風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

影と形となって立つ智恵子

2019年07月16日 | 「新エッセイ集2019」
東北の旅(3)湖畔の裸像 


青森は初めてだ。
とうとう本州の北のてっぺんまで来たんだ、と感慨も深い。
十和田湖を見るのも初めてだ。
梅雨空が低くたれて、まわりの山を隠している。そのせいか、灰色の湖面がやわらかく盛り上がってみえる。
いままでは十和田湖という名称だけを知っていた。今日からは、この風景がぼくの十和田湖になる。

湖畔に建つ、有名な「乙女の像」をみる。
彫刻家であった高村光太郎の、生涯最大にして最後の作品だと言われている。制作に当たって彼は、「智恵子をつくります」と宣言したという。
智恵子がふたり居る。ふたりの智恵子を、光太郎は愛したのか、と羨望と困惑の思いで見つめる。
像のそばに『十和田湖畔の裸像に与ふ』という、光太郎自筆のままに彫られた詩碑があった。

  銅とスズとの合金が立ってゐる。
  どんな造型が行はれようと
  無機質の図形にはちがひない。
  はらわたや粘液や脂や汗や生きものの
  きたならしさはここにない。
  すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで
  天然四元の平手打をまともにうける
  銅とスズとの合金で出来た
  女の裸像が二人
  影と形のように立ってゐる
  いさぎよい非情の金属が青くさびて
  地上に割れてくづれるまで
  この原始林の圧力に堪えて
  立つなら幾千年でも黙って立ってろ。

見上げると、眩いほどの豊満な2体の裸像が立っている。
なぜ智恵子は、ふたりもいなければならなかったのか。鏡像のように向かい合う2体は、光太郎のなかで生きつづけた智恵子の影(虚像)と形(実像)なのだろうか。
「智恵子は現身(うつしみ)のわたしを見ず/わたしのうしろのわたしに焦がれる」(『智恵子抄』より)、そんな智恵子と、不遇な時期の光太郎の芸術を支えつづけた画家としての智恵子。
でも光太郎にとっては、どちらも実像にちがいなかったと思う。2体の裸像は、どちらも溢れでる生命力を秘めて立っている。

  智恵子は見えないものを見、
  聞こえないものを聞く。

  智恵子は行けないところへ行き、
  出来ないことを為(す)る。

  智恵子は現身(うつしみ)のわたしを見ず、
  わたしのうしろのわたしに焦がれる。

  智恵子はくるしみの重さを今はすてて、
  限りない荒漠の美意識圏にさまよひ出た。

  わたしをよぶ声をしきりにきくが、
  智恵子はもう人間界の切符を持たない。

            (『値ひがたき智恵子』)

きょうの空は、智恵子の空ではない。
ときどき雲が薄くなると、湖面もうっすらと白く浮きあがる。雲が太陽の光を隠しているように、きょうの湖も、深い水底に光を隠しているようだった。







林の奥へと光をたずねて

2019年07月14日 | 「新エッセイ集2019」
東北の旅(2)そこに光堂


奥州平泉で、ついに雨に追いつかれてしまった。
傘をさして薄暗い林道を抜ける。その先に、光り輝くものはあった。
鉄筋コンクリート造りの覆堂(おおいどう)の中に入ると、全体が透明なガラスの壁に囲われて、まばゆいほどの光を放っているものが、そこにあった。仏像も柱もすべてが金色に輝いていた。890年もの間、金と螺鈿の輝きを失わなかったことに驚く。
中尊寺金色堂。これこそ人が作りだした、千年の光だった。

光を支えた墨のいのちも長い。棟木に「天治元年」(1124年)とか、「大檀散位藤原清衡」などの墨書がひっそりと残っているという。
堂の扉も壁も、軒から縁や床面にいたるまで、漆塗りの上に金箔を貼って仕上げられている。古い記録(『吾妻鏡』)には「金色堂 上下四壁は皆金色なり」などの記録があり、当時から「金色堂」と呼ばれていたらしい。
このようなものが、建立当初は屋外に建っていたというから、この奥深い山の中でどのような光を放っていたか、まるで夢幻の光景としてしか思い浮かばない。

