風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

空には鳥のかなしみ

2018年11月21日 | 「新エッセイ集2018」

 

公園のベンチで瞑想をする。雑念だらけの瞑想だから、ときどき周りの気配が気になって目を開ける。
眼前の草むらを、白いものが動きまわっている。ときどき芝を水平に切るように、素早い動きをしている。
いつも居る2羽のセキレイだ。1羽は顔から腹にかけての白がくっきりしている。もう1羽は体全体の模様が曖昧にぼやけている。雄と雌のつがいだろうか、たいがい2羽で居る。セキレイは夫婦仲のいい鳥なんだろう。

昨年の今頃、足が1本しかないセキレイが居た。
動きがぎこちなく、それでも、1本足で小さく跳ぶようにして餌を啄ばんでいた。傍らにはやはり、もう1羽の相棒らしいのがいて、付かず離れずに見守っているようにみえた。
今年はもう、その1本足のセキレイは見かけない。あれから、冬を越せずに死んでしまったのかもしれない。
鳥には羽があるから、足が1本しかなくても、空を飛ぶには不自由はないだろう。けれども、枝に止まることはできたのだろうか。片足でしっかり枝をつかめたのだろうか。

鳥は飛びながら死ぬことはない、と書かれた本を読んだことがある。
けれども、中学生の頃、野道を歩いていたら目の前にとつぜん、空から小鳥が落ちてきたことがある。
名前は知らないが綺麗な鳥だった。拾ってみると、まだ温かかった。でも、すでに死んでいた。空を飛んでいる最中に心臓が止まり、そのまま落ちてきたのだろうか。
小さな目は見開いたままで、いっぱい涙をためていた。

1本足のセキレイのことは1年前。小鳥が空から落ちてきたのは、遠い昔のこと。時空を超えて小鳥たちが、瞑想の空を飛び交っている。
呼吸を整えても、なかなか心は鎮まらないものだ。
空を飛びながら死んだら、鳥は地上に落下するしかないのか。空にはなにも残すことはできないのか。妄想の空には、鳥のかなしみばかりが広がっていく。

 

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