詩歌探究社 蓮 (SHIIKATANKYUSYA HASU)

詩歌探究社「蓮」は短歌を中心とした文学を探究してゆきます。

なんとでも言える

2019-06-07 12:09:34 | 詩歌探究社「蓮」情報


梅雨入りとともに
目立つ花といいますと
道端では立ち葵
水辺では蓮でしょうか。
穏やかな気持ちでもって
花でも愛でたいものです。

「幸せを祈らずにはいられません。」って言います。
<幸せを祈っています>ってことですが
「幸せを祈らずにはいられません」の意味は
<幸せを祈らないでは居ても立っても居られない>
ってことですから、さらに思いが込められているように思います。

「幸せを祈らず」とは幸せを祈らないってことで
「いられません」はいられないってことです。
「幸せを祈らずにはいられません」って言葉では
「には」が相当重要な意味を持っているんだな
と仕出し弁当をつつきながら思ったことです。

ついでですが

「嘘をつけ!」って命令も
「嘘をつくな!」って否定も
<嘘は言うな>って意味なのが
ぼくには不思議なことです。

いずれにしても口ではなんでも
言えるってことですね。

なんでも言える。
なんとでも言える。



令和二日目

2019-05-02 19:45:00 | 詩歌探究社「蓮」情報
この花はレモンです。今年もわが家のレモンの
木が元気です。昨日の昼頃撮影したものです。
これからたくさん咲きそうです。
ぼくは東京を離れ山に登ってました。
標高千三百米ほどですが山深い。
 
朝から暮れるまで空を見たり谷を見たり
と書いたところで思い出した詩があります。
 
あなた
私を見たり雲を見たり
どうも
私を見ているときは
はるか彼方を
雲をみているときは
ごく近いものを
見ているみたい
 
中国の朦朧詩を訳したものと記憶してます。
 
 
 
 
 
 
 

信州の空

2019-04-28 17:26:00 | 詩歌探究社「蓮」情報
 
思い立って昨晩から信州に来ています。
今日の天気は良いはずでしたが
日はさすものの曇っていました。
スマホから初投稿。
四月は毎日更新してますのでせっかく
ですから途切れさせたくないわけです。
ほぼ断崖を見つめていた一日中。
昼前の太陽が不思議だったので
写してみました。たぶんなんとか現象とか
呼ばれるものなのでしょう。
画像の下の方には虹みたいなもんが
出てました。
いま、標高2000メートル地点にいます。
だいぶん冷え込んで来ました。
たぶん明日帰ります。
ちゃんと投稿できてるでしょうか。
 
 

入学式の。

2019-04-08 21:36:44 | 詩歌探究社「蓮」情報



都内の桜も雨に打たれていました。
寒い一日でした。夕方はすっごい雷。

昼間、銀行へ出かけたんですが
何組かの親子が写真を撮っている風景に出合いました。
なるほど!入学式だったんですね。
ぼくも人並に「幼小中高予大」と入学式を
経験しているはずですが、不思議と小学校と中学校の
入学の記憶が鮮明です。
ちなみに高と大の間にある「予」は
予備校ですわ。一年間水道橋にあった学校に
通いましたが、その経験は無駄ではなかったと
いう程度です。予備校の近くに後楽園という
施設がありまして、当時はそこにボディビルジムが
併設されていて毎日バーベル挙げてました。

高校や大学に入学したときの記憶が薄いのは
緊張しなかったせいでしょう。
記憶は緊張と共にあるものなのだな。

予備校の入学式は東京体育館で開催され
ゲストに渡辺めぐみというアイドルというか
タレントが登場して歌を唄いました。
「こんなに大勢のお客さんの前で唄うのは初めてです」
とはしゃいでいました。お客さんじゃねーしと
思ったものです。その時は豪華にダブルゲストで
もう一組はデュークエイセスでした。
ゲロゲロって筑波の蛙の歌をハモっていた記憶があります。

