花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

祇王と仏御前

2023-04-09 | 日記・エッセイ


入道相国に寵愛された白拍子の祇王は、年もまだ若い仏御前の艶姿に心を奪われた入道に弊履の如く捨てられる。当初、召されていないのに推参した仏御前に対し「とうとう罷出よ」(さっさと退出せよ)と言い放った清盛に、不憫だから御対面だけでもと執り成したのは他ならぬ祇王自身である。初音の帖で恩に着せた光源氏の空蝉への物言いが表す様に、権力者が施す特別の計らい、家内富貴や百石百貫などは、寵愛が失われ関係が消滅すれば何れも其迄である。
 「いづれか秋にあはではつべき」の恨みがましい歌など残さず、立つ鳥跡を濁さずの舞納めこそあらまほしけれ。頼朝に命じられ、しづやしづのと命を懸けて謡い舞い終えたのは、後の靜御前の心意気である。我こそは都に聞えたる白拍子の上手と謳われた祇王ではないか。身を恥じねばならぬことなど一つもない。性懲りもなく、思ひ知らずの清盛は座興として祇王を呼び寄せたが、冥途の土産にせよと芸の何たるかの神髄を堂々と見せつけてやればよい。
 それにしても一群の中で、おのれの身の安泰だけを図り、自死まで覚悟した祇王・祇女の姉妹に親孝行を盾にひたすら堪忍せよと強いる母刀自は酷い。そしてひとえに胸を打つは、栄寵を固辞し、並々ならぬ精進を重ねてきた芸の道を捨てて落飾し、祇王の跡を慕い往生の素懐を遂げた仏御前の清冽な心根である。 

参考資料:
市古貞次校注・訳:日本古典文学全集「平家物語①」, 小学館, 2014

 


柳あをめる

2023-03-12 | 日記・エッセイ


お別れ会に参列するために京都市内に出た。三条大橋端の枝垂れ柳ははや芽吹いて春風に揺れている。みわたせば柳桜をこきまぜた都となる日も近い。

族類を以て賢を求むるを請ふ│2023年度大学入学共通テスト「白氏文集」

2023-01-15 | 日記・エッセイ


《二十七、請以続類求賢》
問、自古以來、君者無不思求其賢、賢者罔不思效其用。然兩不相遇、其故何哉。今欲求之、其術安在。

臣聞、人君者無不思求其賢、人臣者無不思効其用。然而君求賢而不得、臣效用而無由者、豈不以貴賤相懸、朝野相隔、堂遠於千里、門深於九重。雖臣有慺慺之誠、何由上達、雖君有孜孜之念、無因下知。上下茫然、兩不相遇。如此、則豈唯賢者不用、矧又用者不賢。所以從古已來、亂多而理少者、職此之由也。
臣以為、求賢有術、辨賢有方。方術者、各審其族類、使之推薦而已。近取諸喩、其猶線與矢也。線因針而入、矢待弦而發。雖有線矢、苟無針弦、求自致焉、不可得也。夫必以族類者、盖賢愚有貫、善惡有倫、若以類求、必以類至。此亦由水流濕、火就燥、自然之理也。何則、夫以德義立身者、必交於德義、不交於險僻、以正直克己者、必朋於正直、不朋於頗邪、以貪冒為意者、必比於貪冒、不比於貞廉、以悖慢肆心者、必狎於悖慢、不狎於恭謹。何者、事相害而不相利、性相戾而不相從。此乃天地常倫、人物常理、必然之勢也。則賢與不肖、以此知之。伏惟、陛下欲求而致之也、則思因針待弦之勢、欲辨而別之也、則察流濕就燥之徒。得其勢、必彙征而自來、審其徒、必群分而自見。求人之術、辨人之方、於是乎在此矣。」

問ふ、古より以來、君者は其の賢を求むるを思はざる無く、賢者は其の用を效(いた)すを思はざる罔(な)し。然れども兩つながら相遇はざるは、其の故何ぞや。今之を求めんと欲するに、其の術安(いず)くに在るや。

