西洋は「足し算」の文化、東洋は「引き算」の文化と評される。主題となる部分に焦点を合わせ周囲の不要となる要素を削ぎ落としてゆく美学的手法が「引き算」である。本邦の美意識を探るべく、「引き算」で築かれる「余白」の意義に言及した論説は枚挙に遑がない。この「余白」を支持する心情が如何なるところから生まれるのかは、「我が民族性の持つ一種の淡々たる明るさ、灰汁ぬけのした清楚な好みは、原始的なものながらに既に後世の「潔さ」を尚ぶ道徳の源を遺憾なく暗示してゐるとみられる。つまり毒々しくあくどいもの、しつこいことは初めから嫌ひな國民なので、いかなる意味でもさっぱり、あっさり、すつきりといふことが趣味に合ふのである。」(富士山│長與善郎著「東洋の道と美」)の一文が全てを語る。けだし「謂ひおほせて何かある」である。
華道大和未生流の初代御家元の思い出として、奈良女高師附属女学校時代にお教えを受けた母は、御家元が「さっぱりと、さっぱりと」と絶えずおっしゃりながら、居並ぶ学生の拙い作品に御指導の鋏をお入れになったと折に触れて言う。明日より当流の奈良華展が前期・後期あわせて6日間の日程で開催される。