このブログは映画日記のつもりであるが、今回は敢て、政治のことを書こうと思う。
昨日、安全保障関連法案が衆院特別委員会で強行採決され、本日、本会議で可決されたからである。
将来、孫の世代から「あの時、私たちは親の保護のもとに育っていたのに、今の状況にしてくれたのは誰か。
あなたはその時、何をしていたのか。あなたも当時者として責任を取って貰えますか。」と問われた時、
私はどのように答えることができるか。
その架空の問いに対して、私は沈黙するしかないかもしれない。
しかし、この法案に対して、沈黙することは黙認することになる可能性があると思い、発言することにした。
集団自衛権を閣議決定し、その行使を容認する法案を今回、衆議院は可決したのである。
では、集団自衛権とは何か。他国を武力で守ることでないか。
その他国とはどこか。想定されるのはアメリカか。
と言うことは、アメリカ自体が攻撃されていなくても、可能性があるので助けてと言った場合、日本はどうする気か。
可能性というのは様々な場合があり、自分の考えが誇大妄想だったとしても、思えば可能性になる。
そんなアメリカから援助してほしいと依頼された時、時の政府はどうするか。
「はい、わかりました。」とならないか。
結論は、今の政権を見ればいい。
日本の国民に説明する前に、アメリカに集団自衛権の約束をしているのである。
それで、丁寧に国民に説明する、理解は深まっていないけれど、やる時はやると言うのである。
アメリカにへつらって、その顔のまま、国民を見下すのである。
どこの組織にも、これに似た人がいる。
会社組織では、上司にペコペコし、部下に威張る人である。
人間として、厭らしい人である。
このようなことを、一国の首相がやっている。
国会でヤジまで飛ばす。それこそ、国際世界に対しての日本の恥である。
この法案を通すにあたって、与党の一角である、平和主義を自認する党も加担した。
なにが平和主義と言えるか。
平和の宣言、日本国憲法序文及び第9条を読めばすぐわかる。
日本国憲法
第二章 戦争の放棄
第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
この文を読んで、どのようにしてテッポウを持って、のこのことよその国に行けるというのか。
素直に読めば、行けないのは子供にもわかるのではないか。
そもそも、今の政権政党は憲法改正を目論んでいる。
その草案はどうなっているか。
軍隊は持ちましょう、国民には公共のために権利は我慢してもらいましょう、と言うような文言があちこちにある。
ようは、国民は国の利益のために、少し我慢してもらおうと言うことである。
主権在民の否定である。怖ろしいことを平気で考える政党である。
その政党を国民が支えている。
この政党は余り良くない、しかし、野党も頼りない、今の政治はダメである、
というような理由で、政治に白けて、半ば無関心になる人たちがいる。
その結果、どうなるか。
もくろみのある政権の思う壺である。
国民が政治参加できる最大の方法である選挙において、他の党もたいしたことがないから、一番大きい党に入れるとする。
その結果が今の状態であり、数の力でやりたい放題やってもいいということになる。
理由は、最大の意見は民主主義の根源だから、という言い訳が成り立つ。この場合、意見は人数の多さであるけれど。
そもそも、今の政権が発足した時点で、経済政策をエサにしながら、今日の状況になるのは、当然のごとく予測できたことである。
なぜか。この国の首相は、祖父を尊敬している人物だからである。
祖父は何をやったのか。60年安保の、当の首相である。
当時、私は小学生であったが、安保闘争はその小学生たちが意味もわからず「アンポハンタイ、アンポハンタイ」と、
音頭を取りながら遊んだ程の重大事件だったのである。
今の政権を誕生させたことにより、日本はどのような道に進もうとしているのか。
憲法を権力者が無視、あるいはいじろうとするということはどういうことであるか。
憲法は主権在民である。国民に権利があるのである。
権力者が暴走しないように、憲法によって縛っているのである。
第十章 最高法規
第99条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
首相ほか大臣、国会議員などは憲法の擁護・義務を負っているのである。
憲法を変えようと政府、国会議員が言い出すということは、それだけで憲法違反である。
そして、この99条には、国民は入っていないのである。
と言うことは、憲法を変えようとする場合は、国民の発意だけである。
この国の首相、および国会議員が、改正しようとおっぴらに言うことは憲法の侮辱である。
では、それはうまくいかないだろうとなると、次に何をしたか。第9条の解釈変更である。
そして、今日の出来事である。
悪い芽は、本来、その前兆があるうちに潰さなければいけない。
ある程度、大きくなってからでは困難になる。
もっと、大きくなれば、より一層困難になる。
私は、思い出す。
老教師が愛国心を説き、積極的に若者たちを戦場に送り出した『西部戦線異常なし』(ルイス・マイルストン監督、1930年)の、
塹壕で蝶に手を伸ばしたが為の青年の運命を。
そして、『禁じられた遊び』(ルネ・クレマン監督、1952年)のラストシーンの
「ミシェル、ミシェル!・・・ママ!」と叫びながら、雑踏に迷うポーレットの不安を。
