月刊Will(WAC)巻頭の「朝四暮三」(加地伸行博士著)に、7月号では『詩経』衛風篇、《木瓜》第三章の詩句が掲載されていた。《木瓜》の全文は以下の通りである。
投我以木瓜 報之以瓊琚 匪報也 永以為好也
投我以木桃 報之以瓊瑶 匪報也 永以為好也
投我以木李 報之以瓊玖 匪報也 永以為好也
投我以木桃 報之以瓊瑶 匪報也 永以為好也
投我以木李 報之以瓊玖 匪報也 永以為好也
我に投ずるに木瓜(ぼくくわ)を以てす 之に報ゆるに瓊琚(けいきょ)を以てす
匪(か)れ報いたり 永く以て好(よしみ)を為さん
我に投ずるに木桃(もくたう)を以てす 之に報ゆるに瓊瑶(けいえう)を以てす
匪れ報いたり 永く以て好を為さん
我に投ずるに木李(もくり)を以てす 之に報ゆるに瓊玖(けいきう)を以てす
匪れ報いたり 永く以て好を為さん
(新釈漢文大系 第110巻『詩経(上)』, p178-179)
匪(か)れ報いたり 永く以て好(よしみ)を為さん
我に投ずるに木桃(もくたう)を以てす 之に報ゆるに瓊瑶(けいえう)を以てす
匪れ報いたり 永く以て好を為さん
我に投ずるに木李(もくり)を以てす 之に報ゆるに瓊玖(けいきう)を以てす
匪れ報いたり 永く以て好を為さん
(新釈漢文大系 第110巻『詩経(上)』, p178-179)
新釈漢文大系『詩経(上)』の通釈では、私に木瓜(ぼけ)の実(あるいは木桃、木梨)を投げてくれたから、美しい瓊琚(あるいは瓊瑶、瓊玖)でこれに答えよう、これできまり、末永く暮らそうという意が記されている。女性が思う男性に果実を投げて求愛し、男性がこれに美玉で答えることにより婚姻が決まるという、古代の投果の習俗を詠んだ男女贈答の詩との説明があった。
東洋文庫『詩経国風』では、《木瓜》はまさしく「歌垣の歌」であること、「果物は自然の生命力を宿すもので、これを投げ與えることは魂振り的行為であり、その人への厚意を示す。」と記載されている。《木瓜》の詩を初めて知った時、私はつまらぬ扱いを受けても礼を以て返すべしと人を戒めた意味かと考えていた。なかなか捨てがたい思い込みであったが、残念にもそういう意味ではないらしい。
脱線するが、生薬「木瓜(もっか)」はバラ科ボケまたは同属近縁種の成熟果実からえられる生薬であり、日本産の木瓜は同じくバラ科の落葉高木である花梨(カリン)の成熟果実であり「和木瓜」と称する。漢方の世界の記事(2015-01-21)で記載したので御参照頂きたい。
歌垣(うたがき)と言えば、筑波の嬥歌会(かがひ)に参加した男の立場で呼んだ万葉集にある歌を思い出す。歌垣は土地の男女が決まった日に集簇して、相互に求愛の歌謡をやりとりし終日「はっちゃける」のであるが、元来は豊作を祈る儀礼的意味を持つ行事である。筑波嶺に登りて嬥歌会を為る日に作る歌一首、「鷲の住む筑波の山の」で始まるこの長歌は、「この山をうしはく神の昔より禁(いさ)めぬわざぞ 今日のみはめぐしもな見そ 事もとがむな」(この山におわします御神が昔からお許し下さっている行事であるぞ、天下御免の本日は何事も目をつぶり咎めるでない)の過激な結びで終わり、その反歌は「男神に雲立ち上りしぐれ降り濡れ通るとも我れ帰らめや」(男神の嶺に雲が湧き上がりびしょびしょになっても誰が帰るかい)と高らかに宣言する生命謳歌である。
さて射止めたい相手の心に響く歌を即興で詠むにあたっては、これまで培ってきた個人の諸々の力量、人間性や感性もが問われる。「誰も教えてくれなかった歌垣で相手の心をつかむ必殺技~衣かたしきにさようなら」などというハウツーものがその当時あったかどうかは知らないが、その場限りの小手先で誤魔化してもすぐに底が割れるだろう。全身全霊で相手の魂に飛び込んで行く他に術がないのは古今東西変わりはない。もっともそれを受け止めてくれるかどうかはあくまでも相手に選択権があり、それもまた今に至るまで同じである。
ところで今の職業について数々の学会総会・学術講演会や研究会、講習会に出席する機会を得たお蔭で、国内ならば北は札幌から南は鹿児島まで、全国津々浦々を訪問することが出来た。筑波もその一つであり、かの歌垣で有名な筑波山に登ろうと決心し、会場を離れてロープウェイ、ケーブルカーを乗り継いで山頂を目指したことがある。ようやく山頂に到達したら一隅には堅い根雪が残っていた。歌垣の御山にひとりで登るという無粋なことをしたのでさぞかし山の神様がお笑いになっているのだろうと思いながら、ひたすら寒い風に吹かれてまた下界に戻ったのであった。
参考資料:
石川忠久著:新釈漢文大系 第110巻『詩経(上)』, 明治書院, 2006
白河静訳注:東洋文庫518『詩経国風』, 平凡社, 2002
青木生子, 井出至, 伊藤博, 清水克彦, 橋本四郎校注:新潮日本古典集成『萬葉集二』, 新潮社, 1978