セラピストのつぶやき

まあ、おもにつぶやきです。オモニ!

ラジオから愛の歌

2018-02-28 04:40:47 | Weblog
和牛のラジオ聞いてたら、リスナーの恋愛相談に答えたりテーマについてみんなで考えてたりしてて。


「ラジオってそうやわ!ノブリンのヤンタンもそうやったわ!!」と奮い立ち。


ぼくもやりたくなった。



ラヂオきしわだ『ツルツルの恩返し』、


3月2週目のテーマは、【男らしさ】。



男らしいと思う仕草、彼氏のことを「男らしくない〜」と思った瞬間、また男性の方は普段気をつけてることなどなど。


なんでもいいです。


コメント欄かメールかラインか口頭で。



来週月曜収録なので今週いっぱいで、誰かひねり出して〜!



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REINCARNATION

2018-02-25 04:17:40 | 哲学
「一度きりの人生だから、やりたいことをやるべきだ!」



その通りだとも思うし、そうでもないかな?とも思う。



ぼくは基本、輪廻を信じていて次の人生もあると思ってます。


だからこそ次に持っていけるもの、にも興味があって。



お金はどれだけ貯めても来世に持っていけない。


持っていけるものはなにか?


魂です。


高めた魂はそのまま来世に持っていける。


だからこそ生きている間に魂を高めたい。




もうひとつ。


来世がもしあるとしても、現在のこの日本の環境で生まれるとは限らない。


だからいま与えられている自由、行きたいところへ行ける自由、すきな仕事ができる自由、結婚したい人と結婚できる自由、


それを思う存分味わって生きていきたい。



変な時代の変な国なんかに次回生まれてもうたら自由どころじゃないからな。




いま与えられている環境をどれだけ楽しむか。



人生の短いスパンの中でも同じことで、


貧乏なとき、バブリーなとき、その時その時で味わっていきたい。




・・・いま、味わう余裕もないほど貧乏で凹んでるけど、


まあ、そんな風に自分を叱咤激励しているわけ〜。


















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『本日はダイアンなり!』

2018-02-23 23:17:53 | Weblog
昼寝してたらダイアン来た。


来てくれたん3回目!!



朝日放送『本日はダイアンなり!』(土曜お昼11:30〜)



・・・寝起きで髪はボサボサ、鼻毛すら出てた気がする。


西澤さんの尻を揉ませていただきました。


3月24日、31日、4月7日、14日のいずれかで放送で〜す!



一年に一回はテレビ出たい。


今年分はクリア!



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水田さん・・・

2018-02-23 16:52:42 | 哲学
もう、とにかく和牛ばっかりで生きてます。


コンビのお笑い芸人でこんなにハマったの『いつもここから』以来かも。




ワガママなまでに自分の素直な気持ちに従って生きる水田さん。


そしてまわりにも気を配り世間体も大切にやさしく生きる川西くん。




誰のこころの中にもある相反する二面性が『和牛』の中にそのままあって、


そしてなによりうれしいのはその「二面」がとてもなかよしなところ。




自分の中にある矛盾するふたつの気持ちの両方を大切にして生きていきたいぼくにとって『和牛』はたまらん。


顔もすき。


たまらん。





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春待ち

2018-02-20 16:24:29 | Weblog
12時にお昼ごはん食べたのに夕方にもまた食べてもた。



いよいよ春が来るよ〜!!



わ〜い、わ〜い!


今年の春はめっちゃ遊ぶねん。



沖島(琵琶湖に浮かぶ有人島)も行きたいし、


生駒山上遊園地(生駒山の山上にある遊園地)も行きたいし、


関西サイクルスポーツセンター(関西にあるサイクルのスポーツセンター)にも行きたい!




そして何より名古屋へ行ってさいとうさんに会いたいなあ。


さいとうさんはいつもオシャレな服を着ていて、


他の人がちょっと着てないようなグリーンの服を着てたりする。


ほめると「もう〜!」って言う。




ああ〜!もう春たのしみ!






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しあわせのあり処 その2.

