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小学校の登校時はコートが欲しい冷え込みだが、間もなく陽光強く、暖かとなる。
所得税用紙の仕上げをしていると、前の道路から近所の人の呼ぶ声。
下の孫が外に、犬といる。泣いているではないか。
幼稚園の説明会他の行事は続くとはいっていたが、何も言わず、門に鍵も掛けずいつの間にか出かけたようだ。
寡黙といってしまえばそれまでだが、必要なことが言えない。
注意すれば、「そっちへ行くと思った」次には4才児を叱るだけだ。
甥の子だから、側面支援と愛情は注いだ積りだが、理解できない年齢なのか、血なのか。
娘に入籍するまでは家庭裁判所が感心するほどのじいじ子だった。
結婚して独立すると、豹変した。持っている地を丸出しにしてきた。
予想だにしない豹変が現代っ子、いや、世間のまともな同世代には失礼かもしれない。
昨日、美容院の帰りの車中で、注意したことを実行していれば良いが、子供を放置して出かけるのが分からない。
小学校で上の子が吐いて世話になった。家へ保健室から電話が入ったが、娘は留守。
私の予備の電話にカかって、迎えに行った。休み時間だったか、隣の組の男性の先生が、案内してくれて、スリッパを出してきて、保健室へ。
クラス担任の先生と保健室の先生が、世話をしてくれて、洋服とコートも汚れ。予備の洋服も貸して呉れた。
それを返すときにお礼に親が行ったと思った。本人に持たせたと言う。
何故と聞くと、親が出向くといじめられる。電話を担任の先生にしたからそれで良い。と言う。
「親が出向くといじめられる」不思議な言葉に唖然。
「いじめが起きたら、私が学校へ行く」と断言した。変な時代なのか、娘が昔、そんな目に会った事があり、そのときは私が出向いて、解決した。
担任の女教師と実の母親のエコ贔屓だつた。妹を褒めるから、先生はそれに合わせて娘をなじる。
手紙を書き、私が教師と会った。以来、態度が急変して、言動を慎むようになった。
高校受験には、押しの無い娘には一般受験は無理と思い、学業重視して成績表を良くする方策を採った。
学期試験の前の特訓で、成績は下の分から上の部へ。付属の高校から、大学までのある高校を選んだ。
母親の母校を望んだが、受験担当の男性教師が私と会いたいという。
一ランク上の学校が進められるという。結局、その好意を受けて、推薦入学で進学した。
高校一年時に私の養女縁組をして、こちらから通学した。大学まで、苦労もなく進学できたのである。
その手取り足取りの私の行為が、甘やかしで、今日の娘を育てたと家内は言う。
外からしか見ることのできない、幼児期の環境が彼女の根底にあるのは、私にはどうにもならない陰の部分であることを知った。
他の見事は家内に言わず、私に言う。「女の子とは母さんに言え」というと、「二人何時も一緒だから良いでしょう」という。
親子だから、好きなことを言えばよいのだが、私も何でも遠慮なく言う。
これで良いのだが、40才で早く他界した甥を思う。兄の子だが、これも不遇だったから、私が子供のように可愛がった。
その子が今の娘である。彼が生きていたくれたら。と時々思う。
自分の寿命を知っていたのか、自分の子をこちらの養女に望んだのは彼だった。
テレビ朝日系が、子育てならぬ、孫育ての件で、取材したいといってきた。
千変万化の事情はマスコミの良いネタになろうが、それ程馬鹿げている。
結婚式前後に同じく話があって、頑固な親に申し込んで挙式までが、テレビ取材。式にはテレビカ局のカメラ取材、放映があった。
今の姿の変わりようは彼らも驚くであろう。