風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

山の向こう

2018年12月12日 | 「新エッセイ集2018」

 

古代の大阿蘇の溶岩が流れ下った、その麓の辺りで幼少年期を過ごした。周りは山ばかりだった。
山の向こうには何があるか。
  山のあなたの空遠く
  幸(さいはひ)住むと人のいふ……
そのようなカール・ブッセの詩のせいで、高い山の向こうには何かいいことがありそうだと、若いころは思ったものだ。
実際に、いくつかの高い山にも登った。
いいことは山の向こうにも、山のてっぺんにもあったけれど。

いくたび郷里に帰っても、山のかたちだけは変わらない。
そのことは、古い記憶が変わらない形で残されているようで、ときには陳腐で退屈で、目を逸らしたくなったりする。
それは退屈でやるせなかった記憶が、そのまま山の形で残されていたりするからだろう。とにかく、目のまえの山を越えなければならないと焦っていた。そんな若い日々がよみがえってくるからだろう。
ふるさとの山は、懐かしくもあるが憂いでもある。

九州の中央部に、標高1756メートルの祖母山という山がある。二十代の初めに、その山に登った。
どこまでも雑木が茂っていて、眺望はよくなかった。やっと空が開けたと思ったら一面の熊笹の原で、そこが頂上だった。
小さな小屋があり、男がひとり住んでいた。そんな淋しいところに、ひとりきりで生活できるということが驚きだった。丸太を薄く輪切りにしたものに山の名を焼印で押しただけのもの、それが小屋でお金に代わる唯一の土産品といえるものだった。
その日のうちに、山の向こう側へ下りた。そこには古い集落があった。古い神社があり古い神楽があった。かっぽ酒という、竹の筒に入った酒をはじめて飲んだ。

もう山登りもしなくなった頃、父と妻と3人で山道をドライブして、再びその町をたずねたことがある。
道路は林道のような、曲がりくねった細い道がどこまでも続いていた。途中ぽつんぽつんと民家があり、通り過ぎる村々の名前を、父は口に出しては懐かしがっていた。そんな遠くまで、かつて父は自転車で行商に回っていたのだった。
まっすぐなハンドルのがっしりした自転車と、後ろの荷台にいつも積まれていた大きな四角いかご。そんな自転車で、父がどこを走り回って何をしていたのか、その頃のぼくがまったく無関心だったことに、はじめて気づいた。

ずっと後にふたたび、久しぶりに山の向こうまでドライブした。
あえて山道を走った。道路は新しくなったり広くなったりしていたが、ところどころ林道のような細い道も残っていて、その道はかつて走った同じ道にちがいなかった。
街に入ると、幾本も新しい道路や橋が架かっていて、見知らない初めての街に来たようだった。
古びた石の橋から深い峡谷を覗いた。太古の阿蘇の溶岩が流れ出してできたという、切り立った崖と深い川の流れがそこにあった。

夕方になって、天岩戸神社から天安河原まで川沿いの道を歩いた。
岩屋戸に隠れてしまった天照大神をなんとかして外に引き出そうと、八百万(やおよろず)の神々が集まって相談した場所が天安河原だという。古い神に導かれる気分で、そのような神話の谷道をたどった。
天安河原はいたるところ川の小石が積まれていて、まさに賽の河原のようだった。
  ひとつ積んでは父のため
  ふたつ積んでは母のため
かつて母がよく唱えていたご詠歌が蘇ってきた。

そのころの母は、まだ30代だったにちがいない。
自分はもうすぐ死んでしまうというのが口癖だった。ご詠歌を詠ったり般若心経を唱えたりしていたのも、死を受け入れようとする気持ちと、曖昧な病いから救われたい気持ちの、止みがたい心の相克があったのだろう。
そんな母のご詠歌やお経は、少年の日々を暗くした。
天安河原で、古代の神たちは策略をねった。現代人は、父のためでも母のためでもなく、自分の願いごとを叶えるために石を積むという。

 

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2 コメント

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山のあなた (つゆ)
2018-12-12 10:13:20
山の近くに住んだことのない私にも、お気持ちがすごく分かるような気がしました。閉ざされた思い、横溝を読むような山への恐れ、いつ行っても変わらない姿。それらを背景にして、後年、父親のことを思うお気持ち。
生意気かもしれませんが、とても心に残る一文でした。
ちなみに、山のない町に住んでいた私は、家々の屋根の向こうに、幸いを思い描いていました。
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幸せはどこに (yo-yo)
2018-12-12 17:43:16
つゆさん
いつも読んでいただき、ありがとうございます。

山の向こうや、家々の屋根の向こうなど、
幸せって、離れたところにあるみたいですね。
また、啄木が歌うように
ふるさとの山はありがたきかな、でもありました。

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