「紡希(さき)&グライセンのちょっとブレークしましょ。らららん!」さんが紹介されていた、
『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(スティーブン・ダルドリー監督、2011年)を観た。
宝石店を経営するトーマスは、現実社会が苦手な息子オスカーに、ニューヨークにかつて存在した第6区を探す「調査探検」の遊びに誘う。
それは、オスカーが見知らぬ人と話をするための父の親心でもあった。
そんなある日、オスカーは父トーマスを9.11の同時多発テロで失い、調査探検は中断する。
トーマスの死から1年後。
父のクローゼットを物色していたオスカーは、うっかり青い花瓶を落としてしまう。
その割れた花瓶の中にあった小さな封筒。封筒には「ブラック」の文字と、ひとつの鍵。
「ブラック」を人名と判断したオスカーは、鍵の秘密と父との繋がりを知るために、その鍵穴を見つけようと決心する。
電話帳を調べたオスカーは、ニューヨークの472人のブラック氏に一人ずつ会いに行くことに・・・・
鍵の由来を知るために、いろいろな人を訪ね歩くオスカー。
拒否する人も中にはいるが、オスカーを招き入れ、たとえ自分とその鍵が関係なくても励ましてくれたりする人が一杯いる。
そんなオスカーに、向かいのビルのアパートに住んでいる祖母の、間借り人の老人も、途中から一緒になって協力してくれる。
まだまだ沢山の人と会わなければいけないある日、意外なことから、この鍵と関連がある当人を突き止める。
オスカー役のトーマス・ホーンの演技が高く評価されているようだが、私はなぜかこのオスカーに共感できず違和感を感じた。
オスカーが小生意気な感じで、子供らしい感性が感じられないためか。
だが、オスカーが鍵の意味合いを知る後半以降、それまでの違和感が溶け去り、知らず知らずのうちに、その心情に寄り添う気持ちになる。
あの事件の時間帯に、掛かってきた父からの6回の留守電。
被災した巨大ビルに閉じ込められていた父から、オスカーへ無事でいることのメッセージ。
ブラック氏に、オスカーは告白する。
6回目の留守電についての、オスカーの秘密。
それに対する誰にも言えなかった、自責の念。
それを静かに受け止めてくれるブラック氏。
オスカーの陰で、夫を亡くしてから笑顔を無くしている母リンダの行い。
それらのことが絡み合って、絶望の淵から立ち上がっていくオスカー。
映画は感動を与えながら終わる。
その余韻は、ピアノを主旋律とした音楽とマッチしていつまでも残る。
しかし、観終わって「感動をありがとう」と出来合いの言葉で満足していていいのかと、フッと思う。
突然、最愛の人を事件で失う。同時多発テロ。
その根本的な原因は何かと、思いを巡らす。
国が、自分と異質のものを排除しようと仮想敵国を作り、地道な対話による努力を二の次とする。
その相手は見えない凶暴な敵となり、国が守るべきはずの国民、一般市民を狙う。
それをきっかけとして、負の連鎖が始まる。
日本でも、日米同盟を強化し国民を守ると強気な現政権の発言が、国民の安全を、反って不安に貶める可能性はないのか。
そのようなことを、この映画を観て思う。
『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(スティーブン・ダルドリー監督、2011年)を観た。
宝石店を経営するトーマスは、現実社会が苦手な息子オスカーに、ニューヨークにかつて存在した第6区を探す「調査探検」の遊びに誘う。
それは、オスカーが見知らぬ人と話をするための父の親心でもあった。
そんなある日、オスカーは父トーマスを9.11の同時多発テロで失い、調査探検は中断する。
トーマスの死から1年後。
父のクローゼットを物色していたオスカーは、うっかり青い花瓶を落としてしまう。
その割れた花瓶の中にあった小さな封筒。封筒には「ブラック」の文字と、ひとつの鍵。
「ブラック」を人名と判断したオスカーは、鍵の秘密と父との繋がりを知るために、その鍵穴を見つけようと決心する。
電話帳を調べたオスカーは、ニューヨークの472人のブラック氏に一人ずつ会いに行くことに・・・・
鍵の由来を知るために、いろいろな人を訪ね歩くオスカー。
拒否する人も中にはいるが、オスカーを招き入れ、たとえ自分とその鍵が関係なくても励ましてくれたりする人が一杯いる。
そんなオスカーに、向かいのビルのアパートに住んでいる祖母の、間借り人の老人も、途中から一緒になって協力してくれる。
まだまだ沢山の人と会わなければいけないある日、意外なことから、この鍵と関連がある当人を突き止める。
オスカー役のトーマス・ホーンの演技が高く評価されているようだが、私はなぜかこのオスカーに共感できず違和感を感じた。
オスカーが小生意気な感じで、子供らしい感性が感じられないためか。
だが、オスカーが鍵の意味合いを知る後半以降、それまでの違和感が溶け去り、知らず知らずのうちに、その心情に寄り添う気持ちになる。
あの事件の時間帯に、掛かってきた父からの6回の留守電。
被災した巨大ビルに閉じ込められていた父から、オスカーへ無事でいることのメッセージ。
ブラック氏に、オスカーは告白する。
6回目の留守電についての、オスカーの秘密。
それに対する誰にも言えなかった、自責の念。
それを静かに受け止めてくれるブラック氏。
オスカーの陰で、夫を亡くしてから笑顔を無くしている母リンダの行い。
それらのことが絡み合って、絶望の淵から立ち上がっていくオスカー。
映画は感動を与えながら終わる。
その余韻は、ピアノを主旋律とした音楽とマッチしていつまでも残る。
しかし、観終わって「感動をありがとう」と出来合いの言葉で満足していていいのかと、フッと思う。
突然、最愛の人を事件で失う。同時多発テロ。
その根本的な原因は何かと、思いを巡らす。
国が、自分と異質のものを排除しようと仮想敵国を作り、地道な対話による努力を二の次とする。
その相手は見えない凶暴な敵となり、国が守るべきはずの国民、一般市民を狙う。
それをきっかけとして、負の連鎖が始まる。
日本でも、日米同盟を強化し国民を守ると強気な現政権の発言が、国民の安全を、反って不安に貶める可能性はないのか。
そのようなことを、この映画を観て思う。