シドニーも、アテネも、開会式も禄に見ていなかったが、今回は、隣国の北京での開催であり、また聖火リレーのボイコットや、チベットやウイグルでの暴動など、中国での五輪には、競技とは別の関心を持っている日本人は多いはずだ。今回は、時差がほとんどないこともあり、筆者も8日の開会式の中継も大体見ることが出来た。電飾のハイテクスーツを着た何百人ものパフォーマーが、スタジアムのグラウンドに平和のシンボルのハトを形作った演出は、いかにも11億人を抱える中国らしい人海戦術で見事だったし、聖火の最終点火でのランナーの空中遊泳にも驚いた。また、お家芸である花火の華々しさは圧巻であったと思う。
連日TVでも、NHKと民放がこぞって朝から晩まで北京五輪の中継を行っている。 しかし、買い物の合間に立ち寄った書店で雑誌コーナーに立てば、「諸君」は「北京五輪を見てはならない10の理由」なる特集をやっていて、スポーツライターの金子達仁と上杉隆の対談では、スポーツを政治利用するのはヒトラーのベルリン五輪と同じと痛烈に批判し、エベレスト清掃などで登山家としてだけでなく環境保護のオピニオンリーダーとしても、マスコミの露出の多い野口健が、ヒマラヤに軒を連ねるチベットに対する中国の弾圧に黙していることは、「ジェノサイドへの加担だ」と警鐘を鳴らす。
見たことが人もいるだろう。標高5700mのチベットの雪原をネパールに向けて徒歩するチベット僧侶の一行を、「まるで犬でも撃ち殺すように」中国の国境警備隊が狙撃する様子を、ルーマニアの登山家が撮影したあの衝撃の映像である。(YTで「チベット」を入れれば、簡単に検索できる。) この事件が、国際的な非難を浴び、以降、ヒマラヤ登山者達が、“Free Tibet”と書いたバナーやチベット旗を携帯しているのに、中国の公安は神経を尖らせ、登山者の監視や場合によって拘留までしてきたという。 野口氏も、実際にエベレスト登山で、トレッカーに扮した公安に付け回されたそうで、今回の誌上での政治的な発言が、自分のエベレスト登山活動やスポンサーの協力に悪影響を及ぼすことを覚悟で、この文章を寄せたという。
中国という共産党独裁の国家に、未だに言論の自由がなく、過去60年に渡り、異民族にみならず自国民の人権を著しく侵害してきた歴史があることは、別の「諸君」の口吻に拠らずとも、疑いを差し挟む余地はないだろう。 大躍進や文革などでいかに多くの人が犠牲になったかは、かつて読んだベストセラー小説「ワイルドスワン」などにも詳しかった。3月に暴動の起こったラサには未だに外国メディアは入れないし、五輪開幕直前に、ウイグルやチベットで公安を襲撃するといった暴動が相次いで勃発している。
この機会に、89年の天安門事件についてもう少し知ろうとするのも無駄ではあるまい。再びYTを検索すると、人民解放軍が天安門広場の学生や市民に対し、無差別に発砲した6月4日未明の生々しいBBCのライブレポートや、戦車にひき殺されて赤身のミンチのようにぺちゃんこになった死体の写真とともに、200分に及ぶ「紀録片天安門六四事件(Tinnanmon Square protests 1-20)」というドキュメンタリーに遭遇した。 世界人権擁護協会(?)やフォード財団、ロックフェラー財団の支援によって、当時の民主化運動のリーダー達にインタビューして構成されたこの1995年の作品は、10分ずつ20編に渡りアップされており、全部見るにはかなり努力が要るが、天安門事件が、戦車と人民解放軍が学生と市民のデモ隊に発砲した一日の出来事ではなく、民主化の旗手だった胡曜邦の4月半ばの死去に始まる、2ヶ月に渡る民主化要求の大運動の悲惨な結末だったことがよくわかる。
