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3年ぶりの上海

2013-04-28 |

昨年の尖閣諸島の国有化に端を発する暴動以降、日中関係の悪化が尾を引き、さらにPM 2.5による大気汚染や鳥インフルエンザが心配され、日本人としては敬遠したくなる中国だが、2010年以来3年ほど足を運んでないので、北京と交代で一年おきに開催される上海モーターショーに先週足を運んでみた。前回は成田⇔虹橋を運行する中国東方航空を利用したが、今回は往きは成田⇒浦東、帰りは虹橋⇒羽田のANAを利用した。

 

 

木曜の夕方18時過ぎの出発便が遅れて、1時間の時差のある浦東空港についたのは、21時半を回っていたので、出迎えたシャトルでホテルに直行する。 宿は、前回と同じ外灘にあるHyattである。到着の夜は、3人の日本から同行したゲストとホテルで中華料理をいただいた。 機内で出た夕食が結構美味しかったので、お腹は空いていなかったが、やはり中華料理だと入ってしまうのは不思議だ。

 

翌日は、午前中が上海VWの工場見学。これは上海中心部から西北に40キロほど行った安亭地区にある。 ここにVWが最初の工場を操業したのが1985年。今から30年近く前であり、その周辺に自動車ミュージアムなど各社の自動車関係の施設が色々集まって、一種の工業団地のようになっている。

 

上海市中心部の渋滞は相変わらずひどく、最新のVWやSGM、現代のクルマが道路を走る傍らを、バイクや電動自転車、チャリンコに乗った大量の人が交差点では混沌と一体になる。この風景は中国独特のものだ。 クルマはタクシー仕様のサンタナ以外、ほとんど新しいモデルだが、自転車やバイクは古いものも多い。人や自転車が、隙あらば車道を平気で横切ってくるのも相変わらずだ。

 

上海VWの工場は広い工場団地にかなり広大な面積を占めている。 見学はごく短時間だったが、プレス⇒車体⇒塗装⇒組立のフルスケール工場が3つあり、それぞれ16万台、22万台、33万台の能力を持ち、サンタナクラス、ラヴィーダ(ゴルフ)クラス、パサートクラスを生産している。 累計生産は今年1000万台に達するという。 最初の100万台に達したのが、1998年と13年かかっているから、この10年余りの間に如何に急速に成長したかがうかがえる。

 

昨年はVWグループで280万台を生産、今後パワートレイン工場を含めて7つの工場を竣工し、2018年までに400万台の生産体制を整えるというから、沿岸部の成長は鈍化しているものの、内陸部はまだこれから年8%以上成長するとみられている。 なにせ100万人以上の都市が200近くあるのである。

 

土曜は、上海ショーの展示会場を短時間で見て回ったが、GM、Jeep、フォードなどのアメリカ系、VW,ベンツ、BMW、プジョーなどの欧州系と現代、起亜の韓国勢、それにGeely, BYD、Cherryなど中国ブランド大手とあり、出展ブランド数と展示台数はまぎれもない世界一である。 コンパニオンもブランドイメージ向上に直結すると考えるのか、ファッションショーばりに選りすぐりの美女がクルマの脇で品を作る。プレスデーは一日だけというのに、午後になるとクルマよりモデルに群がるカメラマンが圧倒的といはどういうことだ?

 

中国メーカーも頑張っているし、あからさまなコピー商品はかなり影を潜めたといっていい。ボルボを所有するGeelyなどは製品のレベルも相当に高い。しかし、VWチャイナの役員も言っていたが、外資がこれだけ本格的に乗り込んでいる中では、中国の国産ブランドで生き残れるところはかなり少ないであろう。日本勢は、残念ながら展示がどうも中途半端で、現代、起亜のような割り切りと派手さがない印象だった。

 

今年第一四半期も、日本車の中国販売は前年比10%以上のマイナスが続いている。現地の報道関係者は、半日感情はまだ尾を引いているという。 北京の日本大使館周辺に住んでいる新聞記者A氏は、あの時はほぼ一週間自宅から出れない状態で、大変だったそうだ。 

 

最終日は、午前中、ホテルから南京大路まで短い散歩をした。 日曜の外灘の黄浦公園には、中国人の観光客があふれ、新婚カップルが何組も川をはさんだ浦東地区のスカイラインをバックに記念写真を撮っていた。 通称Bundには、19世紀に建てられた西欧式建物が連なり美しい景観を見せているが、大体銀行などが所有しているようだ。 上海に立つアパートやビルは色々な様式を凝らしてあり、虹橋空港に向かう途中の街の眺めも目を楽しませてくれる。

 

南京大路が歩行者専用道になる入口の所に大きなアップルストアがあるが、最近のアップルバッシングにもかかわらず、たくさんの中国人がiphone ipadに興じていた。 帰りは、Santana Vistaのタクシーを捕まえ、ホテルまでほんの3キロ余りの乗車だったが、社内は質素ながら清潔で、乗り心地も思ったより上等だった。 

 

華やかな通りや外灘のホテル街の陰にはしかし、一歩路地を入るとまだ昭和20年代のような風景が目に飛び込んでくる。 コンクリートを打ちっぱなしただけの店や、洗濯物を通り沿いにつるした狭い小さな2階建ての住宅が連なる。この人たちは、きっと月わずか数千元で生活しているのだろう。 すぐ近くに朝食が300元もする五つ星ホテルがあるというのに。

 

ちょうど土曜の朝は、四川省でマグニチュード7の地震が起こり、ホテルのTVは、(18チャンネルまでのすべて国営のCCTVだが)、全部地震速報になっていた。 ショーの会場では、(私は公安と見間違えたが)、募金箱を持った人も登場していたそうだ。

 

拡がりつつある貧富の格差を包含しながら、広大な中華帝国は内陸へと経済発展を続けていく。 一億総中流と言われた時代は過去のものとはなったが、圧倒的にHomogeneousな社会の日本に較べて、貧困を脱し、社会階層を上昇するには、生存競争に勝ち、自らが豊かになっていくしかない中国。13億という膨大な人口と、驀進する経済に群がる企業と資本。日本は確かに温和で人当たりの良い国ではあるが、世界経済の奔流の中で、また東アジアの一員として自己の利益を擁護していくには、こうした中国の現実と向かいあい、隣国の韓国の躍進や危なっかしい北朝鮮をしっかりと見据えていくことが必要だと思う。

 

帰りの飛行機では、晴天のお蔭で、東シナ海に浮かぶ船舶も機内の窓から点のように確認でき、わずか一時間飛んだだけで長崎五島列島が見え始め、やがて溶岩が紡錘状に海に向けて広がる雲仙岳を眼下におさめる。 数分のうちに九州を横切ると、豊後水道や佐田岬が現れる。東京からわずか2時間の飛行距離に、これだけ違う世界があることに、改めて感慨を覚える旅であった。


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