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2009年はどんな年になる?

2009-01-05 | 雑感, ブログ
故郷に帰省して、一週間近く本も読まず、パソコンも開かないで、TVを見たり無駄話をして過ごすと、脳は弛緩モードに入る。やはり日頃は、緊張やプレッシャーにさらされているのだと気がつく。

新年の目標を立てるといった行為は、もう随分前にやめてしまった。立ててみてその目標の陳腐さに苦笑するのが常だし、書きとめておいてもすぐに忘れてしまうからだ。今年も弛緩したこの感覚が残っているうちに、休み中に浮かんできた想念の幾つかを書き留めて新年の挨拶としておこう。

‐ 両親とは一年ぶりに会った。たいした変化はないが、また少しだけ年を取ったことがわかる。母は年末に追突事故にあって、治療中の歯がひどく痛んだらしい。大したスピードではなかったようだが、頸部が少し重いということで、保険の示談の進め方について相談を受けた。
‐ 義兄夫婦の姪たちと神経衰弱のカルタをやった。めくられたばかりのカードの場所を間違える。記憶力、注意力が全く持続しなくなっていることはちょっとショックだ。こんなに短期記憶もあいまいでは、仕事でも誤った判断をしているのではないかと少々不安になる。8歳から83歳まで総勢8人による大カルタ大会の圧倒的勝者は10歳の姪だった。数年前は内の娘がその年頃で圧倒的に強かったから、そのあたりが記憶力のピークなのだろう。
‐ 大学病院の精神科に勤務する義兄によれば、昨秋からの不況や契約社員の解雇などで外来患者が増え続けており、広島市内の精神科クリニックの数は、同規模の人口を有する東京都内の6区の合計と同じだけあるそうだ。なんでもすぐに診断書を出せといってくる欝(うつ)の患者が多いらしい。職場でもっと支えあって欲しい言われるが、成果主義や終身雇用の崩壊によって、組織が弱体化し世代間の知識の伝承や継続性が損なわれてきていることだ。
‐ 毎年元旦にその年のキーワードなるものを掲げる日経新聞は、今年は「サバイバビリティ」という新語を登場させていた。「サステイナビリティ」では最早生ぬるいということだろうが、適者生存の原理かと思えばそうでもない。食料やエネルギー、経済発展の問題は、地球規模、100年単位で人類をどうサバイバルさせるかというヴィジョンを持って取り組むべしということらしい。
‐ 本は新書を3冊読んだだけだが、サントリー文芸賞を受賞し、日経新聞に識者が薦める2008年のベスト経済書に上げられていた「アダム・スミス」(中公新書 堂目卓生著)は、確かに良い本だ。「(神の)見えざる手」という言葉で、市場原理主義の元祖のように思われているスミスだが、実は、人間と社会への深い洞察を持った哲学者のような風貌を持つことがわかる。 有名な「国富論」に先立つ著書「道徳感情論(A theory of moral sentiments)」の書き出しは、次のように始まるそうだ。「人間が、どんなに利己的なものと想定されるにしても、明らかに人間の本性の中には何か別の原理があり、人間は他人の運不運に関心を持ち、他人の幸福を、自分にとって必要なものと感じるのである。」スミスによれば、人間にはこのような「同感(sympathy)」の力があり、また胸中の「公平な観察者」を持っており、それで自分や他人の行動を判断する。人間は、財産(富や地位)と徳(と英知)の両方を求めるが、弱い人は前者が幸福をもたらすと考え、賢者は後者を重んじて財産は必要最低限を満たせばよしとする。 

こうして「道徳感情論」に触れた後、後半は「国富論」の話しになるのだが、富とは何か、市場とは何か、についてスミスは大変明解な説明をしている。「同感という能力を用いて、知らないもの同士が富を交換するのが市場社会」であり、「富は市場によって国内の人間をつなぎ、成長によって富んだ人と貧しい人をつなぎ、貿易によって異なった国の人々をつなぐ。市場、成長、貿易は人と人をつなぐという富の機能の、それぞれ異なった局面を表わす。(p273-274)」  富(wealth)の本質をこれほどわかりやすくに言い表わすとは、吉本隆明が言うようにこの人は相当にえらい。

‐最後は、1月4日の夜に放映されたNHK ETV特集「吉本隆明」。84歳になる吉本がこの番組のために、昭和女子大人見記念講堂で講演をしたその映像と、糸井重里による自宅でのインタビューを中心に構成されていた。吉本本人が芸術言語論と呼ぶものは独創的で、言葉はそれを発する主体(人間)の思考の幹であり根である「自己表出」と、生い茂る枝葉である「指示表出」に区別される。例えばバルザックの小説の豊かな描写は「指示表出」の質、量ともに大変優れており、15字しかない芭蕉の句はその正反対だが、「自己表出」の深さ、価値において両者は同等であると吉本は言う。また、言語とはそれを発することによって対象である自然も変化し、発した人間自身も変わるという。言葉にしたことによって、思いの何かが失われると感じたり、逆に新しい意味が発見されたと感じる経験は、誰にもあるだろう。いわゆる「コミュニケーション能力」は「指示表出」の一部であり、最近は職場でも学校でも重視されるが、本質的により重要なのは、思考の本質を表わす「自己表出」のほうであるという。学生時代に読んであまり理解できなかった吉本の「言語にとって美とは何か」をいずれまた紐解いてみたい。 車椅子から予定時間を大幅に超えて熱烈にしゃべり続けた吉本に、人見講堂の2000人の聴衆は立ち上がって拍手を続けていた。

さて、2009年は、どうしよう。アダム スミスが言うところの「人間の幸福は、平静(tranquility)と享楽(enjoyment)にある。平静なしには享楽はあり得ないし、完全な平静があるところでは、どんな物事でもほとんどの場合、それを楽しむことができる(p281)」という教えに従い、平常心を忘れず、同感力を豊かにたたえて、「自己表出」的言語力を深めながら、楽しんでいこうと一人得度した次第である。



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