花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

桔梗(ききょう)

2016-07-18 | 漢方の世界


桔梗(ききょう)はキキョウ科の多年草で、地上の枝葉や星型の花ではなく根を生薬「桔梗」として用いる。化痰止咳平喘剤に分類され、薬性は苦、辛、平で、肺経に属し、効能は宣肺祛痰、利咽、開宣肺気、排膿消腫(肺気の鬱滞を除き、肺の宣発作用を高めて、咽頭症状を改善し、痰を除いて咳を鎮める。化膿部位から膿を排出、腫脹を除く。)である。風寒、風熱の外邪が肺を侵襲して起こる咳嗽、咽頭痛、嗄声や、気道系や皮膚の化膿性疾患に使用される。また肺気の滞りや肺の水道作用の改善は、胃腸の消化管運動、便通の回復(肺と大腸は表裏の関係を持つ)や利尿につながり、便秘、尿閉、排尿困難に対する作用もある。さらに昇浮、昇散の上昇する性質を有し、胸膈以上の上焦の病証において、引経薬として諸薬を上方に導いて薬理作用を助けるdrug deliveryの働きを発揮する。配伍されている方剤には、桔梗湯、参蘇飲、銀翹散、排膿散及湯、清上防風湯などがある。

井上靖著「ある偽作家の生涯」(『井上靖全集』第三巻に収載、新潮社、1995年)には、かつて画人として同じ出発点に立ち、その後「一人の天才とのとの接触に於て相手の重さに打ちひしがれて、自らを磨滅した凡庸な人間の悲劇」のままに堕ちていった人間の半生が、「私」の眼を通して描かれている。いまや仰ぎ見上げるしかない、かつて友であった大家の偽作に手を染める落魄の流転の果てに、密造の花火造りでの爆発で絵師としての右手の手指を永遠に失ない、その男は晩年、濃い桔梗色の花火の打ち挙げに一つの夢を託すのである。

「だって、-------よく言えないけれど、何故か嫌な気がするの。桔梗色の火がぱあっと暗い空に開くのでしょう。」
 「私」の妻が、桔梗色の花火というものに対し吐露した言葉である。
 しかしながら「私」は述懐する。
「芳泉の火薬弄りは、何処かに、火薬そのものが持っているそれと同じような暗い冷たいものが、私にもまた感じられた。しかし私の妻とそれから芳泉未亡人が感じたかも知れぬようには、私には感じられなかった。一人の偽作家がその成れの果てに持たずにはいられなかったようなものとして、私には瞬間夜空に開く桔梗色の何枚かの花弁がむしろある哀しい美しさで眼に映った。
 しかし、やはりその芳泉の夢は決して夜空には開きはしなかったであろうと思う。それを故人に訊いて確かめる術はないが、決して開かない花弁の色であったからこそ、二人の女性の烈しい顰蹙を買ったのではないか。」

と、その寂寞たる孤独な生涯に思いを馳せるのである。

「桔梗色の火がぱあっと暗い空に開く」という花火を思う時、頭上に広がるのは凄涼たる夜色の形象である。李賀の「感諷 五首」其の三において、「一山 唯白暁、漆炬 新人を迎え、幽壙 螢擾擾たり」と詠われた漆炬(漆のように光る松明の火)の鬼火を思わせる「陰火」である。「陰火」は一般に鬼火や人魂を意味するが、中医学、漢方医学的には虚火、虚熱の呼称と同じく、陰証で虚証の人が虚を背景に、発熱、熱感、発赤、口渇などの熱症候を呈する、病的に過剰となった諸々の亢進状態を表現する。
 陰火はいかに燃え上がるとも生の鼓舞へとは繋がらず、自身を周りをも焼き滅ぼしてやまない火である。静かに歳月の彼方に消えゆくまで、それが男の黯い人生行路を照らし続けた唯一の灯りであった。

きちかうのむらさきの花萎む時 わが身は愛しとおもふかなしみ      赤光 斎藤 茂吉

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