く時が近づいていることを感じ取る。 危篤から一度は脱した父は、二度目には長くはなかった。 病院から連絡を受けた「俺」が、職場からクルマを運転して多分小一時間であろう道のりを到着するのを待つことなく、旅立ってしまう。 「俺」の介護と父との最後の日々はこうして終わる。

 

いまどき、病院も足腰の立たなくなった年寄りをずっと置いてはくれない。子供も親の面倒を付き添って見れる人は少ない。 デイケアセンター利用や介護士の訪問を受けながら、最後の日に向かってやるせない日々を送るかつて壮健だった無数の親たち。それは、だれにも訪れる人生の黄昏だ。その時が来るまで、親も子もなんとなく予感していながらも、それをなるべく先延ばしにしたいと思う。しかし、その時はいつか確実に誰にも訪れるのだ。

 

介護の大変さは昔からあったであろう。 それは、子や女性が当り前のように引き受けて表に出ることの少なかった話なのであろう。 家庭や地域が子供を育てることを必ずしも十全に引き受けなくなった今日、老い衰えた人を、その命の火が消える最後の瞬間まで看取る場が、家庭から病院へ、介護施設へと移行していく。

 

この物語は、「わたし」ではなく「俺」の人称を用いて初めて書けたと著者は言っている。著者の幼馴染であり、この本にも実名で登場する内田樹は、「生きている父親への、子の側から「供養」として引き受けられた完成度の高い私小説」と評している。 私は、これを小説ではなく、父と息子の介護の一つの物語として自然に読んだのだが。

 

「父」はもう少し希望を持って長生きしてほしかった気もする。母が亡くなって1年ちょっとで亡くなるのは残念な気もする。だが、自分を介護してくれる息子にそんなに長くは迷惑をかけられないと「父」も思っていたのであろう。 そこに、今の社会における老いた人間の静かな悲哀を感じずにはいられない。 この話には孫は出てこない。「父」に孫がいれば、少し違っていたかもしれないと思う。 

 

人は如何に雄弁な人生を送っても、最後は赤子と同じような無力な存在に帰する。 それを避けることはできない。 だからこそ、家族や周囲の人たちと、助け合っていくしかない。 筆者がいうように、日本の団塊世代は、「父」の戦中世代の4倍の人口がいる。その介護や医療の問題こそ、今もっと真剣に議論されないといけないのかもしれない。 その重荷を担うのは、他ならぬ子や孫の世代なのだから。 

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