百姓通信

自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!

南高梅!!

2007-04-10 21:43:39 | 循環
今日は、和歌山の友人宅を訪ねる。友人は南高梅の栽培と養豚・養鶏を自家肥料や自家配合飼料で行なっており、今回、我々と同様に「おから」を『酵素オカラ』に再生したり、「魚のアラ」を『魚粉末』に加工したり、共に学びながら一つひとつ確実に行っていくことにした。
循環型の農業を地に脚つけたカタチで、行っていきたいと考えている彼は、まずは自己の肥料・飼料の質の向上を図り、充実した自分なりの複合型農畜産業を目指している。その昔は、どこの家にも鶏がいたり、豚がいたり、牛がいたり、それぞれの飼料は、何か特別なものではなく、野菜の残渣や穀物のクズや藁だったりした。野菜の専門農家は少なく、皆が水稲と季節野菜と少しばかりの果樹、自家需要の茶園を持っていた。そんな中での小さな循環が、地元の環境をむやみに壊すことなく、持続可能な地産地消の現場を支えていた。
それなのに現在は、みんながそれぞれ専業化を図り、それなりに効率は追求され、生産性は向上したものの、分断化された結果、効率の悪い部分や結合しなければならない部分が欠落したことで単純な連携や継続した循環がしにくくなってきている。
そんな中でわれわれの目指しているものは、小さな循環のネットワークの連携だ。それぞれの地域や地方の持つ特性を活かし、廃棄されている有機物等の再生を図り、その過程で現代版の複合型農畜産業の再構築ができれば、少しは環境にやさしく、それぞれの土地の特性を活かした持続可能な農業モデルの提案が可能なのではないかと考えているのです。
※今年の南高梅の今の姿!! 今年は天候に恵まれ、豊作!?かなッ!!

出会いと別れ

2007-04-09 23:58:31 | 季節
季節の変わり目というか、三月、四月には『出会い』と『別れ』がつきもの。別れるからまた出会いがあったり、出会いがあるからまた別れもある。
人間とは、いろいろな人と関係を持つことで、様々な考え方や感じ方を学び、成長し、変化することが出来ると考えると、『出会い』もあって『別れ』もあるこの時期は、自己変革の大きなチャンスなのかもしれない。
『出会い』は心地よい緊張を与え、『別れ』は少しばかりの後悔と楽しい思い出を残してくれる。
百姓は孤独なもので、意識的に人間関係を拡げようとしない限り、自分の世界に浸っていることが可能である。孤独が好きな人も居るが、孤独が故に自己中心的になり排他的になるともう自分の世界から逃れられなくなる危険をはらむ。
百姓でも、意識的に対外に関係を持ち、常に学ぶ努力をしておられる方もおられる。そういう方と話をすると、「いろいろな方の立場になり、それぞれの人の立場から自己(農業)を見つめなおしてみると今後の百姓のあるべき姿が見えてくる」といわれる。
そういえば、経営者の方と話をすると、そういう話をしてくださる方も多く、百姓もある意味では、経営者(自営業者)ゆえ、そういう感覚を一方では持たなければならず、そうかといってそういう感覚だけではなく、自然と共に生きていく共生の精神も持ち合わせなければならない。そう考えると、経営者であり、共生者であり、ある意味では職人でもある百姓はなかなか誰にでも出来る仕事?!ではないのかもしれない。

リクルートの求人広告

2007-04-08 22:01:06 | 季節
以下が、1968年11月3日の日経新聞に全十五段で掲載された日本初の新聞全面のリクルートの求人広告の内容です。
『リクルートは自己実現の場である。人はなぜ働くのか。この素朴な疑問に対して、あなたならなんとお答えになりますか。お金がほしいから、仕事自体がおもしろいから、よりよい社会をつくるため、社会人としての義務だから。人それぞれ顔かたちが違うように、その答えもいろいろあると思います。もちろん僕たちも十人十色、社員一人ひとりがさまざまな考えや答えを持っています。しかし、ただ一つの点、自分のためということでは、皆の意見が一致します。誰のためでもない、自分のためだ。自分自身を高め、成長させる。会社はそのための場である。この考えのもとに自己を実現していこうとする人間の集まり、それが日本リクルートセンターです。したがって、私たちにとって仕事は人から与えられるものではなく、常に自ら見つけ、獲得していくものです。つまり、いつも自分から働きかけていこうとする人にとってはこれほどやりがいのある会社はない代わりに、言われただけの仕事をして楽にやっていこうとする人たちにとっては、たいへん苦しい会社だということです。自ら機会をつくりだし、機会によって自らを変えよ。・・・』40年経った今も根本的な思想は変わっていないという。こういう会社だから、借金一兆円を十年間で返済し、更に成長を続けることが出来たのだろう。『現場力』とは『自らがその機会をつくりだし、その機会で自らを変革すること』にあるという。みんなが本当にそうだったら、ワクワク・ドキドキした心ときめくような仕事が出来そうな気がするのは僕だけではないはず。

記念日!!