臣聞く、人君は其の賢を求むるを思はざる無く、人臣は其の用を效すを思はざる無しと。然れども君は賢を求めて得ず、臣は用を効すに由無きは、豈に貴賤相懸て、朝野相隔て、堂は千里より遠く、門は九重より深きを以てならずや。臣に慺慺(るる)の誠有りと雖も、何に由りて上達せん、君に孜孜(しし)の念有りと雖も、下知するに因無し。上下茫然とし、兩つながら相遇はず。此くの如ければ、則ち豈に唯に賢者の用ひられざるのみならん、矧んや又用者の賢ならざるをや。古より已來、亂多くして理少なき所以の者は、職ら此に之れ由るるなり。
臣以為へらく、賢を求むるに術有り、賢を辨ずるに方あり。方術とは、各々其の族類を審らかにし、之をして推薦せしむるのみ。近く諸を喩へに取れば、其れ猶ほ線(いと)と矢とのごとし。線は針に因りて入り、矢は弦(つる)を待ちて發す。線矢有りと雖も、苟くも針弦無くんば、自ら致すを求むるも、得べからざるなり。夫れ必ず族類を以てするは、盖し賢愚貫ぬる有り、善惡倫(ともがら)有り、若し類を以て求むれば、必ず類を以て至る。此れ亦た由ほ水の濕に流れ、火の燥に就くがごとく、自然の理なり。何となれば則ち、夫れ德義を以て身を立つる者は、必ず德義に交はり、險僻(けんぺき)に交はらず、正直を以て己に克つ者は、必ず正直を朋とし、頗邪(はじゃ)を朋とせず、貪冒(たんぼう)を以て意と爲す者は、必ず貪冒に比(なら)び、貞廉(ていれん)に比ばず、悖慢(ぼつまん)を以て心を肆(ほしいまま)にする者は、必ず悖慢に狎れ、恭謹に狎れず。何となれば、事相害して相利せず、性相戾(もと)りて相從はざればなり。此れ乃ち天地の常倫、人物の常理にして、必然の勢なり。則ち賢と不肖とは、此を以て之を知る。伏して惟ふに、陛下求めて之を致さんと欲すれば、則ち針に由り弦を待つの勢を思ひ、辨じて之を別たんと欲すれば、則ち濕に流れ燥に就くの徒を察せよ。其の勢を得れば、必ず彙征(ゐせい)して自ら來り、其の徒を審らかにすれば、必ず群分して自ら見れん。人を求むるの術、人を辨ずるの方、是に於てや此に在らん。
(白氏文集・巻四十六 策林二│岡村繁著:新釈漢文大系「白氏文集 八」, p159-163, 明治書院, 2006)

以上は、1月14日の漢文問題設問(太字部分)に採択された白氏文集の全文である。君が賢者を求め、賢者は君の御役に立たんと願うも、両者のマッチングは容易ではない。水が湿に流れ火が燥に広がる様に、賢者は賢者、善人は善人同志で親交を深め、一方愚者は愚者、悪人は悪人仲間でつるむのであり、類は類を呼ぶ、同じ羽の鳥は集まるのが自然の理である。そして糸は針穴に入り、矢は弦があってこそ己の力量を発揮できる。水や火の性の如く自然に道理を重んじ徳を積む方に寄る人間かを見極め、その良材が志を同じくする同類の新たな良材を推挙し導いてくる体制を整える事こそ、天下の逸材発掘の要であるとの結論である。

優れた人間の同類が呼び集まり、其処からそうでない人間は遠ざかる、いわば無限の自浄刷新作用を備えたダイナミックな組織集団の成立である。
-----名ならぬ人脈は体を表す。例えどのような立場や境遇であるとも、良質な縁を紡ぐには、まずは自分自身を律して高めておかねばならない。





肉付きの鎧

2023-01-12 | 日記・エッセイ


芭蕉はなぜ傍らに眠らんと望むまで義仲に心をお寄せになったのか。諸兄諸姉の御見解は渉猟した限り様々である。伊勢物語や平家物語を初めて学んだ時、義仲あるいは高安の女が辿る運命には似通った不条理を感じた。衒いのない生一本な魂の真意は顧みられることなく、彼等は弊履の如く打棄てられる。「日来はなにともおぼえぬ鎧が今日は重うなつたるぞや」は、粟津の松原で非業の最期を遂げる義仲が乳兄弟の兼平に吐露した言葉である。そして百代の後、尋常の我等各自にも縁あって身に纏うたら、もはや分かつことが叶わない肉付きの鎧がある。 


