東京の夜空に光る文字が流れていた。
それをはじめて見たのはいつだっただろうか。
まだ都会の生活に慣れていなかったぼくには、言葉が空から降ってくるような感動があった。
その電光掲示板は何かのニュースを伝えていたのだろうが、ぼくはただ、静かに流れている不思議な文字に見とれていた。
そして、電光掲示板の文字のように、あれから長い歳月が流れていった。
ぼくはいま、液晶画面の光る文字を追いつづけている。
日々、小さな感動を味わいながら、パソコンで言葉を綴ることができるのは、はじめて見た電光掲示板の光る文字の感動を、知らないうちに追体験しているのかもしれない。
長いあいだ、パソコンを使って仕事をしてきた。
当初はフォントも少なく、日本語の変換も容易ではなかった。パソコンで言葉を操作することは、とてもしんどい作業だった。
モニターに写る言葉や図形が、どうしてもこちらの意図とずれてしまう。つねに苛立ちや不安があった。
フォントの数や種類も十分ではなく、苦労して手作りすることもあった。文字をバラしたり繋いだりする作業は面倒ではあったが、あらためて文字の形を見直すことがあったりして、ぼくにとっては驚きや喜びでもあった。その過程で、文字(言葉)というものがより身近なものになっていった。
その後、パソコンもずいぶん普及して使いやすくなった。
そんなことまでやってくれるのかと驚くほどの進化だ。そして今では、すっかりその優しさに甘えてしまっている。
いちいち辞書を引かなくても言葉はでてくる。ややこしい筆順も読み方もスルーできる。
だが、うっかりしてると誤変換で裏切られるおそれはある。その緊張感でかえって、言葉と真剣に向き合うことになっているかもしれない。なんにでも一長一短はあるようだ。
さまざまに形や色を変えて、光の文字は流れていく。時間も歳月も流れていく。いつのまにか光る文字と言葉を追いながら、その流れる中にどっぷりと浸ってしまっている。
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