こちらは「自粛」および「自宅待機」を良いことに
製作したポストカードセットのケースの絵柄です。
わが個人誌「晴詠」グッズの一環です。
作ってみると、ああすりゃよかったこうすりゃよかったと
後悔ばかりなのはいつものことです。
私が「英語2」だったのは読者のみなさまご存じのことですが
ゆえに英語への憧れが強いんですね。よってこれには
日本語を使っていないのですよ。すごいでしょ?
的はずれな英訳を書いているかもしれませぬ。
宛名面はこうなっています。洒落てるよー!
1/28(金) 晴
オミクロン大流行の波が身に迫ります。
妹は昨日からお休みです。だのに、私はのんきに、
(<だのに>は「若者たち」の歌詞の言い回し。若人は知らないでしょ?)
昨夜プレバトという番組を観ていました。
夏井いつきが高評価した二句が印象に残りました。
俳句も短歌も本来は一行書きが原則ですが、
テレビ画面に映すために、三行書きで紹介されます。
冬の路地裏に
昭和が
捨ててある
(立川志らく)
白鳥の波紋や
御神籤(おみくじ)を
ひらく
(村上健志)
私はこのまま読まれるナレーションがいつも気になる(NHK短歌もそう)。
俳句や短歌の句跨りは意味で区切らず、句で切るのが好みです。
「好みです」ではなく「正解です」と書きたいくらい。
つまり、志らくさんの句は
冬の路地
裏に昭和が
捨ててある
と、読み
村上さんの句は
白鳥の
波紋や御神籤(おみく
じ)をひらく
と、読む。俳句は五七五の定型詩なんですからこれが正解でしょう。
短歌でも万智さんの有名なうた。
「嫁さんになれよ」だなんて
カンチューハイ二本で
言ってしまっていいの
と、読んだら短歌ではなく、散文になる。
「嫁さんに
なれよ」だなんて
カンチューハイ
二本で言って
しまっていいの
と、読んでこそ短歌。これが句跨りの妙というものでしょう。
ま、そんな御託を並べました。
おしまい。