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朝顔の花が日毎に小さくなって、ついには小さい秋になってしまった。
ことし最後の、小さな朝顔の花が咲いている。おそらく最後だろう。
こんなに遅くまで咲かせてしまったことは、花にとっては辛いことだったかもしれない。
だが毎朝、花の数をかぞえることは、ささやかな楽しみではあった。だんだん少なくなっていく花の数だからこそ、その数を確かめることはささやかな朝の期待でもあり、花の最後を惜しむ小さな心の淋しさでもあった。
とっくに夏は終わっている。朝顔の季節も終わっている。
台風も豪雨もいくつもやってきては去り、川は氾濫し家々は泥水に襲われた。夏から秋へと、季節は決して優しくは推移しなかった。
それでも新しい朝はやってきて、朝顔の花は咲くことを忘れなかった。そのことに慰められもした。
最後の花を眺めながら、今では暑すぎた夏が恋しくもある。
いよいよ北風も吹き始めた。こんな日は、花も一日中開いたままだ。ずっと朝のままなのかもしれない。すでに季節の感覚を失っているのかもしれない。夏の花だから当然といえば当然だ。
朝顔は、もとは大陸から渡来した花らしい。七夕とも関係があり、牽牛(けんご)という渡来名だった。牽牛花とも呼ばれ、牽牛と織姫の連想から、国内では朝顔姫という雅な名前もついたという。
その朝顔姫がふたたび帰っていこうとしている天の川が、ことしの嵐で氾濫していなければいいのだが。
花いちもんめ。
小さな花に、弱いこころが揺さぶられている。
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ことし最後の、小さな朝顔の花が咲いている。おそらく最後だろう。
こんなに遅くまで咲かせてしまったことは、花にとっては辛いことだったかもしれない。
だが毎朝、花の数をかぞえることは、ささやかな楽しみではあった。だんだん少なくなっていく花の数だからこそ、その数を確かめることはささやかな朝の期待でもあり、花の最後を惜しむ小さな心の淋しさでもあった。
とっくに夏は終わっている。朝顔の季節も終わっている。
台風も豪雨もいくつもやってきては去り、川は氾濫し家々は泥水に襲われた。夏から秋へと、季節は決して優しくは推移しなかった。
それでも新しい朝はやってきて、朝顔の花は咲くことを忘れなかった。そのことに慰められもした。
最後の花を眺めながら、今では暑すぎた夏が恋しくもある。
いよいよ北風も吹き始めた。こんな日は、花も一日中開いたままだ。ずっと朝のままなのかもしれない。すでに季節の感覚を失っているのかもしれない。夏の花だから当然といえば当然だ。
朝顔は、もとは大陸から渡来した花らしい。七夕とも関係があり、牽牛(けんご)という渡来名だった。牽牛花とも呼ばれ、牽牛と織姫の連想から、国内では朝顔姫という雅な名前もついたという。
その朝顔姫がふたたび帰っていこうとしている天の川が、ことしの嵐で氾濫していなければいいのだが。
花いちもんめ。
小さな花に、弱いこころが揺さぶられている。
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我が家には函館生まれの八重咲朝顔がまだ健気に花を付けています。 来年のために種を採ろうと思って咲かせていますが、花にとっては辛いこと・・・との言葉にハッとしています。 のり
コメントありがとうございます。
花の命を長持ちさせることが、花にとって良いことかどうかと迷いました。
でも蕾がある限りは、花にとってはまだ咲く意思があるのだろうなどと、
勝手な解釈をしました。
ずっと咲きつづけてほしい、というのが本心ではありましたけれど。
また、その季節が来たのですね。
寒い時期まで咲いてくれるとは強いですね。
コメントありがとうございます。
去年も同じようなことを書いてたんですね。
気付いてもらえて嬉しいです。
読み返してみました。「花の終わりは始まりでもあるのかもしれない」
などと書いてましたね。
花も自分も同じことを繰り返していますね。