花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

初夏の紫の花を頂く・其一│花信

2024-05-18 | アート・文化


葡萄染の織物。すべて、なにもなにも、紫なるものは、めでたくこそあれ。花も、糸も、紙も。庭に雪の厚く降り重きたる。一の人。紫の花の中には、かきつばたぞ、すこし憎き。六位の宿直姿のをかしきも、紫のゆゑなり。

(第八十三段 めでたきもの│萩谷朴校注:新潮日本古典集成「枕草子 上」, p199-203, 新潮社, 2000)





緑迢迢│花信

2024-05-04 | アート・文化


  題画  柏木如亭
迢迢草色連  迢迢として草色連なり
遊子動帰思  遊子 帰思を動かす
長路何時尽  長路 何れの時か尽きん
天辺恰子規  天辺 恰も子規

揖斐高訳注:東洋文庫「柏木如亭詩集2」, p252-253, 平凡社, 2017





神医華佗と芍薬のはなし

2024-05-03 | アート・文化

紫丁香花と芍薬葉 

三国志時代の名医華佗は、家の周囲に植えている花木薬草の内、役にたたぬと芍薬を放置していた。ある深夜、女が泣く声を耳にし、窓外に月光を浴びた美女を見る。外に出てみたが人影が見えた処に芍薬があるばかり。屋内に戻ればまた泣き声が聞こえ、出たり入ったりを何度も繰り返した後、華佗は熟睡中の奥さんを起こして面妖な出来事を聞かせた。
 奥さん曰く、「一草一木を丹精し良薬となし数多の病人をお救いになっている貴方が、芍薬だけを軽んじて放置するのが悔しいと泣いているのでしょう。」
 華佗は一笑に付し、「私はあらゆる薬草を吟味し薬効を把握できなかったものはない。しかし芍薬だけは花、葉や茎の何処もが薬用にならん。だから恨まれる筋合いはない。」
 さらに奥さん曰く、「確かに地上の部分はお調べになりましたけれど、根は検証してはおられませんよ。」これに耳を傾けることなく煩わしいと寝てしまった華佗に対し、「以前は人が勧めて話すことに耳を傾けた主人なのに。このままでは何時か取り返しのつかない仕儀になるのでは。」と、奥さんは気がかりに思うのであった。
 それから数日経過、湧き出る様な月経血と下腹部の絞痛に苦しんだ奥さんは、隠れて芍薬根を掘り起こし煎じて服用したのだが、なんと半日もたたずに出血はおさまり腹痛も癒えた。華佗はこの次第を聞いて奥さんに感謝するとともにさらなる追試を行い、まさしく芍薬根が止血止痛の良薬となることを確信した。(『中薬趣話』、花相---芍薬<華佗与芍薬>, p173-174を拙訳)
重要:一般の方は決して真似をなさらぬ事。芍薬に限らず、花木薬草を用いた素人療法は危険です。

参考資料:
王煥華著:「中薬趣話」, 百花文芸出版, 2006
湖北省群衆芸術館編, 立間祥介, 岡崎由美訳:「三国志外伝: 民間説話にみる素顔の英雄たち」, 徳間書店, 1990


*参考資料に提示した両書の記述を比較すると出血の原因、病態が異なる。『中薬趣話』、花相─芍薬<華佗与芍薬>では「月経来潮、血湧如注、小腹絞痛」の月経過多・月経困難症であり、一方『三国志外伝: 民間説話にみる素顔の英雄たち』、魏の部<華佗と芍薬>では「女房は菜切り包丁をつかむと、「南無三」覚悟を決めて、と股(もも)の肉を抉った。」の刺創である。いずれにせよ「聖手能く医するは華陀を説う」の神医、華佗元化の妻は深謀遠慮、剛毅果断な女傑でないと務まらない。

*冒頭の丁香花・紫丁香(ライラック)は水下がりし易く、花が咲き終わった後も瑞々しさを保つ芍薬葉を添葉とした。神医華佗に役立たずと見捨てられたが、芍薬葉は生け花の花材としては有用で主薬ならぬ主花を補ってなお余りがある。


当帰 芍薬 春田に満つ│菅茶山

2024-05-02 | アート・文化

芍薬 ラテンドレス

  玉水路上  菅茶山
南都山翠北都連  南都の山翠 北都に連なる
淀水斜通笠置川  淀水 斜めに通ず 笠置川
壊道久無鑾輅過  壊道 久しく鑾輅(らんらく)の過ぐる無し
当帰芍薬春田満  当帰 芍薬 春田に満つ
 (「菅茶山 六如」, p53-54)

