『小間使の日記』(ジャン・ルノワール監督、1946年)を観た。
パリからの汽車で、片田舎に降りたったセレスティーヌ。
ランレール家の高慢な執事ジョゼフが出迎え、セレスティーヌは不器用なルイーズと共にメイドとして雇われる。
セレスティーヌの望みはこれまでの経験から、愛はいらないから相手が金持ちであるかどうかだけ。
館の主人ランレールは妻に実権を握られていて、金銭の持ち合わせがほとんどない。
隣家には、ランレールと犬猿の仲の調子者モージェ大尉が住んでいる。
モージェ大尉は一目でセレスティーヌを気にいるが、彼女にその気が起きない。
そこへ、ランレールの息子で病弱なジョルジュが屋敷に戻ってくる。
息子を溺愛する母親は、ジョルジュがまた家から出て行ってしまわないよう、セレスティーヌを着飾らせて気を引かせようとする。
そしてセレスティーヌは、夫人の言いつけで、ジョルジュとの散歩が毎日の仕事になって・・・
話の前提としての、革命記念日。
ランレール家は共和国を嫌う富裕層。
そのため銀食器を当日飾ってメンツを保とうとする。
片や外では、「共和国万歳!」と叫ぶ一般市民のお祭り騒ぎ。
その対比を背景としての、セレスティーヌとジョルジュの恋愛感情のやり取り。
ただ行き違いとして残念なことに、ジョルジュはセレスティーヌが母親の回し者に違いないと疑っていること。
それに対して頭にきたセレスティーヌは、屋敷を出て行こうと、執事ジョゼフに馬車で駅まで送ってほしいと依頼する。
すると、したたかで野心家のジョゼフが、「シェルブールのカフェに一年前、手付け金が払ってあるから結婚して一緒にやろう」と言い出す。
ジョゼフにしてみれば、セレスティーヌは“似た者同士だ”という考えである。
後はよくある、ジョルジュとジョゼフの乱闘ばりの争い。
そして、セレスティーヌとジョルジュのハッピーエンドと、話は収まる。
それにしても、セレスティーヌは“愛はいらない”と言っていたのに、ちゃっかりと愛を掴み、そこが甘いというか後半部分から話の内容がピリリとしていない。
やはり、ジャン・ルノワールにしても、渡米時代はどうしてもハリウッド的な物語になってしまうのかなと、思ったりする。
それでもラスト近くの群衆シーンはさすがで、『ラ・マルセイエーズ』(1938年)のシーンとオーバーラップする。
それと冒頭から流れる音楽には、アレレとなる。
曲は「魅惑のワルツ」
この曲は、『昼下がりの情事』(ビリー・ワイルダー監督、1957年)の主題曲として憶えているので、曲を聞くとゲイリー・クーパーとオードリー・ヘプバーンのロマンチックな雰囲気を思い出してしまう。
勿論、こちらの作品の方が先だとしても、やはり変な違和感が立ってしまう。
そんなことを言っても、主役はポーレット・ゴダード。
彼女については、チャップリンの『モダンタイムス』(1936年)と『独裁者』(1940年)しか知らなかったが、いい拾いものをしたような気分で大満足。
そんなこともあって多少内容が甘かろうが、これはこれでいい映画だった。
パリからの汽車で、片田舎に降りたったセレスティーヌ。
ランレール家の高慢な執事ジョゼフが出迎え、セレスティーヌは不器用なルイーズと共にメイドとして雇われる。
セレスティーヌの望みはこれまでの経験から、愛はいらないから相手が金持ちであるかどうかだけ。
館の主人ランレールは妻に実権を握られていて、金銭の持ち合わせがほとんどない。
隣家には、ランレールと犬猿の仲の調子者モージェ大尉が住んでいる。
モージェ大尉は一目でセレスティーヌを気にいるが、彼女にその気が起きない。
そこへ、ランレールの息子で病弱なジョルジュが屋敷に戻ってくる。
息子を溺愛する母親は、ジョルジュがまた家から出て行ってしまわないよう、セレスティーヌを着飾らせて気を引かせようとする。
そしてセレスティーヌは、夫人の言いつけで、ジョルジュとの散歩が毎日の仕事になって・・・
話の前提としての、革命記念日。
ランレール家は共和国を嫌う富裕層。
そのため銀食器を当日飾ってメンツを保とうとする。
片や外では、「共和国万歳!」と叫ぶ一般市民のお祭り騒ぎ。
その対比を背景としての、セレスティーヌとジョルジュの恋愛感情のやり取り。
ただ行き違いとして残念なことに、ジョルジュはセレスティーヌが母親の回し者に違いないと疑っていること。
それに対して頭にきたセレスティーヌは、屋敷を出て行こうと、執事ジョゼフに馬車で駅まで送ってほしいと依頼する。
すると、したたかで野心家のジョゼフが、「シェルブールのカフェに一年前、手付け金が払ってあるから結婚して一緒にやろう」と言い出す。
ジョゼフにしてみれば、セレスティーヌは“似た者同士だ”という考えである。
後はよくある、ジョルジュとジョゼフの乱闘ばりの争い。
そして、セレスティーヌとジョルジュのハッピーエンドと、話は収まる。
それにしても、セレスティーヌは“愛はいらない”と言っていたのに、ちゃっかりと愛を掴み、そこが甘いというか後半部分から話の内容がピリリとしていない。
やはり、ジャン・ルノワールにしても、渡米時代はどうしてもハリウッド的な物語になってしまうのかなと、思ったりする。
それでもラスト近くの群衆シーンはさすがで、『ラ・マルセイエーズ』(1938年)のシーンとオーバーラップする。
それと冒頭から流れる音楽には、アレレとなる。
曲は「魅惑のワルツ」
この曲は、『昼下がりの情事』(ビリー・ワイルダー監督、1957年)の主題曲として憶えているので、曲を聞くとゲイリー・クーパーとオードリー・ヘプバーンのロマンチックな雰囲気を思い出してしまう。
勿論、こちらの作品の方が先だとしても、やはり変な違和感が立ってしまう。
そんなことを言っても、主役はポーレット・ゴダード。
彼女については、チャップリンの『モダンタイムス』(1936年)と『独裁者』(1940年)しか知らなかったが、いい拾いものをしたような気分で大満足。
そんなこともあって多少内容が甘かろうが、これはこれでいい映画だった。
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