ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『ドイツ零年』を観て

2015年12月27日 | 戦後40年代映画(外国)
ヴィットリオ・デ・シーカと共に、イタリア映画のネオレアリズモを一躍世界に広めたロベルト・ロッセリーニ。
この監督の「戦争三部作」の三作目『ドイツ零年』(1948年)が未見だったので観てみた。

第二次大戦で廃墟と化したベルリン。
崩れ落ちた跡が残るビルの一室で、少年エドムントは病弱な父と兄、姉の四人で、間借りして暮らしている。
父親は病身でベットから起き上れないし、元ナチス党員の兄は告発されるのを恐れて家の中に閉じこもり、職に就かずにいる。
そして、姉は一家の家計を助けるため、夜にクラブへ出かけ、外国人からのわずかな煙草を手にしたりしている。
エドムントも、今日の食べ物にも事欠く有様の家族のために、何とかして少しでも生活の足しになる仕事はないかと探している。

ともかく一家は、三人分の食糧の配給で四人が食べていかなければならない。
だから、父親は常に「死にたい」と口にしたりしている。

ある日のこと、エドムントはかつての小学校の担任だった教師と街で出会う。
元教師は、やましそうな仕事の他に、連合軍相手にヒトラーの演説レコードを闇で売りさばいたりしていて、
エドモンドにもそのレコード売りの仕事を与える・・・・

物語の内容作りがやや粗く、もう少し筋立てた描写をしてくれてもよさそうにと恨めしく思う。
だがロッセリーニは、ドイツを舞台に素人を使いながら貧困にあえぐ一市民をぐいぐいと描く。
弱者は強者によって滅ぼされる。生き延びるには、弱者を犠牲にする勇者が必要であると、ナチズムの信奉者だった元教師はエドムントに吹き込む。
このような思想の持ち主が、純真な子供たちに教育をしていた結果はどうなるか。

少年は父親の飲み物に劇薬を入れる。
その行為の果てに、エドムント自身も廃墟のビルに上がって悲劇を迎えることになる。

ドキュメンタリー・タッチで即物的に淡々と描くこの映画は、観る者に感傷を許さないし、感情移入もさせない。
私は思う。
戦勝国だろうと敗戦国だろうとそこに生きる人たちは、たまたまその国民であったというだけではないか。
ただ、その時代から現在に至るまで、本人がどのように物事を考え、それをどう対処しようとしていたかが問われると。

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1 コメント

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子供の人権擁護 (rumichan)
2018-03-27 02:01:36
最初の字幕の言葉
『この映画によって、子供達への人権意識が高まれば、制作者の労が報われるであろう』
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