浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

たまには英語も

2010-07-20 09:08:00 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日、友人から英文の手紙を書いてほしいという依頼があり、久々の英語ということで数時間かけ作成しました。10年前に会社を退社して以来、実質的な英語を使う機会はほとんどなかったため、短い文章にもかかわらず意外と時間を取ってしまい、感覚や記憶を取り戻すまでに時間がかかってしまいました。また自分自身の手紙ではなく、友人の意図をある程度汲みながら作成したことも時間がかかった理由でしょう。

しかし、基本や文法は意外と覚えているもので、もちろん間違いがあってはならないので確認をしながらということでしたが、一度感覚を取り戻せばできるものだと自画自賛しています(文章が正しいかどうかは確かではありませんが)。また、今の職業には全く英語は必要ないわけですが、辞書を引いたり文章を構成したりしていますと、懐かしさとともに知的興奮を得ることができ、時間が過ぎるのを忘れて書いていました。もちろん英語の専門家ではないので、出来栄えは決して素晴らしいものといえないでしょうが、気楽さもあり、考えながらモノを作る達成感のようなものを味わうことができました。

昼からは支援者の方と意見交換をし、夕方はハンドボールで汗を流す、久々にすっきりした一日でした。

以上


脚下照顧

2010-07-19 15:38:08 | 日記・エッセイ・コラム

最近、本を読んでいますと、自分自身の思い込みや理解不足を否応なく感じさせられます。昔に比べれば、いろいろなジャンルの本を読むようになったこともあるでしょうが、自分の知識不足を今さら嘆いても仕方ないのかもしれません。

例えば、山岸俊男著「安心社会から信頼社会へ」(中央公論新社)を読んで、必ずしも日本人は他人を信頼していないという実証実験が載っています。日本が世界の中で信頼社会であると言われるのは、旧来からの慣習や制度の上に成り立っているのであり、それによって安心社会だと言われているというものです。網野善彦著「日本とは何か」(ちくま学芸文庫)を読むと、日本は農業社会という常識を考え直さなければなりません。商業貿易が中世から盛んに行われ、ある意味歴史の表に出ない歴史の裏の社会の成立によって、信用取引である為替もはやくから発達していることが示されています。マイケル・サンデル著「これからの正義の話をしよう」(早川書房)では、資本主義が持つ人間の尊厳に対する危うさを感じさせられました。

いずれにしても、常識を常識としてとらわれない、多面的な視点で物事をとらえるべきだということをつくづく知らされます。『脚下照顧』とは、自己を見つめなおすということですが、自らの戒めとしたいと思っております。

以上


浅野ゆうじとの一問一答③

2010-07-18 08:03:15 | 国際・政治

― 先ほど二期8年を振り返っていただきましたが、今後どのような取り組みを考えていますか。

 身近なまちづくりでいいますと、鏡島地区は、本荘、三里、市橋とともに、都市計画マスタープランで、西岐阜駅を中心に「副都心」として位置づけられており、自然や文化的要素が強い住環境の整った街づくりの将来像が示されています。この4地区で人口5万人弱、動線ともいうべき環状線や21号バイパスが通り、病院や公共施設も多く、中心にはJR線西岐阜駅があるという一つの街を形成していると言えます。その意味でも、名古屋圏の通勤地域として交通利便性に優れた地域であるということが、今後の発展の大きなポイントになってきます。鏡島は、早くから住宅地域としての役割を担ってきましたので、私道や狭隘道路の問題はありますが、今後も住宅地としての再整備が必要です。それは一度に道路を拡幅するというようなことではなく、住宅の周辺環境を少しずつ徐々に整備をしていくことが重要かと思います。そのための寄付行為による道路の拡幅や、救急車や消防車が入るための隅切りの整備などの促進を考えています。地味ですが長期的視点で行っていきたいと思っています。