2018-02-14 14:37:04 | 哲学
テレビがないのでほとんど見ませんが、ふと銭湯でテレビを見ると、


キングコング西野が、


「これからはお金じゃなくて信用です。」


と言ってたりそんなことが続いています。



そんな中で誰かが、


「これからはギバーになれ。」


と言ってました。



与えるひとになれ、ということです。



お金軸の世の中では、奪うことで成り立つことも多いけど、


信用軸に変われば、与えることがなにより大切になります。




この話にはひとつイメージがあって。



沖縄の久高島に行ったとき、夕日を見ていたおじさんが自宅に招いてくれて夕飯をごちそうになりました。



その日とれた魚やもずくやタコの卵・・・。


海からやってきたものをぼくにも分けてくれた、というわけです。


ぼくに分けたからといって、おじさんちの何かが減ったわけではなく、明日また海から魚たちはやって来る。


そしてぼくはとてもうれしかった。





『与える』という行為は、お金軸の世界では『減る』ことを意味しますが、


信用軸の世界では、『与える』という行為は『増える』ということになりそうです。



減らずに増えるから、みんなよろこんでギバーになり、


世の中はやさしさで溢れていく。



けっこうしっかりしたイメージがぼくの中でできてきました。















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しあわせのあり処 その1.

2018-02-14 13:17:51 | 哲学
2022年(頃)、世界は大きく変わるという。



現在まで長く続いてきた『お金』をメインとした世の中は終わり、


『信用』を中心とした世界に変わる。



どういうこと?



皮膚感覚としてまだピンとは来てないけど、なんなくそんな感じはする。




人間は今以上のしあわせを望む宿命があって、


よりしあわせな状態を求めて生きているわけだけど、


今のような『お金』を軸とした世の中はもう天井に当たってしまっている。




これ以上のしあわせを求めるならば、軸自体を変える必要があるということだ。





鬱、引きこもり、不登校。


どう考えてもおかしい。



仕事がたのしくないのも、我慢をするもの、というのもおかしい。



これらは個々人の責任ではなく、お金という軸を登ってきた最終形なのだ。




「やりたいことが見つからない。」


これも個々人のせいではなく、お金という軸が支配しているからだ。



『やりたいこと』という独立した純粋なものに、結果や成果という不純物を付加しているのだ。だから見えづらい。




ホリエモンが、「これからの世の中はお金よりも、やりたいことを見つけなければならない。」と言ってたけど、


あせって探さずとも軸が変わればみんな自然にストンと見つかると予想しています。



軸はある日突然変わるのではなく、少しずつ変わっていきます。



ふり返れば、「あ、なんか世の中変わったなあ。」とみんなが思う時がもうそこまで来ています。




フジシロさんのありがたいお言葉、次回に続きます。












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「こたつぶとん節分過ぎて豆ひとつ」

2018-02-11 16:00:28 | Weblog
いい句ができた!と思ったら、『こたつぶとん』と『節分』が季重なりやわ。



こたつぶとんをあきらめて『部屋の隅』とか『椅子の下』に変えりゃいいねんけどできれば変えたくない。


だいたい後から豆が出てくるのってこたつ布団なんよね・・・。




どうすりゃいいの?



なっちゃんが親戚のおばちゃんなら電話して聞けるのに。


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今をはしる

2018-02-10 14:51:32 | 音楽
友達のくみっぺがラジオの企画で初のフルマラソンに挑戦するので、うたをつくった。


まあ、なんと友達想いなことでしょう。


そんな友達、ぼくもほしい。



『挑戦』という文字がぼくの人生にはないから、ほんとうにくみっぺが眩しい。






https://m.youtube.com/watch?v=Rt1guXIWtBw





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『自虐』についての考察

2018-02-10 00:58:09 | 哲学
「自虐ネタが許されるのは何歳までか?」


と、こないだ友達と話し合った結果。



35歳までとなりました。



立派な大人の女性に、


「私、ボンレスハムみたいでしょ?」


とか言われても、


「わあ!うまいこと言いますね!」


とはこちらとしては言えない。



「そんなことないです・・・。」


とか、そういう会話ももうしたくない。



太っていようがシワが多くなろうが、


大人になったら全てを肯定して、自信を持って生きていくしかない。



「思われる前に先手を打つ」。



それももう必要ないのです。



生きてきた年月分の輝きを誰しもが持っていて、


それは他の誰かと比べるものでもない。



若い人に気を使わせず生きていきたいものです。




あ。後から思ったけど、自分を肯定してる人の場合の自虐ネタはこの限りじゃないかも。



おもろい人いてたわ。














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