
大和未生流の御家元の御発案で、山辺支部花展を拝した帰路に訪れたのが山添村、神野山山腹にある鍋倉渓である。このような所とお聞かせ頂いて自分なりに色々と考えを巡らせていたのだが、眼前に広がった景観はその様な想像を遥かに凌駕した。天の河を写し取ったと称するはむべなるかな。見渡す限り大小無数の黒い岩石が、幅が約25m、長さ650mにわたり上流から下流まで隙間なく沢筋を埋め尽くしている。山を構成する角閃斑糲岩(かくせんはんれいがん)の堅牢な部分だけが幾星霜に晒されて残り、その数々の岩石塊が谷に集積して現代に至った自然の配剤のままの奇勝である。昔は中途を横切る橋がなかったそうで、我々一同が眼にした光景よりもさらに壮大な光景であったに違いない。
岩石の狭間に耳を寄せれば、巨岩が積み重なった中に秘められた、一筋の光も届かない深い谷底を貫く伏流水の幽かな音が聞こえてきた。鍋倉渓の巨岩の如く揺るぐこと無く剛毅に、伏流水の如く絶ゆること無く清冽に、そのようなたたずまいの花を生けてみたいものだ、という思いが不意に心をよぎった。さらに切に望むらくは、その様な生き方でありたいものである。