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ケン・ローチ監督の新作『家族を想うとき』(2019年)を観てきた。
イギリス、ニューカッスルに住むある家族。
ターナー家の父リッキーはマイホーム購入の夢をかなえるために、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立を決意。
「勝つのも負けるのもすべて自分次第。できるか?」と本部のマロニーにあおられて「ああ、長い間、こんなチャンスを待っていた」と答えるが、どこか不安を隠し切れない。
母のアビーはパートタイムの介護福祉士として、時間外まで一日中働いている。
リッキーがフランチャイズの配送事業を始めるには、アビーの車を売って資本にする以外に資金はなかった。
遠く離れたお年寄りの家へも通うアビーには車が必要だったが、1日14時間週6日、2年も働けば夫婦の夢のマイホームが買えるというリッキーの言葉に折れるのだった。
介護先へバスで通うことになったアビーは、長い移動時間のせいでますます家にいる時間がなくなっていく。
16歳の息子セブと12歳の娘のライザ・ジェーンとのコミュニケーションも、留守番電話のメッセージで一方的に語りかけるばかり。
家族を幸せにするはずの仕事が家族との時間を奪っていき・・・
(公式サイトより)
元々はマイホームを持っていたターナー家は、住宅金融組合を巻き込んだ金融危機によって住宅ローンがご破算となり、現在は賃貸住宅に住んでいる。
リッキーは今まで、職を転々としながらも真面目に働いてきた。
その彼が、妻に無理強いして仕事用の自家用車を買い、頑張れば報われると希望を燃やす。
しかし、現実の社会はどうなっているか。
個人事業主とは名ばかりで、時間通りに荷物を運ぶことを監視され、何らかの事情で運べなければ制裁金が待っている。
妻のアビーにしたって似たような仕事条件。
訪問看護先で食事ケア等をしながらその老人ともっと寄り添いたいが、スケジュールの時間が許さない。
そして、朝7時半から夜9時まで働く。
だから、二人の子供セブとライザ・ジェーンとの会話は携帯電話であり、出なければ伝言となる。
そんな中、息子セブの問題が起き、切羽詰まった状態となって、
家族の希望のための労働が、その家庭を徐々に崩壊へと向かわせる。
ケン・ローチは、前回の『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)を最後に引退宣言をしたと言う。
そんなケン・ローチを再度、映画を作らせることにした原動力は何か。
そのことが観ていてひしひしと伝わってくる。
世の中、どうしてここまで資本の論理を優先し、労働者を管理し搾取するのか。
それを現実として見せる。
だがこれは、何もイギリスのこととしての話ばかりではない。
日本にもそっくりそのまま当てはまる現状ではないだろうか。
もっと言えば、世界中に通用する事態ではないかと考える。
そんなことを思わせる、重い内容で明るさはないが、どっしりと深みのある作品であった。
イギリス、ニューカッスルに住むある家族。
ターナー家の父リッキーはマイホーム購入の夢をかなえるために、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立を決意。
「勝つのも負けるのもすべて自分次第。できるか?」と本部のマロニーにあおられて「ああ、長い間、こんなチャンスを待っていた」と答えるが、どこか不安を隠し切れない。
母のアビーはパートタイムの介護福祉士として、時間外まで一日中働いている。
リッキーがフランチャイズの配送事業を始めるには、アビーの車を売って資本にする以外に資金はなかった。
遠く離れたお年寄りの家へも通うアビーには車が必要だったが、1日14時間週6日、2年も働けば夫婦の夢のマイホームが買えるというリッキーの言葉に折れるのだった。
介護先へバスで通うことになったアビーは、長い移動時間のせいでますます家にいる時間がなくなっていく。
16歳の息子セブと12歳の娘のライザ・ジェーンとのコミュニケーションも、留守番電話のメッセージで一方的に語りかけるばかり。
家族を幸せにするはずの仕事が家族との時間を奪っていき・・・
(公式サイトより)
元々はマイホームを持っていたターナー家は、住宅金融組合を巻き込んだ金融危機によって住宅ローンがご破算となり、現在は賃貸住宅に住んでいる。
リッキーは今まで、職を転々としながらも真面目に働いてきた。
その彼が、妻に無理強いして仕事用の自家用車を買い、頑張れば報われると希望を燃やす。
しかし、現実の社会はどうなっているか。
個人事業主とは名ばかりで、時間通りに荷物を運ぶことを監視され、何らかの事情で運べなければ制裁金が待っている。
妻のアビーにしたって似たような仕事条件。
訪問看護先で食事ケア等をしながらその老人ともっと寄り添いたいが、スケジュールの時間が許さない。
そして、朝7時半から夜9時まで働く。
だから、二人の子供セブとライザ・ジェーンとの会話は携帯電話であり、出なければ伝言となる。
そんな中、息子セブの問題が起き、切羽詰まった状態となって、
家族の希望のための労働が、その家庭を徐々に崩壊へと向かわせる。
ケン・ローチは、前回の『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)を最後に引退宣言をしたと言う。
そんなケン・ローチを再度、映画を作らせることにした原動力は何か。
そのことが観ていてひしひしと伝わってくる。
世の中、どうしてここまで資本の論理を優先し、労働者を管理し搾取するのか。
それを現実として見せる。
だがこれは、何もイギリスのこととしての話ばかりではない。
日本にもそっくりそのまま当てはまる現状ではないだろうか。
もっと言えば、世界中に通用する事態ではないかと考える。
そんなことを思わせる、重い内容で明るさはないが、どっしりと深みのある作品であった。
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