ポケットの中で映画を温めて

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『めぐりあう時間たち』を観て

2016年06月21日 | 2000年代映画(外国)
『めぐりあう時間たち』(スティーブン・ダルドリー監督、2002年)をDVDで観た。

1923年、ロンドン郊外のリッチモンド。
過去に自殺未遂の経験がある作家ヴァージニア・ウルフは、神経症療養のために夫レナードと田舎町に住み、『ダロウェイ夫人』を執筆し出した。
そんな彼女のもとに、姉ヴァネッサと子供達がロンドンから訪ねてくる。
しかし、ヴァージニアは小説の構想のために、ヴァネッサ達と過ごしている間も、上の空である。

1951年、ロサンゼルス。
主婦ローラ・ブラウンは2人目を妊娠中で、優しい夫ダンと幼い息子リッチーに囲まれている。
しかし、『ダロウェイ夫人』を愛読する彼女は、夫が望む理想の妻でいることに疲れ、満たされない心をヒロインに重ねていた。
そのローラが夫の誕生祝いの準備をしていると、親友のキティが訪ねて来て、子宮の腫瘍で入院すると告げる。
そして、キティは「子供を産まなければ、一人前の女ではない」と泣きだす。

2001年、ニューヨーク・マンハッタン。
編集者のクラリッサ・ヴォーンは、詩人で小説家の友人リチャードの受賞パーティーのために、花を買いに行く。
彼女は、エイズに侵されているリチャードとの昔の日々の思いを胸に、彼の世話を続けてきた。
リチャードはクラリッサを、ニックネームの『ダロウェイ夫人』と呼んでいて・・・・

時代、場所を超えて3人の女性の一日の様子が描かれる。
3人に共通しているキーワードが『ダロウェイ夫人』であり、映像描写は、重なり合う部分を交互に繋ぎ合せていく。
だから、それぞれが入り乱れて進行するが、作りが丁寧なため、ストーリー展開に混乱することもなく分かり易い。

それにしても、この緻密に計算されたような物語は、原作によるところが大きいのだろうか。
この原作と、ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』を読んでいないために、その素晴らしさが半減しているかもしれない。
それを感じるのは、3人の孤独感は実によくわかるが、その基の原因がわからないので、イマイチ、共感がわかない。
もっとも、感情に訴えるというより、どちらかと言えば知的な作風のために、そうかもしれないが。

この作品の緻密さは、次のようなところに表れている。

小説中のダロウェイ夫人のファースト・ネームはクラリッサであり、その夫はリチャード・ダロウェイという名である。
ヴァージニアは当初、主人公であるダロウェイ夫人を自殺をさせるつもりでいた。
しかし、それを変更し最後には、詩人の自殺とする。

その自殺は、リチャードの死となっている。
リチャードが死んで、クラリッサのところへローラが現れる。
ローラはリチャードの母親で、リチャードとはリッチーのことだっととわかる。
このローラは、第二子を産んだ後で、家族を捨てて生きる道を選んでいる。

ヴァージニア、ローラ、クラリッサの3人の物語。
それは、ニコール・キッドマンとジュリアン・ムーアとメリル・ストリープの競演の物語でもある。
3人とも、その役にふさわしく、演技の素晴らしさは甲乙つけがたい。
それを、ニコール・キッドマンにだけ、アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞させるのは不公平ではないかと、イチャモンを付けたくなる。
一人だけで主演をしているわけではないから。
もっとも、ベルリン国際映画祭では3人が銀熊賞(女優賞)を共同受賞しているが。
コメント (2)
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