言論の自由を求める学生(高校生も含む)の群れは、連日天安門広場を埋め尽くし、運動は選挙による大学の自治会結成や、張り巡らされたテントの中で絶食による抗議、李鵬首相との団交などに及び、デモ隊の人数は一時50万人にも達した。ペレストロイカの旗手であるゴルバチョフが5月に北京入りした際には、西側の同行取材記者が、「サミットを取材に来て、革命に遭遇した」と驚嘆の声を上げているニュース番組も挟み込まれる。 文革路線を否定し、四人組を追放して小平が推進した経済の自由化は、必然的に言論や政治的自由の希求の抑えきれない流れを生んだ。 ゴルバチョフは、ペレストロイカとグラスノスチを通して、結局、意図していなかったソ連邦の解体への扉を開け放った。 小平は、最後に自分の息子達に引き金を引いて、治安と共産党統治の維持を図らざるを得なかった。事件後、学生に共感的だった趙紫陽は失脚し、中国は冷徹な官僚上がりの江沢民主席時代を迎える。 その後も、かの国は世界経済に労働力と生産拠点を提供し、飛躍的な経済成長を遂げるが、政治的には、天安門事件の後遺症は大きかった。 現代中国人の徹底した個人主義、格差の拡大、海外からの批判の眼への裏返しでもある異様なナショナリズムの高揚を見るにつけ、この国が今後どうなるのか、複雑な思いがよぎる。経済を見ても、中国経済は、インフレと金利の上昇、貿易黒字の伸びの減少を見ており、上海の株価は、この半年で60%以上下落している。
奇しくも、五輪の開会式の当日、もう一つの独裁的国家であるロシアと、グルジアの間でも戦闘が始まった。資源外交で国力を増大し、旧ソ連邦の周辺国家への圧力を維持しようとするプーチンのロシア。 五輪をばねに、国際社会での尊敬を得、名実ともに大国の地位を世界に認めさせたい中国。 一方で日本は、北京五輪にも概して醒めており、隣国への観戦ツアーも低調。 竹島問題や東シナ海のガス田問題での隣国との小競り合いもグズグズと長引き、同盟国であるアメリカから、北朝鮮テロ国家指定解除の不意打ちを食らっても、大した反応もないマスコミと世論を抱える。 意識が内へ内へと向かっている低体温国家の日本。 もっと、政治意識を高めないと、この国は、世界から取り残されてしまうのではないだろうか。そのためには、教育と世代間の対話がもっと必要なはずなのだが。
連日TVでも、NHKと民放がこぞって朝から晩まで北京五輪の中継を行っている。 しかし、買い物の合間に立ち寄った書店で雑誌コーナーに立てば、「諸君」は「北京五輪を見てはならない10の理由」なる特集をやっていて、スポーツライターの金子達仁と上杉隆の対談では、スポーツを政治利用するのはヒトラーのベルリン五輪と同じと痛烈に批判し、エベレスト清掃などで登山家としてだけでなく環境保護のオピニオンリーダーとしても、マスコミの露出の多い野口健が、ヒマラヤに軒を連ねるチベットに対する中国の弾圧に黙していることは、「ジェノサイドへの加担だ」と警鐘を鳴らす。
見たことが人もいるだろう。標高5700mのチベットの雪原をネパールに向けて徒歩するチベット僧侶の一行を、「まるで犬でも撃ち殺すように」中国の国境警備隊が狙撃する様子を、ルーマニアの登山家が撮影したあの衝撃の映像である。(YTで「チベット」を入れれば、簡単に検索できる。) この事件が、国際的な非難を浴び、以降、ヒマラヤ登山者達が、“Free Tibet”と書いたバナーやチベット旗を携帯しているのに、中国の公安は神経を尖らせ、登山者の監視や場合によって拘留までしてきたという。 野口氏も、実際にエベレスト登山で、トレッカーに扮した公安に付け回されたそうで、今回の誌上での政治的な発言が、自分のエベレスト登山活動やスポンサーの協力に悪影響を及ぼすことを覚悟で、この文章を寄せたという。