2007-04-07 22:14:25 | 季節
今日は、柴田家にとって大切な記念日!!というのは柴田さんご夫婦の29回目の結婚記念日であり、また大切なお嬢様(えりかちゃん)の記念すべき嫁がれた日!!(そうなんです、本日が結婚式だったのです!!)
花嫁の父は、やはりモノ哀しいもの。折角、今まで眼に入れても痛くないほど大切に大切に手塩にかけて育ててこられたのに!!残念(何が残念なのか、わかりませんが)!!
私も三人の娘をもつ父親として「出来れば嫁がせたくないなぁ。」(そうはいえども、嫁がない娘が三人も家に居るとそれはそれで大変、迷惑なのですが・・・)と少し真剣考えたり・・・。最後には、えりかちゃんの「おとうさんとおかあさんの子供として生まれてきてよかった、ありがとう」の言葉に、野田さんと涙ナミダの披露宴に!!
自宅に帰りそんな話をしていると「何を言ってるの?! ヘンなお父さん??」とみんなから言われ、またまたガックシ。
いゃーやっぱり、○○の穴が小さいというか、女々しいというか、そんなものなんです、男って?!
※写真は披露宴の最後の見送りの際にえりかちゃんから頂いたイタリア製のテントウムシの形をしたチョコレートのお菓子!!やぱり、テントウムシは“百姓”にとっては大切なキーワード、いろいろ心配り、ありがとう!!お幸せに!!!

招き猫

2007-04-06 22:16:03 | 季節
3月15日に紹介した子猫が居ついてもう三週間余り!!結構懐いて、来る人、来る人、ほぼ全員が微笑んでくれる!!もしかしたら“招き猫”??なのかも。
ところで“招き猫”って何を招いてくれるの?「幸せ」「お金」「お客様」…調べてみると、様々な説があり、基本的には『招福』つまり福を招いてくれるらしい。豪徳寺の伝説では恩に報いて福を招いた、金銀猫の伝説では商売繁盛、花川戸丸〆猫の伝説でも商売繁盛、吉運来福を象徴しているという、ここで考えてみると「お客様」→「お金」→「幸せ」の論法がさも成立しているかのようだが、「お金」⇒「幸せ」というのはあまりにも短絡的過ぎる。「お金は人を束縛する。」「必要以上のお金は人を駄目にする」ともいわれ、現代社会はあまりにも拝金主義に陥ってしまっていて、「お金」⇒『お金』でしかなくなっているような気がしたりする。
「幸せ」を感じることの出来る人と、同じことをしていても「不幸せ」を感じる人、人それぞれだが、プラスとマイナスでは大きな違いが生じる。できれば、小さなことででも「幸せ」を感じていたい、その積み重ねの先に心豊かな人生が待っている気がする、そうするとこの子猫ちゃんはやはり“招き猫”?! なのかも!!!

豆腐よう

2007-04-05 23:48:54 | 料理
豆腐は「何故、豆が腐る・・・って書くの?」といわれると、『腐る』は中国では柔らかいという意味で「柔らかい豆」の意味らしい(中国では、ヨーグルトのことを「乳腐」というらしい)。
落語の『ちりとてちん』(酢豆腐)にあるように「腐った豆腐の味は?」といわれるとなかなか乳酸発酵した豆腐の風味は美味過ぎて・・・決して一度食してみたいとは思えない。
でも、沖縄には豆腐ようという、豆腐を米麹、紅麹、泡盛を使って3~6ヶ月間発酵、熟成させたもので、琉球王朝時代より宮廷料理として現在に受け継がれている逸品がある。その風味は、微かな泡盛の香りとチーズと練りウニをあわせたような味といわれ・・・なるほど、なかなか美味なよう。
でも、あまり自分から率先して食したいとは・・・思わない。
でも、鮒寿司は大好物だから、・・・機会があれば、食してみたい気もしないではない。

スマイル市!!

2007-04-04 21:07:56 | 環境
今日は、地元の地産地消プロジェクト・エコロカル ヤス ドットコムの活動について市役所の方からお話をお伺いする機会に恵まれた。
地域通貨『すまいる』をベースしたその活動は、地域経済を側面から支援し、更にはその売り上げの一部を活用し太陽光発電の設置を行なうことで、環境認識の向上をはかっておられるそうです!
地産地消は、“食”の視点では安全・安心ですが、“環境”の視点では二酸化炭素の排出量の削減等フードマイレージの側面からも意義深いものです。
本来あるべき姿は、地元でほとんどのものが互いに流通しあい、明るく元気な地元商店街の中で会話が自然と弾む・・・というのがやはり理想?!でも、そういう街がなくなってきている。何故か??職場と生活する空間が離れ、買い物も週末に郊外型のSCが中心、学校帰りの子供達は塾や教室通いが主になり、登下校の子供達の顔をみてもどこの誰かわからず声がかけづらくなっているのが現状・・・。
どういう切口があれば、少しは理想に近づけるのか、ここにも21世紀の知恵が必要だ。


