二宮尊徳翁(二宮金治郎)は、1787〜1856年)、類稀なる優れた才と、
どんな困難・つらいことにも耐え忍び自身の思いを貫き続けた働きを認められ、
小田原藩主大久保忠真候に抜擢され野州桜町(栃木県二宮町)の復興に自分のすべてを捧げました。
内外からの妨害に二進も三進も行かなくなり数十日ほど行方不明になった後、
「禍を転じて福となし」にはじまる七大誓願を胸に成田山に参籠、断食水行21日、
七大誓願に対して感応があらわれ、心眼開けてはっきりと理解することができたこの地こそ
まさに二宮哲学開眼の地であると言われています。
私が通った小学校には薪を背負った像がありましたよ。
3/26(土)曇―雨
初詣に行ってきました。
成田山新勝寺仁王門。重要文化財です。
画像の階段が傾いてますが、階段を水平にすると
仁王門の屋根が傾いちゃうんです。
正月の二日か三日に参詣することにしていたんですが
コロナ禍になってからは大幅にずらしています。
ちょっと遅すぎますがご勘弁願って、私の幸せを願ってきました。
いやいや、経営者なら会社のことを!
いやいや、家族の幸せを!
いやいや、歌人としての成功を!
と、お思いでしょうが私の幸せを願うってことは
つまり、私に関わる全てのことですから、ことさら
会社の繁栄や存続を願うまでもありません。
相変わらず屁理屈こねてますよ。
例年、味噌田楽などを食べる広場も閑散としている。
当然ですね。
参道の喫茶店で一服して引き上げました。
昼前には工場にやってきましたが、無論無人。
工場にやってきたのは短歌業のためです。
短歌の知人がやっている同人誌「糸車」4号の編集です。
まだ、原稿が揃ってないので準備段階ですが、
メールで次次とぱらぱらと原稿が来るんです。
執筆者からのメールの転送もあります。
コレ、代表は確認してから転送してるのかしら?っていうものも
ちらほら。原稿だけをフォルダにまとめて送ってくれればいいのに
と、嘆きつつ整理していました。原稿が出揃ってから体裁を整えて
整理してゆくほかありませんわー。
「糸車」4号は全74頁だそうです。
これを編集するなんて素人の限界を超えますよ。
困っています。
生業で困ったことばかりなのにな・・・悲しい。
おしまい。