 一方、市の政策面では、地方政策も大きな転換期にあるのではないかと思っています。従来の中央集権的な制度設計の明らかな歪みが、地方に打撃を与えているのは確かであり、財政再建の観点からも地方分権が進むであろうことが予測されます。これが意味するところは、主な税配分の決定が地方で行われるということであり、配分の決定は優先度も含め極めて重要になってきます。特に膨らむ社会保障費への対応は、ますます重要な地方政策の一つであり、国の制度にもたれることなく税の優先的配分も考えていかなければなりません。先の6月議会で岐阜市の独自策による国民保険料の引き下げの要望をしました。行政は、福祉政策が遅れているということではなく、画一的な制度による運用だけを行ってきているため、多様な市民の生活実態に合わなくなってきているのではないでしょうか。このように暮らしを良くする福祉政策にも重点的な配分を今後考えていかなければならないことは明らかです。とかく、目に見えるもの、例えば公共施設の建設や再開発及び環境整備に投資的経費として税配分がされがちですが、政策による生活のセーフティネットが今求められているのではないかと思っています。そうしたバランスのとれた政策をぜひ実現していく所存です。

以上


浅野ゆうじとの一問一答②

2010-07-17 07:35:49 | 国際・政治

― 2年前の市岐商・立命館問題では、地元ということもあり、いろんな問題となりましたが、今の思いを聞かせてください。

 昨年発行した広報紙で、詳しい説明をさせていただきましたので、ここではポイントのみを述べます。振り返ってみると、いろいろな問題を抱えながら議論が長引き、また私自身地元ということもあり苦渋の決断であったことは確かです。しかし、決断のポイント一言でいえば次のようになります。『市岐商の生徒やその関係者、そして将来公立高校に学ぶ生徒を犠牲にしたくない。』ということになるでしょう。立命館高校誘致そのものに反対したというよりも、市岐商の廃校や公立高校の枠の縮小に反対したということです。単に立命館が岐阜市に進出したいと言うだけのことであれば、他の私学との調整が必要ですが、もろ手を挙げて賛成したでしょう。教育に犠牲者を出してはいけないのです。『最大多数の最大幸福を求める』という功利主義的な考えがありますが、教育では、最大多数から漏れた少数を犠牲にしてまで最大幸福を求めるべきではないと思っております(立命館誘致が最大幸福になるかという問題はありますが)。地元鏡島で多くの批判を受けていることは承知しています。しかし、この件に関しては、私自身の信念で決断したことでもありますし、決して後悔しておりませんので、ぜひご理解いただければと思っております。むしろこのことによって、鏡島が二分し対立してしまっていることが残念でなりません

以上


浅野ゆうじとの一問一答①

2010-07-16 07:44:21 | 国際・政治

― いよいよ来年は地方統一選挙で改選期ですが、まず、二期8年を振り返ってください。

 この8年間で、鏡島地区を中心に、側溝の新設や改修、側溝及び水路清掃、道路補修、街灯整備、通学路安全策の設置、公園整備、橋梁補修など、要望に応じ、数多くの環境整備を行ってきました。その数は優に200を超えます(別表参照)。鏡島は私道が多く苦労する点も多々ありましたが、所有者の協力も得て私道の整備もしました。この私道に関しては、長瀬地区をぜひとも整備したいという思いから、構図と現況を合わせる必要があり、3年かけて法務局の地籍調査を勝ち取ることができ、整備に取り掛かったところです。また、道路拡幅のための寄付がしやすくなるように、測量経費を公費とする制度を市に働き掛け、今年2月に実施の運びとなりました。今年から、実際に寄付行為による道路拡張も進めていきます。

 一方、市議会では、文教委員長、建設委員長、監査委員を経験させていただき、数多くの審議を通して、円滑な委員会運営をしてきました。議会質問、また委員会や協議会において、経験を踏まえた数多くの指摘をさせていただきました。特に、かつて学んだ経営戦略や財務会計の経験から、民間の発想による意識改革の必要性を痛感し、財政を中心に数多くの指摘をしました。どの程度改善の効果があったのかを量ることはできませんが、従来にない指摘でないかと自負しております。また、各方面からあらゆる相談を受け、その対応にあたってきました。特に、個人に関することがほとんどであり、公にはできませんが、難しいことも多く真摯に対応させていただいたつもりです。さらに、議員間の議論において調整機能を果たすことも重要な役割であり、多くの時間を割かなければならない時もあります。また、考えをまとめると同時に、資料の収集や整理、調査、議会質問の作成など、やればやるほど時間がとられると言ったところでしょうか。もちろん反省点もありますが、恥ずかしくない仕事をしてきたと自負しております。

以上