
御乳母の大輔の命婦、日向へ下るに、賜はする扇どものなかに、片つかたは、日いとうららかにさしたる田舎の館など多くして、いま片つかたは、京のさるべきところにて、雨いみじう降りたるに、
茜さす日に向かひても思ひ出でよ
都は晴れぬながめすらむと
御手にて書かせたまへる、いみじうあはれなり。さる君を見おきたてまつりてこそ、得ゆくまじけれ。
(第二百二十三段│「枕草子 下」, p135-136)
御乳母の大輔の命婦が日向に下り去るという時に、定子皇后様が御下賜になる幾つもの扇の中に、片方には日がうららかにさす田舎の館が多く描かれ、もう片方には都の然るべきところで雨がひどく降りしきるさまの絵があり、其処に、
明るく晴れた日向で日に向かって思い出してほしい
都では晴れぬ長雨を眺め涙にくれていることを
御自らしたためあそばした御姿を拝し、しみじみと心揺さぶられ敬仰の念を新たにした。
この御主君を見捨て申し上げ離れ行くなど、どうして出来ようか。(拙訳)
《蛇足の独り言》『枕草子』の中、清少納言が定子皇后様に「あはれ」という語を使った唯一の例と指摘されている段である。「さる君を見おきたてまつりてこそ、得ゆくまじけれ」の言葉に、終生仕え奉らむと決した清少納言の心意気を見る。生涯の御主と讃仰する御方に主従の縁を結べば、幽明境を異にした後の人生は、珠玉の追憶を胸に御主の名誉を守り御菩提を弔う余生である。そのあだになりぬる人の果ていかでかはよくはべらむと誹謗されようが、おのれの身の行く末など何を憂うることがあるだろう。王良は其の性を得たり、此の術固より已に深し。良馬は善馭を須つ。才気煥発の駻馬を御するだけの才智や品格、度量のかけらもない有象無象など、駿馬の骨さえ買う(真価を知る)資格はない。
参考資料:
赤間恵都子著:「歴史読み 枕草子 清少納言の挑戦状」, 三省堂, 2023
萩谷朴校注:新潮日本古典集成「枕草子 下」, 新潮社, 2000
松尾聡、永井和子校注:新編日本古典文学全集「 枕草子」, 小学館, 2007
池田亀鑑校注:岩波文庫「枕草子」, 岩波書店, 2012年
松尾聡, 永井和子校注:「枕草子 能因本」, 笠間書院, 2008