花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

歳寒松柏│定子中宮と清少納言

2024-04-21 | 日記・エッセイ

新潟産の牡丹、春日山 令和六年の初花

 姫宮の御方の童女の装束、つかうまつるべきよしおほせらるるに、「この袙のうはおそひは、なにの色にかつかうまつらすべき」と申すを、また笑ふもことわりなり。「姫宮の御前のものは、例の様にては、憎げにさぶらはむ。ちうせい折敷に、ちうせい高坏などこそ、よくはべらめ」と申すを、「さてこそは、うはおそひ着たらむ童も、まゐりよからめ」といふを、なほ、「例の人のやうに、これなかくないひ嗤ひそ。いと謹厚なるものを」と、いとほしがらせ給ふも、をかし。「例の人のやうに、これなかくな言ひ笑ひそ。いと謹公なるものを」と、いとほしがらせたまふもをかし。
(第五段│「枕草子 上」, p28-36)
*袙のうはおそひ(上襲):童女が衵の上着るものを「汗衫」(かざみ)と称するを知らずに顰蹙を買ったのである。

《蛇足の独り言》中関白家が没落、里邸まで焼失した逆境下の長保元年八月、定子中宮は御産の為、中宮職三等官にすぎない大進生昌邸に行啓された。その日の払暁、左府道長は公卿を引率し宇治の家に向かうという移御の妨害に出る。家主生昌は、配流途中の播磨から秘かに入京した定子中宮の兄伊周を道長方に密告した男である。この段は、御主をお守りし一歩も引くものかと任ずる清少納言と、次から次へと心得違いを仕出かす生昌との応酬が描かれる。就中、感銘を受けるのは、御注進と言挙げする清少納言に向かい、笑い草にされた生昌の心情を推し量っておみせになる、定子中宮の寛恕で泰然たる御姿である。真に良質の高潔無比な貴人はどの様な境遇に遭うとも変節しない。歳寒くして然る後に松柏の彫むに後るるを知る。まさに躍如として、才華爛発の清少納言を心服させた定子中宮を拝する心地がする段である。

参考資料:
萩谷朴校注:新潮日本古典集成「枕草子 上」, 新潮社, 2000
藤原実資著, 倉本一宏編:角川ソフィア文庫「小右記」, 角川書店, 2023
川端義明, 荒木浩校注:新日本古典文学大系「古事談 続古事談」, 岩波書店, 2005