司馬遷はその後も孜々として書続けた。この世に生きることをやめた彼は書中の人物としてのみ活きていた。現実の生活では再び開かれることのなくなった彼の口が、魯仲達の舌端を借りて始めて烈々として火を吐くのである。或いは伍子胥となって己が眼を抉らしめ、或いは藺相如となって秦王を叱し、或いは太子丹となって、泣いて荊軻を送った。楚の屈原の憂憤を叙して、その正に汨羅に身を投ぜんとして作るところの懐沙之賦を長々と引用した時、司馬遷にはその賦がどうしても己自身の作品の如き気がして仕方が無かった。
(李陵│中島敦著:「李陵・山月記」, p114, 新潮社, 1969)
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(李陵│中島敦著:「李陵・山月記」, p114, 新潮社, 1969)
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