七種(ななくさ)│令和五年睦月七日

2023-01-07 | 日記・エッセイ

春の七草、JA糸島・福岡県産

七くさや袴の紐の片むすび    句帳 蕪村
七草や跡にうかるゝ朝がらす   猿蓑 其角
七草や粧ひしかけて切刻み    炭俵 野坡
七草や唱哥ふくめる口のうち   有磯海 北枝

 清水孝之校注:新潮日本古典集成「与謝蕪村集」, 新潮社, 1950
 堀切実編注:「蕉門名家句選(上・下)」, 岩波書店, 2010

令和五年癸卯元旦

2023-01-01 | 日記・エッセイ


東坡 廬山に遊びて東林に至る。ニ偈を作りて曰く、
渓聲すなわち是れ広長舌、山色豈清浄身にあらざらんや。夜来八万四千の偈、他日如何が人に挙似(こじ)せん。横(よこざま)に看れば嶺となり、側(そばだ)たば、峯となる。遠近に山を看るも了(つい)に同じからず、識(し)らず廬山の真面目。ただ身の此の山中に在るに縁(よ)るのみ、と。

東坡遊廬山至東林、二偈曰、
渓聲便是広長舌、山色豈非清浄身、夜来八万四千偈、他日如何挙似人、
横看成嶺側成峯、遠近看山了不同、不識廬山真面目、只縁身在此山中
 (蘇東坡著, 飯田利行編訳:「禅喜集(下)」, p144-146, 国書刊行会, 2003)

新年の御多幸を謹んでお祈り申し上げます。
何卒本年も宜しくお願い申し上げます。

令和四年壬寅大晦日

2022-12-31 | 日記・エッセイ


荏苒歳言暮  荏苒(じんぜん)として歳言(ここ)に暮れ
昊天降粛霜  昊天(こうてん) 粛霜を降らす
千山木葉落  千山 木葉落ち
万径少人行  万径 人の行く少なり
永夜焼乾葉  永夜 乾葉を焼(た)き
時聞驟雨声  時に驟雨の声を聞く
回首憶往事  首を回らして往事を憶へば
総是夢一場  総べて是れ夢一場
(入谷義高訳注:東洋文庫「良寛詩集」, p135-136, 平凡社, 2006)

本年賜りました御厚情に謹んで御礼申し上げます。
来年も何卒宜しくお願い申し上げます。


大和うるわし│日本めまい平衡医学会2022

2022-11-18 | 日記・エッセイ


第81回日本めまい平衡医学会総会・学術講演会が奈良県コンベンションセンターで開催された。テーマは「めまいの原因を紐解く」で、現地と後日オンデマンド配信の昨今定番のハイブリッド開催である。各めまい疾患の診断基準改定、病態概念の変遷、平衡訓練、平衡機能検査機器の発達など、この領域における日進月歩を改めて認識した。

会場は近鉄奈良線、新大宮駅から徒歩10分の近場で、数年ぶりのリアル学会参加である。それ以上に何十年ぶりだろう、通学・通勤の方達がひしめき合う早朝の列車に乗り込むのは。様変わりした状況は、老若問わず皆が不織布マスクを装用しておられたことである。



令和四年の正倉院展はじまる

2022-11-12 | 日記・エッセイ


第74回正倉院展が奈良国立博物館で開催中である。本年も漆背金銀平脱八角鏡をはじめ数多くの御物が公開された。これら最高の芸術品に物心が付く前から囲まれ培われた審美眼は、長じて鑑賞の機会を得て意図的に学び育んだそれとは、恐らく雲泥の差があるに違いない。
 現代において、受験戦争、やれ偏差値や席次、一流校進学、学位や資格云々に齷齪するのは、露命の身をあれこれ飾り立て成り上がらんとする、所詮、我等一般庶民における行動様式である。これらは後からの自助努力次第、切れ者の御方であれば位人臣を極めることも可能であろう。だが美意識のみならず、風格、見識や居住まい等々、其処に生を享けねば決してその身に備わらないものが、厳然としてあるのではなかろうか。今の世は何処も彼処もボーダーレスが至極当然であるが、かつて痛感した「上つ方とは│第29回日本医学総会にて」(2015/12/25)の述懐をふたたび思い起こさずにはいられない。