花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

「吉益東洞の研究」 寺澤捷年著

2014-12-11 | 漢方の世界


「吉益東洞の研究」~日本漢方創造の思想(岩波書店)を上梓された日本東洋医学会の前会長、寺澤捷年先生の記念講演会が、平成24年3月5日に新大阪で開催された。吉益東洞先生は江戸中期の漢方医、日本漢方の大御所であり、すべての病気がひとつの毒に由来するという万病一毒説を唱え、陰陽五行、臓腑経絡をすべて観念論の憶説と排した。毒とは生体の恒常性を乱す攪乱因子を意味する。これによりもたらされた生体のゆがみ、病毒の実態を把握するため、吉益東洞先生は腹部や体表部を診察して手に触れ見定めることの重要性を説いた。本書は、臨床実践を根拠とした漢方創造の過程を追い続け、詳細にその歴史と思想を論述なさった評伝である。

第二章、第七節「東洞における「知の創造」の方法論」(p49-53)の中では、野中郁次郎氏(富士通総研理事)著書中の下記の一節を引用されている。
「フッサールは偉大な天文学者であるガリレオについて「彼は発見の天才であると同時に隠蔽の天才である」(フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』細谷恒夫・本田元訳)という有名な言葉を残しています。つまりガリレオは宇宙や自然を法則化される前の宇宙や自然を隠蔽したのです。本来、最初にあったのは法則化されていないあるがままの自然であったのですが、法則化された世界をわれわれは現実として意味づけして見るようになってしまう。つまり意味と現実の関係が逆転する、ともいえるでしょう。なんらかの知識が妥当性の高いモデルを構成してしまった場合、それは発見の手段となると同時に隠蔽の手段にもなりえるわけです。したがって知識の創造においては、逆立ちした意味にとらわれることなく、あるがままの中から知識を生み出してゆく過程が必要です。」
先の第六節「暗黙知と形式知」(p44-48)で寺澤先生が力説されているのは、言語の背後にあって言語化されないアナログ知、「暗黙知」の重要性である。「暗黙知(tacit knowledge)」とは、マイケル・ポランニーにより提唱され、さらに個人の知識を組織的に共有してより高次の知識を生み出す企業管理手法、ナレッジマネジメント(knowledge management)の分野において、野中氏により構築された概念である。寺澤先生は、吉益東洞研究を通して、現代の医療現場、臨床実践の場における「暗黙知」が持つ大きな意味を示唆された。そして、理論化、法則化には、病者のあるがままの姿を隠蔽、遮蔽してしまう作用があること、あるがままの患者の姿を、法則という遮蔽を突き抜ける眼力で透見することの必要性を力説された。これは全てをデジタル化し「形式知」に留まることをよしとする陥穽に陥りがちな、現代医学に下された鉄槌であり、大いなる警鐘である。

最後に、第五章結語(p215-216)で述べておられる一節を心して記したい。
「最後に心に突き刺さるのは、フッサールの言葉である。ガリレオを評して「彼は発見の天才であると同時に隠蔽の天才であると」と。我々は東洞の思考モデルをひとたび教条とした瞬間から、「ありのままのもの」が見えなくなる。意味と現実の関係が逆転するという落とし穴。このことを心に銘じて、私は次の一歩を踏みだしたいと考えている。」