ふたたび日本が誇る医聖、華岡青洲先生の足跡を辿るが、「内外合一、活物窮理」は青洲先生の理念である。「治療に際しては外科と内科を区別せず、全身状態を詳しく診察し把握せよ。治療の対象は生きた人間である。人体についての基本理論を熟知した上に、その異なる特質を深く観察して病の理を究めよ。」という意味を現している。内外はまた、其の時代の漢方医学とオランダ外科学をも意味すると考えられる。
写真は、座右の銘とすべく、「内外合一、活物窮理」と刻印してもらったSONY製、VAIO Pro11│red editionである。使用するPCをMacからWindowsに移行後、プライベートなPCはもっぱらVAIOを使用してきた。大阪日本橋で初めて購入したVAIOのノートSRXは、本年はじめまで聴覚検査機器からの検査データの取り込みで活躍してくれた。これを皮切りにPro11まで、デスクトップを含めてVAIOの購入台数を数えてみれば9台になった。そのVAIOもPC部門が切り離され新会社設立となり、VAIOの名は残ってももはやSONYのVAIOではなくなった。SONYおたくであった身としてはいささか寂しいかぎりであるが、此処で私一人が慨嘆していたとて仕方がないことである。
本年の3月2日には、「医の道と花」のタイトルで、奈良県文化会館において華道、大和未生流の公開講座を勤めさせて頂き、この赤備えのPro11をプロジェクターに投影して講演を行なった。休日の貴重なおくつろぎの時間にもかかわらず多数の方々の御来場を賜り、日常診療や花の稽古を通じて考えること、医者の不養生に始まり春の養生まで、四方山話にお付き合い頂いた。極端なあがり症の私は、24歳での日本耳鼻咽喉科学会地方会の学会発表デビュー以来、まだこの年になっても原稿が手元になければ壇上に上がれない体たらくである。しかしこの講演では、手元の原稿も時の過ぎゆくのも頭からすっかり抜け落ちたまま、気が付けば予定時間きっかりに口演を終了したという、なんとも不思議な次第であった。何か大いなるものが天上から会場に降りてきて下さる様な時が、恐れ多くも本当にあると感じた時だった。