無施肥栽培

2007-04-03 22:10:18 | 農業
自然農法というか、無施肥無農薬栽培とは、化学肥料・農薬はもとより、有機質も人為的には施さず、自然界の天然供給物と灌水のみによる栽培のことを指し、厳密に、かつ継続的に行う栽培法のことを、無施肥栽培といいます。
土の中には、人間が生命を保つに足る食物を生産すべき能力が最初から与えられており、我々が土を尊び、土を愛することによって、それら土の性能は十分に発揮されるという考え方に基づいていて(多少、宗教的になるが)、極論でいうと、土をはじめ取り巻く環境に最大限の自然の力を発揮していただき、人為的なことは出来るだけ施さないという考え方です。
調べてみると近くの私の住んでいる近くの栗東にも試験水田があり、そこは(昨年で終了してしまったようですが)、無施肥無農薬栽培の記念碑的な存在であり、そこでは1951年以来、無施肥無農薬栽培を55年間継続しており、そこには歴史的な意義だけでなく、生きた水田として、この水田からこれまでに数々の貴重な記録が産み出されたようです。水田を訪問した人の数はのべ数千人といわれ、水田作業にボランティアで参加した方もたくさんおられるようです。また、この水田を見学して無施肥無農薬栽培を始める決意を固められた方も多数おられたとお伺いします。
大量の農薬や化学肥料だけが環境汚染を促進しているだけではなく、有機質であっても人為的な窒素等の施肥等は、現場の圃場の環境のバランスを崩すという考え方に基づいており、それはなかなか一朝一夕には無理ですが、一つひとつ科学で解き明かしながら、でもある意味で心に念じ感謝することで、自然との共生の中に始めて見えてくる姿なのかもしれません。




黄砂

2007-04-02 21:28:05 | 環境
今日は、なかなかすごい黄砂だった。2月から4月にかけてピークを迎えるといわれている黄砂ゆえ、ある程度は頷けるものの、こんなにすごい黄砂だと、洗濯物が干せないだけでなく、マスクででもしないとなんだか変な空気を吸ってしまっているような気にさえなってくる。
黄砂は中国大陸の砂漠(ゴビ、タクラマカン、高度高原)から舞ってくることは良く知られているが、環境視点で酸性雨や温暖化と、どう関連しているかについては、まだまだ良くわかっていないのが現実のようだ。
例えば、酸性雨を黄砂で中和するという話がある。酸性雨は土壌を酸性化するが、黄砂は化学組成的には CaCO3(炭酸カルシウム)を10%以上含み、アルカリ性であり、酸性とアルカリ性で中性?!となるのでは…という話があったり、地球規模の温暖化が原因で、低気圧の発生地域が北方へ移動し、3~4月にもかかわらず、初夏に近い位置で低気圧が発生するようになってしまったため、東アジアからの黄砂が急増しているのではという話もある。
従来は、乾いた砂が、春になって、中国北西部に多く発生する低気圧の上昇気流によって数千メートル空高くまで舞い上がり、今度は、上空を吹く偏西風によって、東シナ海を超え、約4,000キロの道程を経て、日本へ飛来する、大変幻想的なものだったはずなのに、・・・現実は、農地の無秩序な開墾や家畜の過放牧,森林の乱伐等が主な原因で黄砂を激増させているという。大変、残念!! 

ハッピーフィート

2007-04-01 21:36:58 | 環境
春休みの唯一の子供達とのイベントとして、今日は『ハッピーフィート』を観に映画館へ。今日は“映画の日”1,000 円なのでチケット売場は長蛇の列・・・。なんとかチケットは買えたものの、最前列で観る羽目に・・・。
CGが凄くって、もっとエンタメ風な作品かと思っていたら、映画の最後の方は「人類のエゴによってペンギン達の食糧(魚)が激減、他の生物達と人類との今後の共生のあり方について」の提言風にまとまっており、何か少し話の展開に違和感を覚える。
地球の温暖化や最近話題の『不都合な真実』等、確かに、地球規模で問われている環境問題についての解決策は、誰もが何かを始めないことには何も変わらない。
ただ大切なことは、根本的な課題を決して見失わないこと、そして決して極端な結論に急がないことではないか。おそらくそこには、『少々、不便になっても、心が少し豊かになる』、『あなたも私も、あまり我侭をいわない』、『自分は良いが、子供達にはもっとイイ』みたいなことをトータルでみんなで考えていく必要がありそうな気がする。
※写真は、今年のトマト!!