花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

木霊

2022-11-10 | 日記・エッセイ


虚世保身の綱渡りに憂き身を窶せば、護持したはずの真面目(しんめんぼく)は痩せ萎む。それとも初端から損なうものとてない、がらんどうの肚裡か。遥か彼方から大喝一声が木霊する時。

穭田(ひつじだ)

2022-10-27 | 日記・エッセイ


子曰、苗而不秀者有矣夫、秀而不實者有矣夫 
子の曰わく、苗にして秀でざる者あり。秀でて実らざる者あり。 「論語」巻第五・子罕第九

穭田のあとさき断ちて此処に生ふ 

暁の雨

2022-10-23 | 日記・エッセイ


  佐保山の柞(ははそ)のもみぢ時雨に濡る、といふことを
  人々によませしついでによめる
佐保山の柞のもみぢ 千々の色にうつろふ秋は時雨降りけり
   金槐和歌集   源実朝



本棚・其二│岩波文庫10選

2022-10-08 | 日記・エッセイ


《自分の趣味全開で絶対読んだ方ほうがいいと思う岩波文庫》という企画があったことを最近知った。諸兄諸姉の基調が窺われる選択に触発され、自分も感銘を受けた数多の本から《自分の趣味全開で選んだ座右の岩波文庫10選》(令和四年神無月版)をまとめた。改めて本棚に並ぶ各社の文庫本を眺めると、岩波文庫に限らず、新旧の同じ本が幾冊もあちこちに顔を覗かせるのが御愛嬌である。読み直そうとして何処に仕舞ったのやら、捜すも見当たらずに再度買い求めるという不心得がやたら多い為である。

ところで話題の岡義武名誉教授著『山縣有朋 明治日本の象徴』を早速求めんとすれば時すでに遅し、只今岩波文庫の紙本は重版中であった。電子書籍版は入手可能でダウンロードしたものの、紙本が出回ればまた買い足している様な気がする。
 京都、南禅寺の山縣元帥別邸、無鄰菴の庭園は山縣三名園の一つで、七代目小川治兵衛作庭の日本の原風景を彷彿とさせる池泉廻遊式庭園である。COVID-19蔓延下の入場制限中であるが、秋が一段と深まる時節に再び伺えたらと願っている。



本棚・其一│紙本と電子書籍

2022-10-01 | 日記・エッセイ


医療器械は勿論、電子カルテやファイリングソフトが載ったPCなど、昨今の医療業務はデジタル機器の利用なくして完遂不能である。だが自分の性根はどこまでもアナログである。電子書籍リーダーの携帯性、用語検索における便利さを日々痛感するものの、本と自分との間に端末が介在する隔靴掻痒の感には未だに馴染めない。紙本それぞれの嵩、厚みや質感、纏う装丁の意匠など、読み手の五感にからむ強調因子を欠く為なのか。ダウンロードした“どの本”を開いても、没入の遥か手前で同じ顔の金太郎飴データを眺めている気分が続き、原本が胚胎する千差万別の世界に全身全霊をもって埋没出来ない。
 文庫本や単行本に限らず、経年変化で色褪せた背表紙が並ぶ本棚を見れば、整理をさぼるがゆえの偶然の並びから、考えもしなかった新たな閃きや連想が生まれることがある。そして再び手に取れば、挟んだ付箋の束や余白の書き込みから、かつての熱い時代がまざまざと蘇える。




散華

2022-09-27 | 日記・エッセイ

極楽世界 散華楽笛│芹沢銈介画, 佐藤春夫作:「極楽から来た挿絵集」(法然上人絵伝), 吾八, 1961

  聖衆来迎楽
一筋に心の色を染むるかな たなびきわたる紫の雲
     聞書集     西行


洛東 知恩院│徳力富吉郎

不死鳥

2022-09-15 | 日記・エッセイ


俎上の貴殿(あなた)を他者(ひと)が料理する。載ったら最後、其処は困るという意気地ない待ったは通用しない。手の内にありと言わしめ、それもまた戯言の一興。心配ご無用、此の世の誰一人として不死鳥に引導は渡せない。

交差路

2022-09-09 | 日記・エッセイ


止まれ進めの旗のまま、すすみゆく道をなくした黄昏。街角で見あげた信号機が、もういいからと告げていた。さよならが宿世だから、瞬刻の交差に浅き夢を見る。絶え間ない流れのなかで、其処だけがほんのりと暮れなずむ。

秋風

2022-09-06 | 日記・エッセイ


此岸に佇み見送る眼に映るのは、ふたたび見(まみ)える事のない後姿である。その衣着つる人は心異に物思ひなくなりける。舟上の影はもはや穢き所を顧みることはない。朝霧は消えゆき、跡無き川面を秋立つ風が吹き渡る。