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『團扇畫譜』収載画
江戸時代の漢方医、亀井南冥の『古今斎以呂波』に「醫は意なり、意と云者を會得せよ、手にも取れず、畫にもかかれず」という歌がある。古来、医術も芸術も術と名の付くものを学ぶにあたっては、はなから勘処を手取り足取りお教え頂けるのではなく、謹んで師匠の技を拝見して「盗んで覚えよ」があらまほしき修得方法であった。盗むという表現は悪いが、要諦に対する問題意識が希薄なままに受け身一辺倒であれば、結果は皮相的な習得に終わるからである。時は今、新人に解りやすい指導者が推奨される時代が到来したが、能動的な気概が求められることに変わりはない。
東西医学にしても華道、その他諸々、入門から現在に至る迄、数多の有難い指導や機会をその道の師や先達より頂戴しながら、猫に小判状態であった自分が果たしてどれ程各々を血肉と化し、自家薬籠中の物とさせて戴くことが出来ただろう。振り返れば忸怩たる思いが満載の我が身に比して、あちらこちらでお見かけする現代の新来者は優秀である。この方々が色々な領域を将来担ってゆかれるのであり、日本の未来は捨てたものでない。