ポケットの中で映画を温めて

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『女は二度決断する』を観て

2018年04月22日 | 2010年代映画(外国)
『女は二度決断する』(ファティ・アキン監督、2017年)を観てきた。

ドイツのハンブルク。
カティヤは、ビルの一階で店を開いている夫ヌーリに息子を預け、迎えに行く時間まで友人と公衆浴場で過ごした。
カティヤが戻って来ると、店の前で爆弾による惨事が起きていて、巻き込まれた夫と息子は命を落としてしまっていた。

そう言えば、夫に息子を預けてカティヤが店を出た時、荷台にケースをつけた自転車を駐輪していく女がいた。
カティヤはその女が犯人だと確信するが、警察は、ヌーリがトルコ系移民であり、以前に麻薬の売買に関わっていたのを怪しみ、それに絡む抗争事件とにらむ。
家族を失い絶望に陥ったカティヤは、手首を切りバスタブで自殺を図る。
丁度その時、ドイツ人のネオナチ男女が逮捕されたと連絡が入り、女はカティヤが目撃したとおりの人物だった・・・

三部構成になっている1部の「家族」から、次の「正義」へと進む。

ネオナチの男と女を被告とした裁判シーンである。
被告側弁護人と原告側弁護人の法廷やりとりが緊張感を伴って論点を尽くしていく。
しかし生きる力が生み出せないカティヤが、またまた麻薬を使用したことが裁判に不利に働く。

そして、3部「海」。
被告のアリバイを証言した極右団体のホテル・オーナーを探すため、ギリシャまでやって来たカティヤ。
この辺りからサスペンスの雰囲気が、緊張感と共に盛り上がってくる。

裁判に勝った二人は、無罪になったものの社会の目を気にして、ホテル・オーナーを頼りギリシャに来ていた。
それを偶然に知ったカティヤ。
一度はためらうカティヤだが、この海辺で、最後には大きな決心をする。

ネオナチによる外国人排斥問題。
この作品にはそのこと、例えば、ドイツにおける外国人のおかれている立場、その排斥運動としての極右勢力の動き、
それに対するドイツ社会の全体性などは具体的に深くは描かれていない。
しかしその分、夫と息子を失ったカティヤの悲しみ、やるせなさ、残された者の生きることの意味合いを、カティヤ役のダイアン・クルーガーが迫真の演技でみせる。

この映画は、そんじょそこらの生半可な作品よりよっぽど面白くて印象に残る、かつ身の引き締まる優れた作品だった。

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