「私は真理です -イエス・キリスト」
町を歩いてるとひょっこり現れるこの看板。
けっこう長い間ぼくは、
『マリ』って読んでました。
「なんでイエスさんがマリなんやろう?」
と思うと同時にいつも、
♪マリコの部屋へ~♪が、
頭の中をぐるんぐるん回ったりもしてました。
・・・・・・・・・・・・・・・。
「私はマリです!! -イエス・キリスト」
えばった感じとかもなかなか。
んなわけで本日は真実について。
20歳くらいの頃はいつも、
「真実ってなんだろう?」
って考え続けていて。
そしてみつけた答え。
時代が変わっても、
国が変わっても、
文化が変わっても、
変わらないもの。
そんなものあるんだろうか。
でも「ない」のだとすれば、
『真実はない』
という真実が生まれるわけで。
なかなか考えはじめると止まらなくなる真実の世界。
事実には興味ないけど、
真実にはいつも惹かれます。
「わたしは・・・マリです・・・ -イエス・キリスト」
引っ込み思案な感じとかもなかなか。
町を歩いてるとひょっこり現れるこの看板。
けっこう長い間ぼくは、
『マリ』って読んでました。
「なんでイエスさんがマリなんやろう?」
と思うと同時にいつも、
♪マリコの部屋へ~♪が、
頭の中をぐるんぐるん回ったりもしてました。
・・・・・・・・・・・・・・・。
「私はマリです!! -イエス・キリスト」
えばった感じとかもなかなか。
んなわけで本日は真実について。
20歳くらいの頃はいつも、
「真実ってなんだろう?」
って考え続けていて。
そしてみつけた答え。
時代が変わっても、
国が変わっても、
文化が変わっても、
変わらないもの。
そんなものあるんだろうか。
でも「ない」のだとすれば、
『真実はない』
という真実が生まれるわけで。
なかなか考えはじめると止まらなくなる真実の世界。
事実には興味ないけど、
真実にはいつも惹かれます。
「わたしは・・・マリです・・・ -イエス・キリスト」
引っ込み思案な感じとかもなかなか。