夢と希望に胸ふくらませ・・なんて言いますけれども
どの入学の時もそんな気持ちは毛頭なしでありました。
ただただ憂鬱であって、振り返れば
もったいなかったなあと思うわけです。

さっきBGMに斉藤由貴の「卒業」を聴いていました。
「制服のぉ胸の釦をぉ」ってやつです。
ぼくのボタンは全て奪われたという伝説と共に
生きている儚い人生です。
卒業に関しては思い浮かぶだけでも
いくつかの名曲がありますが
「入学」って歌はないですね。
入学は絵にならないのでしょう。







晴詠3号完成しました。

2019-03-14 12:10:18 | 詩歌探究社「蓮」情報



午前中に到着した「晴詠」3号です。
時間を見ながら発送作業に取り掛かります。
発行日は5月15日付となっておりますが
気にしないでください。
非売品となっておりますが
気にしないでください。
どうしても寄付したいという方は
どうぞご遠慮なく。
私の財布には若干の余裕があります。

ぱらぱらっと捲った感じ
気になる点はありましたが
完成したものは仕方あるまい。

マンガ家の蛭子能収さんから聞いた話です。

昔、連載を二本持っていて、
一本はいわゆるエロ雑誌でもう一本は
競艇の雑誌。
蛭子さんなりにその雑誌に向いたマンガを
描いていたそうです。
あるとき、締切に追われ急いで描き上げ
それぞれの編集部宛に発送して一安心。
と思ったところ、
エロ雑誌に競艇雑誌向けの
競艇雑誌にエロ雑誌向けの
マンガを誤って送ったことに気づいたそうです。
問題があれば編集部から連絡があるだろう
その時に対応すればいいや・・
と思っていたところ
どちらの雑誌からも連絡はなく
普段通りに掲載され、読者からも特に
変った反応はなかったそうです。

つまり、自分が思うほど読まれてない
と、気づいたとのことです。
この話を聞いて、ああ、なるほどと
私も思ったことです。
現代短歌「舟」代表のY田Y美さんから
「自分の短歌の読者は7人くらいと思えばよい」
と聞いたことがあって、ああ、これもなるほどと
思いました。

細かいことは気にすんなってことです。




あれから8年ー東日本大震災

2019-03-11 18:12:48 | 詩歌探究社「蓮」情報


あれから8年の今日です。

今日は日差しが暖かい。そして花粉にようやく
私も反応を始めました。調べてみると
2011年(平成23年)3月11日14:46発生とのこと。
記憶なんて曖昧なものです。

あの日は金曜日でした。土日は休みのはずですが
業界は年度末の繁忙期。土日も工場へ出た気がします。

先日NHKのアーカイブスを見ていて
津波と火事の恐ろしさを目の当たりにしました。
あの日の東京は、気温は低めでしたが良く晴れていました。

地震発生のとき私は事務所にいて大事なデータの
入っているパソコンを抑えていました。
妹はすぐに私を置いて逃げ出しました。

地震後、間もなく母から工場に電話があって
「死ぬかと思ったよ」と言っていましたが
それが母の声を聞いた最後となりました。
工場は早仕舞いにしました。
あの日、工場を仕舞った私は大手町へ
クルマで向かいました。どうしても
行かねばならぬ用事があったのです。

公共交通機関がストップしていたせいで大渋滞。
街中ごった返していた記憶です。
家に寄らなかったのは滅茶苦茶になっているだろう
部屋を見るのが怖かったからです。
首都高速は閉鎖されていた気がします。
クルマでも歩く速さでの移動です。

バス停の長い列を見ていると一人の女性が
列を抜け助手席の窓を叩きます。怖いなと思いつつ
窓を下ろすと乗せてくれと言います。
カタコトの日本語を使う中国の方でした。
とにかく駅まで乗せてほしいというのです。

「この調子じゃ大手町駅に何時につくかわからないよ」
と、言ったのですがバスが全然来ないと半泣きです。
ぼくは乗せることにしました。
携帯電話の充電器を貸してやりました。
ホッとしたように中国語でなんやら電話をしていました。
夫婦でマッサージ店を営んでいると言い、
住所と電話番号を渡され、サービスするから
来てくれと言われましたがマッサージ嫌いゆえ
連絡することはありませんでした。

