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『源氏物語』第三十九帖、夕霧の源氏香図の下に寄り添う牡鹿と牝鹿が描かれた版画である。十月の花札の絵柄「鹿に紅葉」では一頭の鹿が佇み、「ひとり寝やいとど寂しきさ牡鹿の朝臥す小野の葛の裏風」(新古今集 秋歌下 藤原顕綱朝臣)と、心ならずも朝まで独り寝をしてしまった鹿かもしれない。
牡鹿は妻を恋い慕って鳴くという。その妻は牝鹿とは限らない。「我が岡にさを鹿来鳴く初萩の花妻どひに来鳴くさを鹿」(万葉集 巻第八 太宰師大伴卿)と詠われたように、妻である萩の花(萩は別名、鹿鳴草ともいう)を妻問いて鳴くこともある。夕霧の帖では、牝鹿を恋い慕う牡鹿の声を耳にして、我とても劣らじと落葉宮に迫る夕霧の歌が、「里遠み小野の篠原わけて来て我も鹿こそ声も惜しまね」である。
夕霧の帖には、「女ばかり身をもてなすさまも所狭う、あはれなるべきものはなし。」(女ほど身の処し方の狭められた切ないものがあろうか。)というくだりがある。版画を見直してみれば、意気揚々と頭を挙げた牡鹿に比べて、牝鹿は面を伏せて心にのみ籠めているかのようである。鳴く牡鹿がいれば、鳴かぬとした牝鹿がいる。同床異夢の夜の闇は深いのか、それとも同じ夢を見たとて「ふたりぬるとも憂かるべし、月斜窓に入る暁寺の鐘」(閑吟集)なのだろうか。
母は奈良市内で生まれ育ち、かつて春日山から聞こえた鹿の声は、幾つになってもの哀しく心を揺さぶられたと言う。いつしか立秋も過ぎて、「奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき」(古今和歌集 秋歌上 読人しらず)の季節が近づいている。