中国という共産党独裁の国家に、未だに言論の自由がなく、過去60年に渡り、異民族にみならず自国民の人権を著しく侵害してきた歴史があることは、別の「諸君」の口吻に拠らずとも、疑いを差し挟む余地はないだろう。 大躍進や文革などでいかに多くの人が犠牲になったかは、かつて読んだベストセラー小説「ワイルドスワン」などにも詳しかった。3月に暴動の起こったラサには未だに外国メディアは入れないし、五輪開幕直前に、ウイグルやチベットで公安を襲撃するといった暴動が相次いで勃発している。
この機会に、89年の天安門事件についてもう少し知ろうとするのも無駄ではあるまい。再びYTを検索すると、人民解放軍が天安門広場の学生や市民に対し、無差別に発砲した6月4日未明の生々しいBBCのライブレポートや、戦車にひき殺されて赤身のミンチのようにぺちゃんこになった死体の写真とともに、200分に及ぶ「紀録片天安門六四事件(Tinnanmon Square protests 1-20)」というドキュメンタリーに遭遇した。 世界人権擁護協会(?)やフォード財団、ロックフェラー財団の支援によって、当時の民主化運動のリーダー達にインタビューして構成されたこの1995年の作品は、10分ずつ20編に渡りアップされており、全部見るにはかなり努力が要るが、天安門事件が、戦車と人民解放軍が学生と市民のデモ隊に発砲した一日の出来事ではなく、民主化の旗手だった胡曜邦の4月半ばの死去に始まる、2ヶ月に渡る民主化要求の大運動の悲惨な結末だったことがよくわかる。
言論の自由を求める学生(高校生も含む)の群れは、連日天安門広場を埋め尽くし、運動は選挙による大学の自治会結成や、張り巡らされたテントの中で絶食による抗議、李鵬首相との団交などに及び、デモ隊の人数は一時50万人にも達した。ペレストロイカの旗手であるゴルバチョフが5月に北京入りした際には、西側の同行取材記者が、「サミットを取材に来て、革命に遭遇した」と驚嘆の声を上げているニュース番組も挟み込まれる。 文革路線を否定し、四人組を追放して小平が推進した経済の自由化は、必然的に言論や政治的自由の希求の抑えきれない流れを生んだ。 ゴルバチョフは、ペレストロイカとグラスノスチを通して、結局、意図していなかったソ連邦の解体への扉を開け放った。 小平は、最後に自分の息子達に引き金を引いて、治安と共産党統治の維持を図らざるを得なかった。事件後、学生に共感的だった趙紫陽は失脚し、中国は冷徹な官僚上がりの江沢民主席時代を迎える。 その後も、かの国は世界経済に労働力と生産拠点を提供し、飛躍的な経済成長を遂げるが、政治的には、天安門事件の後遺症は大きかった。 現代中国人の徹底した個人主義、格差の拡大、海外からの批判の眼への裏返しでもある異様なナショナリズムの高揚を見るにつけ、この国が今後どうなるのか、複雑な思いがよぎる。経済を見ても、中国経済は、インフレと金利の上昇、貿易黒字の伸びの減少を見ており、上海の株価は、この半年で60%以上下落している。
奇しくも、五輪の開会式の当日、もう一つの独裁的国家であるロシアと、グルジアの間でも戦闘が始まった。資源外交で国力を増大し、旧ソ連邦の周辺国家への圧力を維持しようとするプーチンのロシア。 五輪をばねに、国際社会での尊敬を得、名実ともに大国の地位を世界に認めさせたい中国。 一方で日本は、北京五輪にも概して醒めており、隣国への観戦ツアーも低調。 竹島問題や東シナ海のガス田問題での隣国との小競り合いもグズグズと長引き、同盟国であるアメリカから、北朝鮮テロ国家指定解除の不意打ちを食らっても、大した反応もないマスコミと世論を抱える。 意識が内へ内へと向かっている低体温国家の日本。 もっと、政治意識を高めないと、この国は、世界から取り残されてしまうのではないだろうか。そのためには、教育と世代間の対話がもっと必要なはずなのだが。