何時間か後に、彼女を駅に降ろすことができて
私も大手町で重要な用事を果たしました。
帰りも大渋滞だろうことは予測できたので、
すっかり疲れた私は朝方まで
霞が関の官庁街の路肩で眠りました。

そんなあの日でした。
それから数週間、数か月不安いっぱいの
日々が続くのでした。



くすぶる。

2019-03-10 11:51:02 | 詩歌探究社「蓮」情報


くすぼりておれば見返すしら鳥の着水するが溺るると見ゆ

三月らしい陽気の日曜日。
明日からの仕事の準備をしようにも
必要な書類を積んだままディーラーにクルマを
預けたものだから手出しは出来ず
遊ぶ道具も積んだまま。

ぼくは今くすぶっていると思った次第です。

「くすぶる」とはそもそもと調べると
くすぶ・るとは「燻る」で幾つか意味があって
「閉じこもって陰気に過ごす」が相応しい。
「くすぼる」とも言うらしい。
「くゆる」は「燻る」で「あれこれ思い悩む」
だそうで、日本人のくせに日本語で知らないことが
多いとは何事かと思ってしまいまする。

リビングにはテーブルが二つあって
そのひとつは震度2程度で書籍、雑誌類がなだれそう
でしたので整理しました。
ああ、あのハガキここにあったと発見したり。
とある歌集批評会の出欠の往復はがき。
返事をしなくてすみません。

おそらく今日片付けたせいで、今後必要な時に
発見できなくなった歌集や雑誌もある筈ですが
それはぼくのきれい好きのせいです。




晴詠3号出稿しました。

2019-03-05 17:38:44 | 詩歌探究社「蓮」情報


晴詠3号出稿しました

暖かすぎる一日が暮れてゆきました。
暖かくって泣きたくなるわ。

本日、私の個人誌「晴詠」3号を出稿しました。
原稿はしばらく前に上がっていたんですが
なんせ費用もかかりますゆえ。
昨夜、ファンの方から次はいつ出るのだ?
との問い合わせもありまして。
今号から「非売品」としましたが、そういう
ファンの方は寄付を寄せてくれるでしょう。

これから発送の段取りもぼちぼち始めます。
2号は飛脚に頼んだのですが8冊くらい
宛先不明で返送されてしまいました。
郵便系の方がその点は良いかもしれません。
郵便局に持ち込もうかしら。

3号の主な内容は画像のとおりです。
涙あり笑いありの「男はつらいよ」みたいな
内容になっています。
実際、フーテンの寅のごとく佐渡島や
伊豆に行ってきましたしね。
肩にジャケット引っ掛けて。
そうそう山に籠って流れ星も見たな。
いまから思うと夢のような日々でした。

現地でお世話になった方々にも3号は
見てもらいたいなと思っとります。
って、どこが短歌雑誌なんでしょうね。
でも真面目なうたも文章も書いてますんで
どうぞ期待しないでお待ちくだされ。



欲されない幸せ。

2019-03-04 12:30:00 | 詩歌探究社「蓮」情報


五月人形居並ぶ陰に売れ残る幸いあらん雛は頬笑む

ひな祭りの繁忙期を過ごした人形店は
すぐに五月人形の賑わいとなる。

旧街道をゆくと人形店が並ぶ界隈がある。
朝から雨のせいか祭りの後の静けさ。

それにしても人形店というものはよくもまあ
経営が成り立つものだといつも感心する。
少子化によってこの業界がどうなってゆくのか
他人事ながら心配したりもする。

旧街道沿いの人形店はどこも概ね
伝統と格式のありそうな店構え。
購入する側とすればできればそんな店でと思うのが
祖父祖母心なのだろう。

縁起物だから安ければいいというものでもなく
この業界だけは中古店が繁盛するなんて聞いたこともない。

ショーウィンドウを占めていた雛人形は
跡形もなくいまは五月人形が闊達に
睨みを利かせている旧街道。
売れ残った雛はどうなるのか知らないが
微笑を湛えていて、それをみると
切ない気もする。