平泉の黄金に彩られた時代の輝きは、わずか100年ほどだった。
源頼朝によって滅ぼされ、数々の堂宇は夏草の下に埋れてしまったという。
それから500年後、ひとりの旅人が平泉を訪れた。
  「夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡」
松尾芭蕉である。
旧暦の5月13日、新暦では6月29日だったというから、ちょうど今頃の季節だったのだろう。国破れて山河あり、その場の光景に感動して涙した芭蕉は、『奥の細道』に細かく書きのこす。
「三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたに有り。秀衡が跡は田野に成りて、金鶏山のみ形を残す。先ず高館にのぼれば、北上川南部より流るる大河なり。衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落ち入る。泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし固め、夷(えぞ)を防ぐとみえたり。さても 義臣すぐつて此の城にこもり、功名一時の叢(くさむら)となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠うち敷きて時の移るまで泪を落とし侍りぬ」。

そのあと、芭蕉は金色堂を訪ねる。
「兼て耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像を残し、光堂(ひかりどう)は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散りうせて、珠の扉風に破れ、金の柱霜雪に朽ちて、既に頽廃空虚の叢(くさむら)となるべきを、四面新たに囲みて、甍(いらか)を覆ひて風雨を凌ぐ。しばらく千歳の記念(かたみ)とはなれり」。
  「五月雨の降り残してや光堂」
芭蕉の名文によって、すべては書き尽くされている。それ以上ぼくの書けることはない。千歳の記念(かたみ)を胸ふかくに収めて、ふたたび木々のしずくを浴びながら、黙々と雨の坂道をくだる。 








光をもとめてサンダーバード

2019年07月11日 | 「新エッセイ集2019」
東北の旅(1)光はどこに


パソコンが絶不調に陥った。
いままでも、さまざまなトラブルはあった。だがそれは、風邪であったり消化不良であったり、その程度のことだったので、ぼくの力でもなんとか克服できた。
けれども今回は重症だった。
まるで迷路にまよい込んだように、あれこれ試しても行き止まりの袋小路ばかり。ついにはパソコンの方でも疲れきってしまったかのように、スローな反応しかできなくなってしまった。
もう打つ手がない。というか、パニックになった。

だいじなファイルは外付けのハードディスクにコピーし、思い切ってリストアすることにした。
Enterキーを押し、あとはパソコンの動きにまかせる。
ときどきパソコンのファンが激しく唸りをあげ、モニターの画面が明るくなったり暗くなったりした。長い時間がすぎた。
そうして、パソコンは再起動した。
まるで知らない人のような顔をして、生まれ変わった。
モニターの画面も小さくなって、文字も画像もにじんで偏平になっている。こんなブスに生まれ変わるなんて、ますます状況は悪くなったのではないか。
そとは雨、雲は低くたれこめて暗い、ああ、ますます暗澹たる思いにしずむ。

日常が非日常になってしまったみたいだ。
習慣でしていたことが、習慣でできなくなってしまった。なにげなくキーボードに触れれば、モニターが反応して何事かを応えてくれたものだ。バーチャルだとはいえ、そこには日常の延長があった。
考えてみれば、日常とはそのように安易なものであり、慣れたことの繰り返しでもあったのかもしれない。
だが、新しい顔は健忘症に罹っている。過去のことはすべて忘れてしまっている。あったはずのものがない。何かを始めようとしても始まりの場所が見当たらない。
まるで、ぼく自身が健忘症になってしまったみたいだ。

日常生活とはなんだったのだろう。
一日の半分をパソコンと付き合ってきた、ぼくの生活の半分はモニターの画面の中にあったともいえる。喜びや悲しみを光の粒として浴び、それらをコピーしセーブしながら積み重ねてきたものがあったはずだ。
モニター画面の中には光があったのだ。
明るい光や明るくない光、さまざまな光の形、あるいは光の陰、そこに日常生活の自分自身の投影をみていたのかもしれない。
それらの光は、どこへ行ってしまったのか。

