晩唐の杜荀鶴に《夏日題悟空上人院》という詩がある。転結句は、織田軍の焼き討ちにて三門楼閣上で門下の僧とともに火定にお入りになった際、甲斐恵林寺、快川紹喜禅師がお唱えになった遺偈、「安禅必ずしも山水をもちいず、心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」として知られる。はるか以前にこれもまた学会旅行にて恵林寺を参拝した折、「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」が記された風林火山の小さな旗印とともに、国師の遺偈が揮毫された色紙を求めて大事にしてきた。ところが不覚にも駅前再開発の移転に伴う転居の時に色紙を紛失して今は手元にない。
夏日題悟空上人院 杜荀鶴
三伏閉門披一衲、兼無松竹蔭房廊。
安禪不必須山水、滅得心中火自涼。
三伏閉門披一衲、兼無松竹蔭房廊。
安禪不必須山水、滅得心中火自涼。
夏日、悟空上人の院に題す
三伏門を閉じて一衲(いちのう)を披(はお)る。
兼ねて松竹の房廊を蔭(おお)う無し。
安禪必ずしも山水を須(もち)いず。
心中を滅し得れば火も自ら涼し。
(川合康三編訳:岩波文庫『中国名詩選』下, p213-214, 岩波書店, 2016)
三伏門を閉じて一衲(いちのう)を披(はお)る。
兼ねて松竹の房廊を蔭(おお)う無し。
安禪必ずしも山水を須(もち)いず。
心中を滅し得れば火も自ら涼し。
(川合康三編訳:岩波文庫『中国名詩選』下, p213-214, 岩波書店, 2016)
本年、京都、北村美術館、春季茶道具取合展の御題は「薫風」で、文宗皇帝が詠じた「人皆苦炎熱、我愛夏日長」に、柳公権が「薫風自南来 殿閣生微涼」と受けて詠じた詩中の句を踏まえた御題との事である。季語分類で「薫風」、「風薫る」は夏に属し初夏の南風を意味する。『和漢朗詠集』夏・納涼には、中唐の白居易(白楽天)の《苦熱題恆寂師禪室》を出典とする「是禅房に熱の到ること無きにはあらず ただ能く心静かなれば即ち身も凉し」の詩句が選ばれている。「薫風」に関連し、重ねて白居易の「薫風自南至」の詩句を含んだ《首夏南池独酌》とともに下に掲げた。一陣の薫風を知る「薫風自南来 殿閣生微涼」は、「心中を滅し得れば火も自ら凉し」、「心静なれば即ち身も涼し」と詠じた何にも捉われぬ境地に繋がるものである。
苦熱題恆寂師禪室 白居易
人人避暑走如狂、獨有禪師不出房。
可是禅房無熱到、但能心靜即身涼。
人人避暑走如狂、獨有禪師不出房。
可是禅房無熱到、但能心靜即身涼。
熱に苦しみ、恆寂師の禪室に題す
人人暑を避け走りて狂するが如し、獨り禅師の房を出でざる有り。
可(はた)して是れ禅房に熱の到ること無けんや、但だ能く心静なれば即ち身も涼し。
(岡村繁著:新釈漢文大系 第99巻『白氏文集』三, 巻十五 律詩三, p272, 明治書院, 1988)
人人暑を避け走りて狂するが如し、獨り禅師の房を出でざる有り。
可(はた)して是れ禅房に熱の到ること無けんや、但だ能く心静なれば即ち身も涼し。
(岡村繁著:新釈漢文大系 第99巻『白氏文集』三, 巻十五 律詩三, p272, 明治書院, 1988)
首夏南池独酌 白居易
春盡雜英歇、夏初芳草深。
薫風自南至、吹我池上林。
綠蘋散還合、頳鯉跳復沈
新葉有佳色、殘鶯猶好音。
依然謝家物、池酌對風琴。
慙無康樂作、秉筆思沈吟。
境勝才思劣、詩成不稱心。
春盡雜英歇、夏初芳草深。
薫風自南至、吹我池上林。
綠蘋散還合、頳鯉跳復沈
新葉有佳色、殘鶯猶好音。
依然謝家物、池酌對風琴。
慙無康樂作、秉筆思沈吟。
境勝才思劣、詩成不稱心。
首夏、南池に独酌す
春盡きて雜英歇(つ)き、夏初芳草深し。
薰風南より至り、我が池上の林を吹く。
綠蘋(りょくひん)散じて還た合ひ、頳鯉(ていり)跳りて復た沈む。
新葉佳色有り、殘鶯(ざんあう) 猶ほ好音。
依然たり謝家の物、池に酌んで風琴に對す。
康樂の作無きを慙ぢ、筆を秉(と)りて思ひ沈吟す。
境勝りて才思劣り、詩成れども心に稱(かな)はず
(岡村繁著:新釈漢文大系 第108巻『白氏文集』十二上, 巻六十九 半格詩 律詩附, p248-249, 明治書院, 2010)
春盡きて雜英歇(つ)き、夏初芳草深し。
薰風南より至り、我が池上の林を吹く。
綠蘋(りょくひん)散じて還た合ひ、頳鯉(ていり)跳りて復た沈む。
新葉佳色有り、殘鶯(ざんあう) 猶ほ好音。
依然たり謝家の物、池に酌んで風琴に對す。
康樂の作無きを慙ぢ、筆を秉(と)りて思ひ沈吟す。
境勝りて才思劣り、詩成れども心に稱(かな)はず
(岡村繁著:新釈漢文大系 第108巻『白氏文集』十二上, 巻六十九 半格詩 律詩附, p248-249, 明治書院, 2010)
本年度、水無月の日本東洋医学会・学術講演会の演題発表において、「南風(南薫)を求めんとすれば, 須らく北牖(北窗)を開くべし」に取り組む機会があり、まさに「薫風」の時宜を得た発表となった。この古くから言い継がれてきた箴言は、身体を家屋に譬えて如何に体内の<通風>を図るかという治療上の工夫を示唆している。昔から遅筆だけは人後に落ちる気がしないが、このたびは珍しく感慨が褪せぬうちにと学会発表内容を論文に仕上げるべく鋭意努力中である。これも一つの機縁なのであろう。