しかし、誰からも欲されないという
しあわせの形もあるのではないか。
そんな気がした。



Yahoo!ブログ

2019-03-01 12:42:43 | 詩歌探究社「蓮」情報


朝戸出の舗道は湿る逃げざりて乗り越えざりて凌ぎたるのみ


朝の空気は気持ちの良いものです。

ところで「Yahoo!ブログ」が
今年の12月をもって閉鎖されるそうです。
2005年に運営が始まったとのこと。
ぼくは間もなくYahoo!ブログを
開設したこととなります。

最初は「釣り日誌」みたいなもので、
続けてゆくうちに短歌の度合いが
強まってゆくこととなります。
小文の訓練にはなったような気がします。
とっくの昔に閉鎖してしまいましたが、
あのブログをやっていなかったら
歌集を出版していたかどうかっていうくらい
ぼくにとっての分水嶺でありました。
人生が変わったともいえます。
いまのぼくの心は短歌の人間関係で
作られているようなものですから。

いずれにしたって縁ですね。
良縁も悪縁もありますが人との関わり合いが
心や精神を成長させるのでしょう。
つまり人柄を形成してゆく。
人格って程のものではありません。

ぼくは柄は悪いけれど人柄くらいは良くありたい。
さらにスケールが大きくなりますと
内村鑑三のことばを胸に刻むようになります。

「人生の目的は金銭を得るに非ず、品性を完成するにあり。」

ぼくは死ぬまで銭を羨むのでしょうけれども
心持くらいは品性の完成を目指したいものです。




ひな人形

2019-02-26 18:01:38 | 詩歌探究社「蓮」情報


ついに触れざりき雛(ひいな)は姉のもの妹のもの愛嬢のもの


いままでも触れたことはないしこれからも
触れることはおろかじっくりと見つめる
こともないだろう。もちろん子供のころ
暮らしていた貧乏長屋でも見た気はするし、
ぼくに娘がいたころの家にもあった。
けれども何となく気恥ずかしく
チラ見はすれどじっくり見たことはなかった。

雛飾りで思い出すのは家庭をもったころ
いつものように夜遅く帰ると
ずいぶん立派な何段かの雛人形が飾られていた。
娘の初節句に近い夜だったのだろう。
リビングに腰かけて呆然とそれを眺めながら

「ああ、こんな飾りがおける一家の主になったのだな」

と、感慨に耽っているといつものように機嫌の悪い女の人に
「なに!?なんか文句あるの?!」と怒鳴られたのだった。
びっくりしてもうて何とも言われんかった。
早々のすれ違い、早々のすきま風やったんやなぁ。



画像は先日訪ねた茨城県桜川市真壁町のもの。
味噌醤油を作る旧家のもので、明治期のものだったかな。
そういえば今朝、お天気の依田さんが
この大きなひな人形をリポートしていた。
真壁では町をあげてひな祭りに取り組んでいるようで
この週末もにぎわうことでしょう。





車椅子に父は小さく

2019-02-23 19:32:19 | 詩歌探究社「蓮」情報


車椅子に父は小さく背を見せて病室の大き窓を見ており


午前中は工場で幾つかの仕事をして
昼は何を食べようかと思っていると電話。
「社長はいますか?」としゃがれた聞き慣れぬ声。
ましてや名乗らないから、電話営業かと
訝しみつつ話をしていると、つまりは私の
父のことを言っていると認識した。

われ「いやぁ、入院しちゃったんですよ」
電話主「どうして?」っていうもんだから
かくかくしかじかで、と説明する。
電話主「社長に昔、仲人してもらってね」
「息子さんかい?」と言う。
「奥さんはどうした?」
「母は7~8年前かな、亡くなったんですよ」
と、会話しつつ、入院先を教えて電話を切った。

