花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

秋の養生│秋のように生きる

2015-10-03 | 二十四節気の養生


秋は立秋から処暑、白露、秋分、寒露、霜降までの六節気である。北宋の哲学者、明道先生こと程顥には、秋日偶成のほかにもその思想が深く投影された秋の詩がある。天道と人事の関係、自然と人とのあるべき和諧が詠じられた詩は、多くの文人墨客の悲秋とは一線を画している。

南去北來休便休  南去北来 休して便ち休す
白蘋吹盡楚江秋  白蘋吹いて盡す 楚江の秋
道人不是悲秋客  道人は是れ悲秋の客にあらず
一任晩山相對愁  晩山相對して愁うるに一任す

南に北に行くもよし、止まるもまたあり、行来の人心次第である。楚江に秋の到来を告げた白蘋の花はすでに風に吹かれて尽き、かくの如き大自然の推移はさらに人為が及ぶものではない。天地の理を識る者は秋を悲しむ感傷とは無縁である。黄昏の山が向かい合う愁に身を委ねて、この大自然に順うまでである。-------「題淮南寺」の詩意を辿りゆけば、悲秋の客にあらずと断じる転句がとりわけ異彩を放つ。大自然の循環は人事を超えた規律に従い、その時々で消長があり、去りゆくものに執着する心こそが悲しみをもたらすと教えてくれる。

春から夏にかけて外に表出していた陽気は、秋からは内方へと収束する転換の季節を迎える。厳しい秋の気が萬物を枯らすことを「粛殺」と言うが、外界に表れる様々な形象は、それまでの活動・興奮・隆盛から、静止・抑制・衰退に変わる。秋の粛殺の気に触るるとも、まさに「心神を傷ましむること莫れ」である。陽から陰へと舵を切る秋は、一年の内でもさらに養生に心を砕かねばならない。 



「秋三月, 此謂容平, 天氣以急, 地気以明, 早臥早起, 與鷄倶興, 使志安寧, 以緩秋刑, 収斂神氣得泄, 使秋氣平, 無外其志, 使肺氣清, 此秋氣之應, 養收之道也。逆之則傷肺, 冬爲飧泄, 奉蔵者少。」(『黄帝内経』素問・四気調神大論篇第二) 
(秋、三月、此れを容平(ようへい)と謂う。天氣は以て急に、地気は以て明るし。早に臥せ早に起き、鷄と倶に興く。志を安寧にして、以て秋刑を緩くす。神気を収斂し、秋気をして平らにならしめ、其の志を外にすること無れ、肺気をして清ならしめ。此れ秋気の応にして収を養うの道なり。之に逆うときは則ち肺を傷め、冬に飧泄を為す。蔵を奉ける者少なし。)

『黄帝内経』が説く季節の養生において、生、長、収、蔵の四文字で表される四季の属性の中で、夏の萬物成長の「長」に続く秋は収穫の「収」である。木、火、土、金、水の五行の中では「金」にあたり、秋の三か月は「容平」と名付けられる。「容」はからの枠に物を入れることを表し、収容や包容の意味で、「平」は浮草が水面に平らに浮かぶ姿であり、平穏や平定を意味する。したがって「容平」は、夏には燃え上がる炎の如く盛んであった陽気が、秋に至り内に収斂されて外に出張った状態ではなくなる姿を示している。自然界は一転し粛殺の気が満ち、万物は枯れて実り以外のものは容赦なく削ぎ落される。地に萌した陰気はさらに増し、陰陽バランスは陰盛として陰に傾いてゆく。寝起きに関しては、春と夏は「夜臥早起」であった。秋になると「早臥早起」とやや様相が異なる。朝は時を告げる鶏とともに起きる早起きであるが、夕方になれば活動を控えて、春や夏よりも就寝時間を早め睡眠時間を増加させる必要がある。春夏は陽を養い、秋冬は陰を養う時期であり、昼間の陽の時間(交感神経優位)は減らし、夜間の陽気が内に収束する陰の時間(副交感神経優位)を増やしてゆくのである。

起床後は心を安静に落ち着かせて、粛殺の影響を緩める様にする。内なる精神を引き締めて、身体にもたらされる秋気の作用を平らに穏やかにする。すでに志を外に向けて外の世界で活発に活動する季節は終息した。この時期は正気(とくにこの時期は肺気)を虚損することを避けるべきである。筋骨を擾(わずら)わす運動が過ぎると、肺が熱を持ち塞がる焦満(気管支炎や肺炎)に至る。秋の臓である肺は、元来、働きとしては粛降(吸気や水分を下降させる働き)を主る。秋にはこの肺気を上逆させることなく、清らかに保つ様につとめねばならない。

以上が秋の気の動態に対応した、萬物が収斂し収穫する力を養う道である。これらに反すれば、秋に旺盛となる肺の働きを障害して、冬に飧泄(そんせつ)の病変(消化不良による下痢)がおこるのであり、冬の封蔵の力が妨げられて病に至ると警告がなされている。冬に見られる飧泄は、秋からの陽気の内蔵が不十分な場合、陰寒の気が増加する季節に陰寒内盛となる為に生じる。また肺と大腸は表裏関係にある臓腑として、肺が障害されると大腸の病気が発生する要因につながるとも言える。