南からは雨雲が追いかけてくる。
特急サンダーバードに乗って、ぼくは北へ向かうことにした。







朝顔姫とバッハとポロネーズ

2019年07月06日 | 「新エッセイ集2019」
ことしも朝顔の花が咲いて、あしたは星の祭りとされる七夕だ。
古い時代には、朝顔の花が咲くと、彦星(牽牛)と織姫星(朝顔姫)が出会えたしるしであるとして、縁起がいいものとされたらしい。
1年ごしの再会、そのとき朝顔姫は、どんな星の言葉を語るのだろうか。
朝顔のそばで、静かに耳を傾けたら、なにか素敵な言葉が聞こえてくるかもしれない、などと妄想する。

子どもの頃、裏山から採ってきた大きな笹竹に、いろいろな願いを短冊に書いて飾ったものだった。どんなことを願ったのかは忘れてしまったが、七夕の願いは叶うものだと信じていたようだ。
明けて8日の早朝には、近くの川に架かる橋の上から七夕の笹を流す。川はそのまま天の川に通じていると思っていたのだろう。
あの頃は川も空もきれいだった。夜空には天の川が光の帯となって輝いていた。そんな遥かな銀河の壮大な流れに、どんな伝説も信じてしまうほど、幼い心は圧倒されていたにちがいない。

今朝は雨だから、いつものウォーキングもできない。
雨の神さまが、たまには休めと配慮してくれたんだなどと、都合よく神さまのせいにして朝寝する。
浅い眠りの中でラジオを聴いていたら、なつかしい音楽が耳に入ってきた。
学生のころ、ラジオの深夜放送でよく流れていた曲で、その頃は何気なく聞き流していたのだが、その後もなにかの折に聞こえてくるたびに、懐かしさがだんだん重なって記憶にしっかり残るようになった。だが、題名がわからないので探すこともできなかった。
それがやっとわかったのだった。バッハ作曲『管弦楽組曲第2番ロ短調 ポロネーズ』だと、曲の終わりにアナウンスされた。これまでもバッハの匂いは感じていて、ブランデンブルグ組曲あたりはさ迷っていたんだけど。

そのあと、ユーチューブで検索し、午前中ずっとその曲を聴いていた。風のような管楽器の調べにのせられて、古い記憶の国へ連れ戻されていくようだった。
長いあいだ、恋焦がれながら会うことができなかった、そんな人とやっと再会できた思いだった。その朝の、朝顔姫との出会い(?)のことも微妙に重奏していたかもしれない。
そとは雨。夢中でバッハの雨に浸っているうち、いつのまにか雨音も快いカンタータに聞こえてきて、気分も次第に七夕飾りをした頃に戻っていく。
この歳になっても、七夕の短冊に書きたいことはある。だがそれは、こっそり朝顔姫だけにささやくことにしよう。


バッハ作曲『管弦楽組曲第2番ロ短調 ポロネーズ』




新しい朝を運んでくる

2019年07月01日 | 「新エッセイ集2019」
朝の気温24℃
湿度84%
日中の予想気温29℃

ことしも朝顔の花が咲いている。
毎年おなじ朝顔のタネだから、いつもと同じ形と色の花が咲く。変わりばえはしないが懐かしい。同じ顔にまた会ったねという感じ。
朝顔は、大きく口を開いたような花の形が「おはよう」と言ってるようにみえる。
きょうは良いことがあるかも、と言ってるようにもみえる、などと勝手な解釈をしてみたくなる。朝の気分を明るくしてくれる花だ。

朝顔は常に明日というものを秘めている。
すでに次の蕾が、あした咲く花の色をのぞかせて、あしたの朝を待っている。膨らんでいく蕾に予感と期待のようなものを包んでいる。そのことが嬉しい。
過ぎ去ったことばかりを振り返ってしまい、わくわくする明日というものがなかなか見つけられない。そんな後ろ向きな日常の生活態度を反省させられる。

朝顔は毎朝新しい花が開く。新しい朝がある。
何もないところに何かが生まれる。それが花の不思議だ。そのような不思議な力を、こころの底で欲している。
朝顔の花が咲いたなどと、とるに足りないことかもしれない。
しかし、その些細なことを誰かに伝えたい。だれか大切なひとに伝えたい。その伝えたい気持に燃えてみたい。
朝顔の朝は、そんなぼくの心の花も開いてくれる。