『男の詩集』 寺山修司編
雪華社 1966/9/15初版発行
同人誌「開放区」時代からお世話になっている先輩歌人から頂戴したもの。
わが本棚に既に一冊並んでいるのだが、ボクの寺山好きを思って
送ってくださったのだ。お気持ち痛み入る。
彼女の弟さんが寺山の大ファンでいろいろの資料を集めていたという。
その弟さんが行方不明になっていることをずいぶん前に聞いたことがあった。
あらためて読み返して思い出したことを簡単に書く。
わが孤人誌「晴詠」の初期の頃に描いた記憶があることを。
この本には寺山が好んだであろう詩がたくさん収められている。
塚本邦雄の『水葬物語』や、春日井建の『未青年』からも数首抽かれていたり、
藤村の「初恋」や白秋の「たんぽぽ」や吉岡実の「僧侶」や。
ボクが注目したのは大江満雄の「古い機織部屋」であった。
ふりむくとき
古い機織部屋が見える。
(あれは、おかあさんの機織部屋。)
ふりむくとき
機を織る音がきこえる。(中略)
ふりむくな ふりむくな
無量の愛をうちにしたときに 別れを告げよう。
(わたしたちは前へ すすまなければならないから。)
寺山の詩の一節を思い出さない人はいないだろう。
ふりむくと
一人の少年工が立っている
彼はハイセイコーが勝つたび
うれしくて
カレーライスを三杯も食べた(中略)
ふりむくな
ふりむくな
うしろには夢がない
ハイセイコーがいなくなっても
すべてのレースは終わるわけじゃない(後略)
名馬ハイセイコーと田舎から都会に出てきた無名の人たちを描いた長編詩。
ボクはむかし書写するほどに愛した詩である。
特に「ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない」は、
ボクに刻み込まれたフレーズであった。
寺山の言葉としてあまりにも知られているこのフレーズの
根底に大江満雄の「古い機織部屋」があったことをボクはこの
『男の詩集』で知ったのだった。
塚本に「すべての短歌は本歌取りである」という言葉があるとか。
そういうものなのだなと感心もした。
寺山修司は地方競馬から現れた怪物ハイセイコーと自らを
重ね合わせていた。多くのファンたちと同じように。
寺山は1983年5月4日に47歳の若さで亡くなり、ハイセイコーは
2000年5月4日に長寿を全うしてこの世を去った。
寺山とハイセイコーとの縁とは忌日を同じくしたところまで 『解体心書』石川幸雄
*雪華社からは『女の詩集』新川和江編も出ていた。
女は
それ自身一行の詩である
日本の現代女流詩人による
愛のうた
かなしみのうた
怒りのうた
そして、あなたのうた