青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

総会の開会挨拶

2005-05-28 16:54:00 | Weblog
何年か前から、総会開会の挨拶が私である。特別言うこともないから、市民展から無鑑査、受賞者、当会の準会員に迎えると会則にうたっているのだが、特権意識でもない、もっと気楽に、希望者は会員にする会でありたいと挨拶。

懇親会で、多忙な市長は10分ほど遅れてきて、30分ほど居たか、食事も一部しか食していないうちに、次の用事があると退席。

今日の収穫は、手紙だけで、直接会う機会のなかった財団理事長のI氏と会ったこと。
彼の個展、何かで、いつもすれ違いであったのが、直接会えて、共に喜んだが、大勢の中での長話は遠慮した。

わが市が選んだ最高の人である。市で生まれ、東京芸術大学、大学院を経て。日本の一流アーティストである。同時に大学の学長の要職にあって、市の文化財団の理事長である。

この財団は役員すべてがボランティアと聞くから大変である。

この先生の挨拶が今日の特筆に価することであった。

昨夜、ドイツの友人と電話した。日本も不景気ですかと言うことであった。

その人は日本を離れ長年ドイツで活躍して生活をしているプロアーティストである。

日本も同様だと返事はしたが、隣の市で今回、ある公共施設にモニュメントの公募があって、若い学生が選ばれた。若者のディザインがその大学の中からと言うことで喜んだが、製作は、費用が十分の一の中国に発注されたらしい。

自治体の財政も苦しいから、理解できるし
今日はそれが経済的にも思うことが常識になりつつある。

それを聞いた、ドイツの彼は激怒したという。製作に携わる日本の職人、若者の仕事を取ったら、日本にその技術が継承されなくなり、消えてしまうではないかと言うことである。

日本の文化を育て、継承していく立場の君がそんなことでどうすると苦言を呈してきたと言うのです。

なるほど、海外から祖国を見る彼の眼差しに熱いものを感じた。時間の浪費とも思えた今日の会合に意味ができて、楽しく歓談して帰宅した。




市美術協会役員会と続いて総会

2005-05-28 16:23:00 | Weblog
正午から40分間理事会。続いて、同じ理事会で承認した、昨年の決算と今年の予算を採択して終わる。

万博にも会からの参加は4月に2件、7月30日、31日に当番日とて、市を上げて行事を予定している。

その報告と次回の協力の話題が終り、懇親会に入る。来客は市長、議会議長、文化財団の理事長、新聞社、市の部長二人であるが、市の関係者は全員会費持参で参加してくださる。

役員会で話題に出たが、決算書に懇親会費用とあるのは市の助成団体には不適格、書類を作り直して下さいと言うことで、別表に特別予算として、列記するようになったという。

会員と役員がいちねんに一度話し合うのに昼をまたぐから、会食をするのだが、これが従来問題にしたことはなかったし、親睦を図る唯一の手段である。。

市側の意向だと、例え、何人でも市の関係者が加わるとオンブヅマンの標的になるのだと言う。

市民展及び市民の文化振興に役に立つ団体だから助成金がでる。そのほんの一部でも懇親会費用に回るのは許されないらしい。

助成金が目当てでなくして、市と協力関係にあることが、市の認定団体として意味があるのだ。繰越金は何百万円もあるから、助成金なしで運営ができない訳ではない。

世知辛い世の中になったものだとつくづく思い、付き合いに何がしかの会費を払い、貴重な時間をつぶすのだが、これがオンブズマンのターゲットになるのであれば、彼らは単なるあら捜しの人以外の何者ではないように思われた。

お隣さん

2005-05-27 13:05:00 | Weblog
お隣には94と92才のご夫婦が住んでいる。私が名古屋からこちらへ移転したのが丁度15年前になる。

普請の最中、しばしば工事を見に来たのだが、毎日とはゆかなかった、そんな折、隣で監督してくださったご老人がお隣さんであった。

元県のお役人さんで、港の関係だったと思うが、退職されて悠々の人生を送られていた。和風の庭には鯉を飼い、立派な庭には職人が常に入っていた。

そんな方だから、工事には詳しい。常に目を光らせてくれたのは大いに助かった。

今は、子供さんは名古屋に住み、老夫婦お二人だけの生活。しかし、お元気ではあるが、車の運転はされなくなった。

買い物の日は、お隣の分まで一緒に買い物を引き受けるのが常である。

今日はその日で、二軒分の買い物。午前中に済ませた。ちょっとした留守に、不思議に沢山仕事の電話が入っていた。




今週も孫たちと会えない。

2005-05-26 20:38:00 | Weblog
土曜日は市の美術協会の役員会、総会、懇親会と半日以上の時間をとられるが、お付き合いだから、仕方がない。

日曜日はしばらくご無沙汰の顧問をしている団体のセミナーに出席の約束をしてしまった。

娘に電話すると、何も言っていないと言う
声を聞いたら、文句なし来ると言うに決まっているから、話もできない。

切ない気持ちになるのだが、言葉にすると家内に笑われる。最近撮った写真を眺めて我慢する。

A新聞社報道カメラマン

2005-05-26 14:09:00 | Weblog
近所の新聞社OBとしか知らず、近所付き合いの人が個展と新聞に掲載された。

報道カメラマンだったと言う。本人と奥さんにも何年振りかで会った。こちらもまる三年岡崎へ出向いて留守のようなもの。朝7時前に出て、夜、9時過帰宅。

当時、空き巣が多発したときで、我が家が狙われなかったのを皆、不思議がった程、
軒並みの被害であった。

今日はその上、車の被害、盗難、カラスを割って中のものを盗む。全国で一二の被害地らしい。

そんな話ばかりで、肝心の写真の中国の奥地、ベトナム国境付近で撮ったとだけ聞いて来た。

それが近所付き合いと言うものか。もう一つは犬仲間でもあったが、双方とも今はなくして、寂しいとも語り合う。