いかにも元職人らしく喋るのが苦手な風な方でした。
私も最後まで「どちらさんで?」と訊けなかった臆病者です。

妹にこんなことがあったとメールすると
「一緒に見舞いに行くか?」と言う。
「これから昼飯だよ」とやんわり拒絶したんですが
それからでいいと妹からメール。
仕方ないのでコンビニで昼を済ませて
妹を乗せて見舞いに行く。

その光景がこのうたです。
妹からのプレッシャーというのは相当なもので
慌てたせいか上着も羽織らず、財布も持たず。
帰りにスーパーに寄って妹に晩飯の食材を
買ってもらいました。カキフライと天ぷら。
さきほどそうめんを茹でて晩飯を済ませました。

親父が仲人をしたということは電話主は
きっと元職人なんでしょうね。
「親父ももう、79歳になったよ」と言ったら
その電話主はびっくりしていました。

おそらく昭和のころに働いていた方でしょうが
30年以上過ぎて土曜日の昼に電話してくるなんて
なんだかとても懐かしくなったのでしょうね。
そういう繋がりを想うとなんか
泣けてきますね。



短歌往来2019.3月号

2019-02-18 22:29:22 | 詩歌探究社「蓮」情報


「短歌往来」3月号が届きました。
と、言っても購読している短歌総合誌です。
今月号の特集は「50人に聞く2018年のベスト歌集・歌書」
ですが、「短歌往来」独自の企画である歌人回想録129で
孤高の歌人田島邦彦が取り上げられ、田島さんの略年譜と
50首抄を担当しました。



一昨年、そう私が病気で倒れる前のことですが、
田島邦彦研究の冊子を発行していたことが
認められたようで依頼を頂いたときには
とても嬉しく思いました。

田島さんを振り返るエッセイを書いたのは
論客の福島久男さんです。
福島さんは私のご近所にお住まいで、
田島さんが発行していた「開放区」の
大先輩でもあります。

福島さんと二人で「開放区」の最終号を
編集発行したのも今となっては良い想い出です。

二人でこの特集に携われたのもとても嬉しいことでした。



「晴詠」3号編集完了。

2019-01-26 12:00:56 | 詩歌探究社「蓮」情報


わが個人誌「晴詠」3号の編集を終えました。
年末年始の時間がありましたので8頁増量の
フルカラー全32頁です。

3号からは非売品と銘打ちました。
定価表示などしますと短歌の世界を知らない方には
金儲けしていると思われそうですしね。
金額を表示してもしなくても
ぼくの懐は変わらないのですから。

表紙のデザイン、レイアウトを変えてみました。
3号の取材に協力してくだすったTさんからは
「10冊送って」と言われてるんですよ。
これは嬉しいことです。

年3回刊を宣言していますので発行日は5/15。
どんだけさきやねん。
もちろん5/15に拘らず、資金が用意できたら
印刷、製本に出すことにします。

編集大変でしょう?なんて心配してくださる方も
いらっしゃいますが、編集やデザインは好きですから
なんともないです。

大先輩歌人から年賀状で
「写真は天才かと思うけど危ういわね」と
メッセージをいただきました。
短歌の天才だったらうれしかったけれども。
危ういというのは言いたい放題だからかな。

総合誌紙上の片隅に「晴詠」創刊の記事を
ちらっと見ることができました。
ありがたいことです。



暖かき週末

2019-01-20 16:25:44 | 詩歌探究社「蓮」情報


昨日は第三土曜日でしたので短歌教室でした。
杉並会館で13:00~15:45まで。
NHKの全国大会へ行った方もいらして出席者は9名。
事前に配付した詠草集を基に互選するわけですが
ぼくはなんと一票しか獲得しませんでした。
次回は実力を発揮することにします!



会終了後、西荻駅近くの中華屋さんで新年会。
NHKに行かれた方も合流して賑やかに
過ごしました。ちなみに教室のメンバーでは
3名がNHKの作品集に掲載されたようです。
すっかり飲み過ぎてしまいました。
次回の教室の題は「暖」、テーマは「窓」です。