山城の井手の玉水手に汲みて頼みしかひもなき世なりけり
   新古今和歌集・巻第十五 恋歌五

参考資料:
黒川洋一注:江戸詩人選集 第四巻「菅茶山 六如」, 岩波書店, 2001
大津有一校注:「伊勢物語」, 岩波書店, 1994


之に贈るに芍薬を以てす│詩経

2024-04-30 | アート・文化

和芍薬 サツキ

  溱洧         溱洧(しんゐ)
溱與洧 方渙渙兮   溱と洧と 方に渙渙たり
士與女 方秉蕑兮   士と女と 方に蕑(かん)を秉る
女曰觀乎 士曰旣且  女曰く 觀(みそぎ)せんか 士曰く旣にせり
且往觀乎 洧之外   且に往きて觀せん 洧の外は 
洵吁且楽 維士与女  洵(まこと)に訏(く)にして且つ楽し 維に士と女と
伊其相謔 贈之以芍藥 伊(ここ)に其れ相謔し、之に贈るに芍藥を以てす
溱與洧 瀏其清矣   溱と洧と 瀏として其れ清らなり
士與女 殷其盈兮   士と女と 殷として其れ盈てり
女曰観乎 士曰旣且  女曰く 觀せんか 士曰く旣にせり
且往観乎 洧之外   且に往きて觀せん 洧の外は 
洵訏且楽 維士与女  洵に訏にして且つ楽し 維に士と女と
伊其將謔 贈之以芍薬 伊(ここ)に其れ將謔(あひぎゃく)し、之に贈るに芍薬を以てす
(鄭風│「詩経 上,244-289)
 *溱洧:溱水と洧水、鄭の国を流れる河
 *蕑(蕳):蘭草、フジバカマ
 *芍薬:古文献の芍薬が現在のシャクヤクと同一かに関しては論議がある。

  
  經溱洧  白居易   溱洧を經(ふ)
落日駐行騎 沈吟懐古情 落日に行騎を駐め 沈吟す懐古の情
鄭風變已盡 溱洧至今清 鄭風 變 已に盡き 溱洧今に至るまで清し
士見士與女 亦無芍藥名 士と女とを見ず 亦た芍藥の名無し
(巻第五十一│「白氏文集 九」,p74-75)
 *暮れ行く河のほとり、禊をして薬草を採り男女が聚会する歌垣習俗の懐古。游子悲しむ溱洧旅情。

参考資料:
白川静訳注:東洋文庫「詩経国風」, 平凡社, 2002
石川忠久著:中国古典新書「詩経」, 興学社, 2011
石川忠久著:新釈漢文大系「詩経 上」, 明治書院, 2007
岡村繁著:新釈漢文大系「白氏文集 九」, 明治書院, 2005
久保輝幸:牡丹・芍薬の名物学的研究(2)芍薬の訓詁史, 薬史学雑誌:48(2), 116-12, 2013

香爐峯の雪は簾を撥げて看る

2024-04-20 | アート・文化

せの部 清少納言│尾形月耕「以呂波引 月耕漫画」一編巻七, 東陽堂, 明治31年

  香爐峯下、新卜山居、草堂初成。偶題東壁。
  重題 其三  白居易

  香爐峯下、新たに山居を卜し、草堂初めて成る。偶〻東壁に題す
  重ねて題す 其三

日高睡足猶󠄁慵起  日高く 睡り足りて 猶ほ起くるに慵し
小閣重衾不怕寒  小閣 衾を重ねて 寒を怕れず
遺愛寺鐘欹枕聽  遺愛寺の鐘は 枕を欹てて聴き
香爐峯雪撥簾看  香爐峯の雪は 簾を撥げて看る
匡廬便是逃名地  匡廬は便ち是れ 名を逃るる地
司馬仍爲送老官  司馬は仍ほ 老を送るの官為り
心泰身寧是歸處  心泰かに 身寧きは 是れ歸處なり
故郷何獨在長安  故郷 何ぞ獨り 長安に在るのみならんや
(「白氏文集 三」, p419-427)

参考資料:
岡村繁著:新釈漢文大系「白氏文集 三」, 明治書院, 1988
萩谷朴校注:新潮日本古典集成「枕草子 上・下」, 新潮社, 2000
川口久雄, 志田延義:日本古典文学大系「和漢朗詠集 梁塵秘抄」, 岩波書店, 1974



木の花は、濃きも淡きも紅梅│「枕草子」第三十四段




墨染桜│日本花図絵

2024-04-07 | アート・文化

深草乃能遍の桜し心あら者この春は可り墨染尓さけ み年を/小町塚 墨染井之圖
尾形月耕「日本花圖繪」明治廿九年


深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け
   古今和歌集・巻十六 哀傷歌   上野岑雄


墨染寺 四代目墨染桜


墨染桜

*深草山墨染寺は別名「桜寺」とも呼ばれる日蓮宗寺院である。京都教育大学付属高校生時代、毎日乗り降りした懐かしい京阪墨染駅から西に徒歩数分、参拝した御寺の境内は春爛漫で桜花が盛りを迎えていた。



春の夜│花信

2024-04-04 | アート・文化


  山寺にまうでたりけるによめる
やどりして春の山辺に寝たる夜は夢のうちにも花ぞ散りける
     古今和歌集・巻第二 春歌下  紀貫之