私たちは二度と、雑踏に消えたポーレットを作り出してはならない。
昨日、安全保障関連法案が衆院特別委員会で強行採決され、本日、本会議で可決されたからである。
将来、孫の世代から「あの時、私たちは親の保護のもとに育っていたのに、今の状況にしてくれたのは誰か。
あなたはその時、何をしていたのか。あなたも当時者として責任を取って貰えますか。」と問われた時、
私はどのように答えることができるか。
その架空の問いに対して、私は沈黙するしかないかもしれない。
しかし、この法案に対して、沈黙することは黙認することになる可能性があると思い、発言することにした。
集団自衛権を閣議決定し、その行使を容認する法案を今回、衆議院は可決したのである。
では、集団自衛権とは何か。他国を武力で守ることでないか。
その他国とはどこか。想定されるのはアメリカか。
と言うことは、アメリカ自体が攻撃されていなくても、可能性があるので助けてと言った場合、日本はどうする気か。
可能性というのは様々な場合があり、自分の考えが誇大妄想だったとしても、思えば可能性になる。
そんなアメリカから援助してほしいと依頼された時、時の政府はどうするか。
「はい、わかりました。」とならないか。
結論は、今の政権を見ればいい。
日本の国民に説明する前に、アメリカに集団自衛権の約束をしているのである。
それで、丁寧に国民に説明する、理解は深まっていないけれど、やる時はやると言うのである。
アメリカにへつらって、その顔のまま、国民を見下すのである。
どこの組織にも、これに似た人がいる。
会社組織では、上司にペコペコし、部下に威張る人である。
人間として、厭らしい人である。
このようなことを、一国の首相がやっている。
国会でヤジまで飛ばす。それこそ、国際世界に対しての日本の恥である。
この法案を通すにあたって、与党の一角である、平和主義を自認する党も加担した。
なにが平和主義と言えるか。
平和の宣言、日本国憲法序文及び第9条を読めばすぐわかる。
日本国憲法
第二章 戦争の放棄
第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
この文を読んで、どのようにしてテッポウを持って、のこのことよその国に行けるというのか。
素直に読めば、行けないのは子供にもわかるのではないか。
そもそも、今の政権政党は憲法改正を目論んでいる。
その草案はどうなっているか。
軍隊は持ちましょう、国民には公共のために権利は我慢してもらいましょう、と言うような文言があちこちにある。
ようは、国民は国の利益のために、少し我慢してもらおうと言うことである。
主権在民の否定である。怖ろしいことを平気で考える政党である。
その政党を国民が支えている。
この政党は余り良くない、しかし、野党も頼りない、今の政治はダメである、
というような理由で、政治に白けて、半ば無関心になる人たちがいる。
その結果、どうなるか。
もくろみのある政権の思う壺である。
国民が政治参加できる最大の方法である選挙において、他の党もたいしたことがないから、一番大きい党に入れるとする。
その結果が今の状態であり、数の力でやりたい放題やってもいいということになる。
理由は、最大の意見は民主主義の根源だから、という言い訳が成り立つ。この場合、意見は人数の多さであるけれど。
そもそも、今の政権が発足した時点で、経済政策をエサにしながら、今日の状況になるのは、当然のごとく予測できたことである。
なぜか。この国の首相は、祖父を尊敬している人物だからである。
祖父は何をやったのか。60年安保の、当の首相である。
当時、私は小学生であったが、安保闘争はその小学生たちが意味もわからず「アンポハンタイ、アンポハンタイ」と、
音頭を取りながら遊んだ程の重大事件だったのである。
今の政権を誕生させたことにより、日本はどのような道に進もうとしているのか。
憲法を権力者が無視、あるいはいじろうとするということはどういうことであるか。
憲法は主権在民である。国民に権利があるのである。
権力者が暴走しないように、憲法によって縛っているのである。
第十章 最高法規
第99条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
首相ほか大臣、国会議員などは憲法の擁護・義務を負っているのである。
憲法を変えようと政府、国会議員が言い出すということは、それだけで憲法違反である。
そして、この99条には、国民は入っていないのである。
と言うことは、憲法を変えようとする場合は、国民の発意だけである。
この国の首相、および国会議員が、改正しようとおっぴらに言うことは憲法の侮辱である。
では、それはうまくいかないだろうとなると、次に何をしたか。第9条の解釈変更である。
そして、今日の出来事である。
悪い芽は、本来、その前兆があるうちに潰さなければいけない。
ある程度、大きくなってからでは困難になる。
もっと、大きくなれば、より一層困難になる。
私は、思い出す。
老教師が愛国心を説き、積極的に若者たちを戦場に送り出した『西部戦線異常なし』(ルイス・マイルストン監督、1930年)の、
塹壕で蝶に手を伸ばしたが為の青年の運命を。
そして、『禁じられた遊び』(ルネ・クレマン監督、1952年)のラストシーンの
「ミシェル、ミシェル!・・・ママ!」と叫びながら、雑踏に迷うポーレットの不安を。
私たちは二度と、雑踏に消えたポーレットを作り出してはならない。