昼休みに、校舎の2階の踊り場に呼び出された。
僕を取り巻く顔は幾つあるだろう。悪意に満ち、あるいは威圧するように、彼等の顔はどれも歪んで見える。その内のボスらしいのが、何で呼び出されたか分かるかと叫んでいる。分かりませんと言うと、度胸のいいやっちゃとせせら笑う。僕を取り巻く皆んなが笑い、更に彼等を取り巻く大勢の生徒等が同調して笑う。
彼ら上級生の一部のグループは自分らが全ての生徒を支配していると信じ、周りも彼等の力で行動が押えられている。彼らは常に自分らの力を確認したがっている。
僕は彼等の後ろに同じクラスのMが立っているのを見つけたとき、自分が呼び出された理由が分かったような気がした。僕は彼に反抗していたわけではないが、同調もしていなかった。同調しないということを反抗ととるのは彼の勝手なのだが。
むしろ僕は無関心だったのだ。彼等に対してのみならず、この学校の中にある全てのものに無関心なのだ。学校そのものも、校則も、授業も、教師も、全てに対して無関心だったのだ。
その点に関して僕はむしろ彼等と近いところに居るのかもしれない。だから、そのような僕を裁くのは彼等ではなく、教師でなければならないのだ。
僕の態度が彼等に対して反抗的だとしても、それは僕のほんの一部にすぎないと思う。彼らが僕を裁くということは、劣等生が劣等生を裁くことの滑稽さ、虚しさにすぎない。
僕は無抵抗にただ黙り通していた。勝手に呼び出されたのであり、その理由もわからず僕から話すことは何もなかった。
僕にとっては、興味も感動もない授業を、一日中受けているのと同じ程度の忍耐力で済むことなのだ。校門を入って出るまでの出来事は、今の僕にとってはほとんど全て同じようなものだ。
午後の授業の始まりを告げるベルで僕は開放された。それは開放というほど緊張感のあるものではなかった。ただなし崩しに僕を取り巻いていた輪がほどけたというにすぎない。
僕のなかに残った虚しさは、学校生活における僕の無関心や無感動を、彼等の誰ひとり告発し糾弾してくれなかったことかもしれない。宙ぶらりんで放り出されたような虚しさだけが残った。