手向山八幡宮の立絵馬
趙襄主學御於王子於期。俄而與於期逐、三易馬而三後。襄主曰、子之教我御、術未盡也。對曰、術已盡、用之則過也、凡御之所貴、馬體安于車、人心調于馬、而後可以追速致遠。今君後則欲逮臣、先則恐逮于臣。夫誘道爭遠、非先則後也、而先後心皆在于臣、上何以調于馬、此君之所以後也。白公勝慮亂、罷朝而立倒杖策。銳貫頤、血流至于地而不知。鄭人聞之曰、頤之忘、將何不忘哉。故曰、其出彌遠者、其智彌少。此言智周乎遠、則所遺在近也。是以聖人無常行也、能竝智。故曰、不行而知。能竝視故曰、不見而明。隨時以舉事、因資而立功、用萬物之能、而獲利其上。故曰、不為而成。
趙襄主、御を王子於期(おうじおき)に學ぶ。俄かにして於期と逐し、三たび馬を易(か)へて三たび後れたり。襄主曰く、子の我に御を教ふる、術未だ盡くさざるなり。對へて曰く、術は已に盡きたり、之を用ふること則ち過てり、凡そ御の貴ぶ所は、馬體車に安く、人心馬に調(かな)ひ、而る後以て速きを追ひ遠きを致すべし。今君後れては則ち臣に逮(およ)ばむことを欲し、先だちては則ち臣に逮ばれむことを恐る。夫れ道に誘(ひ)いて遠きを爭ふは、先だつに非ずば則ち後るるなり、而して先後の心臣に在り、上(なほ)何を以て馬に調はむ、此れ君の遅るる所以なり、と。白公勝亂を慮(はか)り、朝(てう)より罷りて立ち杖を倒にして策す。銳頤を貫き、血流れて地に至れども知らず。鄭人之を聞いて曰く、頤をも之れ忘る、將(は)た何ぞ忘れざらむや、と。故に曰く、其の出づること彌〻(いよいよ)遠き者は、其の智(し)ること彌〻少しと。此れ智遠きに周(あまね)くして、則ち遺(わす)るる所近きに在るを言ふなり。是を以て聖人には常行無し、能く竝(あまね)く智る。故に曰く、行かずして知る、と。能く竝く視る、見ずして明かなり、と。時に隨ひて以て事を舉げ、資に因りて功を立て、萬物の能を用ひて、利を其の上に獲(う)。故に曰く、為さずして成る、と。
(韓非子・喩老第二十一│竹内照夫著:新釈漢文大系 第十一巻『韓非子 上』, p287-289, 明治書院, 1977)
*「喩老」(ゆろう):老子について喩(たとえ)をなすの意。すなわち様々な例え話により老子の教訓を理解する。
*「王子於期」:王良、晋代の馬を御し馬車を早く走らせる名人。
*「王子於期」:王良、晋代の馬を御し馬車を早く走らせる名人。
不出戸、知天下。不闚牖、見天道。其出彌遠、其知彌少。是以聖人不行而知、不見而名、不爲而成。
戸を出でずして、天下を知り、牖(まど)を闚(うかが)わずして天道を見る。其の出ずること弥いよ遠くして、其の知ること弥いよ少なし。是を以て聖人は、行かずして知り、見ずして名(あき)らかに、為さずして成す。
(老子第四十七章│蜂屋邦夫訳注:岩波文庫「老子」, p218-219, 岩波書店, 2015)
忍び駒 謙信馬